第6話 深層バトル②

 土曜日の昼下がり。

 学校を終えてやって来た浅草の街は、観光客でごった返していた。


 外国語のざわめき、焼き団子の香り、絶え間ないシャッター音。

 人波の中で、僕だけがひどく浮いた存在に感じられた。


 色とりどりの看板が並ぶ仲見世通りは、まるで異国の祭りのようだった。

 その熱気の中を歩きながらも、胸の奥は妙に冷めていた。


 和菓子屋の店先からは、砂糖を焦がしたような甘い香りが風に混じっている。

 けれど、その香りの奥に、どこか焦げついたような違和感を覚えた。


『ここだ。あいつの悪意ホットスポット』


 ヤマトの声に導かれ、僕はスマホをかざした。

 和菓子屋の向かいの電柱の根元に、赤いマークが浮かんでいる。


 タップすると、ノイズ混じりの動画が再生された。

 夜の路地。和菓子屋の明かり越しに、グリーンアイが立っていた。


 手にはスマホ。レンズの先には、店の奥で働く燈の姿。

 映像の端には、笑みとも歪みともつかない表情が貼りついている。


『……俺だけのものだ……』


 ノイズ混じりの声が漏れ、映像はぷつりと途切れた。


『いい調子だな。もう何カ所か回れば、晒しのネタとしては十分な量が集められそうだぜ』


 無邪気に喜ぶヤマト。

 その声とは裏腹に、僕の胸の奥でざらついた不安が広がっていく。


 ――本当にそうだろうか。


 胸のざわめきが消えない。

 そんなふうに思った瞬間、背後から声がした。


「きみ、『炎上くん』だよね?」


 心臓が、跳ねた。


 振り向くと、そこに燈が立っていた。制服のまま、髪を後ろで結んでいる。

 午後の光に縁取られた横顔は、淡いマリーゴールドを帯びていた。


 人混みのざわめきの中、彼女だけが静かに、景色から浮いてる。

 世界の音が遠くなり、ほんの一瞬、時間が止まったようにさえ思えた。


「ごめんなさい、こんな呼び方で。わたし、まだ一年生の名前を覚えきれてなくて」


 彼女は、申し訳なさそうに笑った。

 こんな怪しげな下級生を相手に、名前を知らないことを詫びるなんて、上級生の鑑だと思う。


「……朝日悠です」


「朝日くん。わたしのこと、知ってる? きみが通う高校の、生徒会長」


「夕波燈さん、ですよね?」


 彼女が、静かにうなずく。


「ねぇ、変なことを聞くけど……まだ『Judgment Protocol』の活動、してたりする? 今って、ネタ探し中?」


「……え? どうしてそんなことを?」


 その名を聞いた瞬間、胸の奥がきゅっと縮まった。


 僕たちが過去に使っていたチャンネル名――それを知られているのは、まあ仕方がないとして。

 どうして、まだ活動してるなんて思うのだろう?


「昨日、帰り道で会ったよね? それに今朝も、校庭のフェンスの外にいたでしょう? 他の人に聞いたの」


「それは、その……」


「それに、この場所。

 お店を手伝っているわたしを、ストーカーの人がよく覗いてた」


 息が、詰まった。

 まるで、僕がその人物と同じだ、と言われているようだった。


「きみ、あの男と同じ動きをしてる。彼のこと、調べてるの?」


 喉が渇く。

 何も言えなかった。


 すると、燈は鞄からスマホを取り出し、画面を僕に向ける。


「これ、知ってる?」


 そこに映っていたのは、「HEX」というSNSのアカウント。

 ――『@green_eye_333』。


 タイムラインには、和菓子屋で働く燈の姿が並んでいた。

 フォロワーは数十人。コメントもほとんどない。


 それでも、投稿の数は異様なほど多く、しかもその大半が――彼女の素顔をそのまま晒していた。


「偶然じゃなくて……自分で探して見つけたの」


 声は淡々としていたが、その奥に冷たい緊張があった。

 僕は、息を詰めたまま画面を見つめる。


 もしグリーンアイを晒せば、このアカウントも同時に拡散されるだろう。

 そして、そこに写っているのは――燈だ。


 彼女を救うための行動が、逆に彼女を追い詰めてしまうかもしれない。


 ――今のままじゃ、ダメだ。


『……迷ってるのか?』


 イヤホン越しに、ヤマトの低い声が割り込んできた。

 燈には聞こえない。僕だけに届く声。


『じきに証拠は揃う。SNSのアカウントも特定した。晒せば一発だぜ』


「でも、それじゃ……夕波先輩まで傷つける」


 思わず、小さく反論してしまう。

 燈がこちらを不思議そうに見て、僕は慌てて視線をそらした。


『被害者を守りたいなら、加害者を叩き潰すしかない。

 晒して、群衆の目で焼き尽くせ。そうすりゃ悪意スコアは下がる』


 ヤマトの声は冷たく、そしてどこか熱に浮かされていた。


 正しいのか? 本当に?


 胸の奥で、かつての後悔が疼く。

 僕が壊したものの重みが、再び肩にのしかかる。


 どうすればいい――

 このままでは、やっていることはあのストーカー男と同じになってしまう。


 息を飲み、もう一度燈を見た。

 彼女は、静かに立っていた。風に揺れる髪が、まるで光の糸のようにきらめいていた。


 僕は、そっとスマホの電源を落とした。

 画面が闇に沈み、イヤホンの向こうでヤマトの声が途切れる。


 その場を離れた。

 足は動いたが、手の中のスマホは熱いままだった。


 逃げるんじゃない。

 今度こそ、守るために動くんだと、自分に言い聞かせながら。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

次の更新予定

毎日 21:30 予定は変更される可能性があります

悪意可視化アプリ『MALICE』――炎上の過去を背負う少年の記録 山田四季 @yamada_4ki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画