お疲れ様刑事
よもやま さか ( ぽち )
お疲れ様刑事
今日は安藤一輝刑事の退職パーティーだった。
会議室の蛍光灯は少し暗く、
テーブルには紙皿と唐揚げが並んでいる。
「安藤さん、ウーロン茶とノンアルどっちがいいです?」
「ノンアルもらいます」
そう言ったのは、白髪の目立つ安藤警部補。
少し痩せた体型だ。
どこからともなく、香ばしいシガレットの匂いが漂っている。
「安藤一輝警部補は、本日付で退職されることとなりました。
非常に簡素ではありますが、送別会を行いたいと思います」
署長の石岡が口火を切る。
「じゃあ、アンドンさんに乾杯!」
そう言ったのは副署長の前田だった。
“アンドン”は安藤のニックネームのようだ。
一瞬だけ明るい声が響き、
バラバラとした拍手が会議室の薄い壁に伝わった。
「そういえば篠塚さんは?」
「来られないって。忙しいって」
「あのやろう、最後までこねえのか」
石岡署長は吐き捨てるようにつぶやいた。
「あああ。安藤さんと篠塚さんとは何度も殴り合いの喧嘩してましたからね。
安藤さんは仕事しないので有名ですけど、殴り合いの喧嘩するのでも有名でした」
副署長の前田。
歯に衣を着せぬ物言いだ。
小さな笑いが起こり、
その場が少しだけ明るくなる。
安藤はグラスの氷を見つめている。
幹事が声を張る。
「そろそろアンドンさんからひとこと!」
軽い拍手が起こる。
安藤は立ち上がり、ネクタイを軽く直していた。
「……長い間、ありがとうございました」
そしてそのあとに続く言葉が出てこない。
「たいしたこともできず、
皆様にはたいへんご迷惑をおかけしてすみませんでした」
部屋が静まり返る。
若手の一人が、椅子を引いて立ち上がった。
「アンドンさん、あの事件、最後まで追ってたじゃないですか」
若手の井上がぽつりと言う。
「上から止められても、ひとりで現場に通ってましたよね」
「上からって……おまえら、
よく俺の前でそんな話が平気でできるもんだな」
石岡署長は笑いながら言った。
「俺は何もしていないですよ」
安藤は言った。
「でも、僕たちは見てました。
もし資料が残ってたら、全部もらえませんか」
「え」
「はい。安藤さんの仕事、僕たちが続けます」
安藤は目を伏せた。
「やつら、あれですからね。
おそらく今起訴しても、裁判所が証拠採用しないでしょう。
だから今は俺たちが預かります」
「そうです。また政治の流れが変わったら、必ず有罪に持ち込めます」
前田が『あまり余計な話をするな』というように手を叩いて締めた。
「いいかな。それでは今日はこれでお開きにします。
明日からは安藤さんの分まで頑張ってくださいね」
テーブルの菓子類、
飲み残しのジュース類が全員の手によって
速やかに片付けられた。
紙皿の底に、溶けかけた氷が一つ残っている。
会場の照明がいっせいに落とされた。
「お先に失礼します」と誰かの声。
ドアが閉まる。
安藤はロッカー室へ向かう。
コートを羽織ると、ポケットに違和感を覚えた。
取り出すと、白いフリスクのケース。
表には黒のマジックで、端正な字が並んでいた。
「お疲れ様。長い間ほんとうにありがとうございました」
それは安藤にとって、
長年見慣れた篠塚の文字。
彼は少し震えながら、「ふう」と大きなため息をついた。
安藤はフリスクを両手で包み込むように握りしめた。
「……お疲れ様。君も、長いことありがとう」
と、つぶやいていた。
了
お疲れ様刑事 よもやま さか ( ぽち ) @meikennpoti111
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