夜汽車の旅

アマリエ

第1話夜汽車の旅

夜汽車に揺られて、主とふたり。

コトコト、コトコト。

誰もいない車内は、夢の中のように静まり返っていた。

窓の外には闇が流れ、遠くの灯がゆらめいては消える。


やがて汽車は止まり、降り立った場所に見覚えがあった。

それは、かつて通った古い図書館だった。

閉館したはずの建物が、今は薄い月明かりの中で息づいている。


入口の扉を押すと、ほこりの匂いとともに冷たい空気が流れ出た。

誰もいないはずの閲覧室の奥には、古びた階段があり、

「閉架図書室→」と書かれた木の札がぶら下がっていた。


階段を下りると、そこには奇妙な空間が広がっていた。

地下1階は昭和初期、地下2階は大正、そして地下3階は明治。

各階の書架には、時代ごとの紙の息遣いが残っていた。


明治の棚には、手書きの写本が並んでいる。

文字は墨の濃淡を宿し、紙の繊維に滲んでいた。

本がまだ貴重だったころ、人々は知識を写し取って受け継いだという。


私は印刷の匂いをまとった明治後期の本が好きだ。

近代化の光と影が、活字の間に息づいている。

ページをめくるたび、遠い時代の人々の声がかすかに聞こえる気がした。


「本は時間を閉じ込める器なんだよ」

隣で主がそうつぶやいた。

その声は、紙のざらつきと溶け合い、静かに消えていった。


気づけば、朝の光が頬を照らしていた。

夜汽車は止まり、主の姿もなかった。

手の中には、いつのまにか古い図書カードが握られている。

そこには、かつて自分の名前が記されていた。


——良い旅であった。

けれど、まだ読んでいない章がある気がする。

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夜汽車の旅 アマリエ @kiyohaha

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