第2話 予言者



 結論からいえば、私は冴凪麗の身元を引き受けることになった。


 養父を喪った養子は通常、養父の親族に引き取られる。三沢先生の場合はほとんど縁が切れていたとはいえ相続権は母親にある。遺産を継ぐなら養育費もそこから出すことになっていたようだ。


 しかし出棺の際も火葬の間もその後も、冴凪麗に近寄ろうという遺族は一人として居なかった。腫れ物扱いならまだしも、面倒事に関わりたくないという態度が透けて見えていた。


 当たり前といえば当たり前だ。生前まったく交流のなかった職業不明の男、その養女――やろうと思えばいくらでも憶測できる。曰くらしい曰くを耳にしなかっただけ彼らは善良だったといえる。あくまで比較的に、だが。


 あの場に冴凪麗を置いていけばどんな未来が待っているかは想像に難くなかった。成人まで面倒を見てもらえる可能性は低く、たらい回しされてでも養ってもらえるなら御の字。なんなら中学を卒業した時点で追い出されることだって考えられた。


 悲観しすぎか、とは思わない。我が身に起こる出来事は、最悪を想定しても足りない。その点で冴凪麗がとった手段は彼女なりの最善だったのだと、私は気づいてしまったのだ。


「だから親族に掛け合って引き取ったわけか」


 先日の経緯を話し終えると、宝利ほうり先輩はくつくつと笑った。


「笑いごとじゃありませんよ」

「いや、すまんな。意外だったからつい」

「先輩はお子さんがいるでしょう。そんな軽薄な反応してると奥さんに怒られますよ」

「確かに、そういう考え方もあるか」


 顎に手を当てて真面目ぶった表情を作る宝利先輩。


「湊はまともな大人だな」

「まともな大人は勢いで未成年を引き取ったりはしません」


 自分で言っていても誤った選択だったと思う。あのまま葬儀場に置き去りにするよりも私が引き取ったほうがマシだなんて発想、傲慢でしかない。


 東京に帰るまでの高速道路で徐々に冷静さを取り戻していった私は、休憩に立ち寄ったパーキングエリアで宝利先輩に電話をかけた。今すぐ相談に乗ってほしいという気が逸った行動で、明らかに焦りが声に出ていたと思う。


 単にメッセージだけ送信しておけば、翌日社内でにやけ面の先輩にかち合うこともなかっただろう。


「三沢秋水先生の忘れ形見、ねえ」


 宝利先輩はフラットな表情で会議室のスクリーンを眺めていた。


「文芸部門としちゃあ大恩ある先生の遺志は最大限汲み取りたいが、養子の件は聞かされてなかったわけだからな。どう扱っていいもんか」


 せめて遺書でもあれば、と宝利先輩が言いかけて首を振る。それから申し訳なさそうに私のほうを見た。三沢先生の弟子だった私に気を遣っているのだろう。


 師匠は事故死だった。自家用車で峠路のカーブを曲がり損ね、ガードレールを突き破って転落。同乗者はおらず、現場検証と司法解剖の末に事件性はないものと結論付けられている。


 その経緯を聞いていたから、私はあの棺桶の中を覗く気にはなれなかった。彼が最期の時に何を考えていたのか、想像するたびに死化粧された顔が浮かぶのは御免だった。


「ともかく、引き取ってしまった以上は面倒を見るつもりです。少なくとも成人して、自立できるようになるまでは」


 師匠の親族からも言質を取ってある。法律上のあれこれはどうにでもなるとして、必要なのは理解のある協力者だった。


「湊がそう言うなら俺は止めないが」


 宝利先輩はヘアワックスで整えた髪を軽く撫でつけながら、オフィスチェアに背中を預ける。


「養子の子本人とはちゃんと意思疎通しろよ? 君はいつも説明が足りないんだから」

「そうでしょうか」

「そうだよ。昨日の急な電話で、俺がどんだけ気を揉んだか」


 こういう先輩だから真っ先に相談したのだ。そんなことを率直に説明していたら調子に乗るだろうから、口には出さないけれど。


「で、本題はこれからだろ?」


 ごく当たり前のように続きを促してくる先輩。私は頷く。


「先輩は三沢先生にまつわる都市伝説をご存じですか」

「『二十一世紀のノストラダムス』か?」

「ええ」


 三沢秋水という作家を語るとき、大きく分けて二つの切り口がある。ひとつはジャンル問わず数多くの作品を世に送り出したヒットメーカー。そしてもうひとつは、作中の出来事に酷似した出来事が近い現実に起こる、予知能力者プリコグ


 彼の小説は娯楽作品が主だったが、作中での核となる事象には妙なリアリティがあった。刑事ドラマで凶悪事件の逃走犯は実在の犯罪者と同日に逮捕される。ラブロマンスで主人公とヒロインが結ばれれば現実では彼らのモデルとなった芸能人同士が入籍する。極めつきはパンデミックを描いたサスペンスで、疫病の症状や流行経緯までもが作中に示されたものと一致していた。


 偶然というには多すぎる論拠の数々に、三沢秋水は本物の予言者なのではないかという噂が匿名掲示板を中心に根強く存在していた。


 そうして誰が呼んだか、ついた異名が二十一世紀のノストラダムス。


「本人は名誉なことだとかとぼけたことを言っていましたけど、疫病の件では出版社のほうにも問い合わせが来て大変だったそうじゃないですか」

「あれは思い出すだけでも嫌になるな。俺が入社した年のことだったから余計に」

「先輩はこの都市伝説についてどう思います?」

「三沢先生が持っていた先見の明の賜物、それに尽きる。疫病に関しては『コンテイジョン』はじめ類例多数だし、犯罪者の逮捕なんて毎日発生してるんだからいくらでもこじつけが利くだろ」

「芸能人同士の結婚については?」

「あれはショックだったな。当時好きな女優さんだったんだ」

「そんなこと訊いてないですけど」


 先輩の軽口を流しながら、続ける。


「私も三沢先生は未来を予知していたわけではないと思っています。現実に起こりうる事象を題材にして、そのリアリティを高める能力に長けた作家さんでしたから。ただ……」

「ただ?」

「違和感があるんです。私の知る三沢秋水は、自分の死を予見できない人ではない」


 宝利先輩は露骨に眉をひそめる。


「そうは言っても、事故死だろ? 出先で運転ミスるなんて予測しようがなくないか」

「いえ、もっと引いた視点です。という考えを、三沢先生が持っていなかったとは思えないんです」

「……遺書然り、自分の死後に機能する備えがされていないのは不自然、ってことか?」

「はい」


 不慮の死に加え、三沢先生の享年は四十二。一般的には遺書がなくてもおかしいと気づく人はいないだろう。彼の生前に交流が乏しかった親族一同ならばなおさらだ。


 でも私には、師匠が遺書も残さずに死んでいったことが信じられない。それどころか今でもどこかで生きているんじゃないかとさえ思える。ただ死を受け入れられないのではなく、私の中で現実と彼の人物像が重ならないのだ。


「三沢先生の弟子だった君が言うんなら、そうなんだろうな」


 何を言っても無駄だと察したのだろう。宝利先輩はひとまず肯定的な態度を見せた。


「だが事実として三沢先生は亡くなったし、遺書も今のところ見つかっていない。編集部としては遺稿があるなら拝見したいが、遺族からの提供がなければ何もできないのが現状だぞ」

「そうなんですよね」

「そうなんですよねっておい」

「私は探偵じゃありませんし。そんな都合良く名案なんて思いつきませんよ」

「それを言うなら俺だって助手じゃねえからな」

「別に頼んでいませんけど」

「生意気な後輩だなほんと」


 拳を握りしめる宝利先輩を尻目に、今後のことを考える。彼の言うとおり、遺族から許可を貰うまでは遺書や遺稿に触れることもかなわない。だからといってそれまで手をこまねいて待つというのも嫌だ。


 こうしている間にも、記憶の中の師匠の姿が揺らいでいく。それを補おうとして、私の勝手な憶測や邪推で濁らせてしまうのだけが耐えがたかった。


「というか、遺書のことなら養子の子に訊けばいいんじゃないか? 一緒に暮らしていたんなら存在くらいは知っていてもおかしくないだろ」

「はっ」


 一応確認はしておこうといった口ぶりの先輩の指摘に、思わず声をあげてしまった。途端、先輩の目が冷ややかなものに変わる。


「……ちゃんと意思疎通しろよ、本当に」

「善処します」


 午後の業務も間もなく始まる。忙しなく働いているうちに、夜が来る。


 私たちは命の続く限り、このサイクルを繰り返さなくてはならない。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

メロンソーダが甘すぎるから 吉野諦一 @teiiti

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ