線、その先。
和叶眠隣
線、その先。
未来の巨匠で自他ともに認める変人だった僕は、ただのありふれた『普通の人』になった。
天才ばかりがゴロゴロいる美大。
諦めと悔しさと情けなさ、それでも好きなものへの執着で、世界がぐちゃぐちゃに歪んでいく。圧倒的に本物の才能や存在感と比較して、自分の世界が薄っぺらな、偽物の紛い物みたいに見える。
肯定して、認めて、価値があると褒めて欲しい。
自分の人生を他人の判断に頼っている時点で負け犬だとわかっていても。簡単に考えを変えられない。
微かに残った衝動で引いた線は、不恰好なままどこにも繋がらなかった。
教室から逃げ出し街をあてもなく歩いていると、一枚の映画ポスターが目に入った。
今時珍しいフィルム上映のミニシアターで、二十年前の作品が間もなく始まるところだった。
淡々と進む、彼と彼女の物語。
僕よりも情けない男の姿に安堵するのもつかの間、フィルムの中で、彼の痛々しさは本物だった。汚く惨めでどうしようもない屑。
ボーリング場で太った女がひとり踊っている。
見ているのは僕なのに、カメラの手前にある視線が彼のものだとわかる。彼女を見ている呼吸音まで伝わる食い入る視線の温度。
没入していた世界に、突然異音が響いた。
カラ…カ……ラ、ガガガガ――視界の隅から黒い影が浸食し、スクリーンは瞬く間に真っ黒になった。
焦げる匂いとざわめきに現実へ引き戻された。非常灯が灯り、場内にアナウンスが響く。
「申し訳ありません。フィルムの不具合により、上映を中断いたします」
劣化したフィルムが焼けたのだという。呆然と払い戻しを済ませ外へ出た。
夕暮れの街は、やけに静かだった。
オレンジから紫へ、グラデーションで変わる光の中、僕と影だけが取り残されていた。
完結しないまま終わってしまった映画。そこにいたはずの彼も彼女も、もうどこにもいない。
思い出した。あの時黒に侵食される視界と、焦げる匂いのざわめきの中で、ぼくは確かに笑っていたのだ。中途半端に中断された終焉を前に。
ああ、そうか。世界はこんなふうに終わるのか。本物も偽物も、理想も現実も関係なく、こちらの都合などおかまいなしに突然世界は終わるのだ。
風が止み、ぬるま湯のような空気が肌にまとわりつく。5時30分のチャイムが流れた。ありふれたその音が今日はやけに胸に刺さる。
終わってしまった映画の続きを、僕はまだ観たかった。けれど、同じくらいあの続きを観る気にはなれなかった。おそらくもう、僕にとっての続きではないから。
握りしめた手のひらが熱い。
何かわかりかけて、でもまだ見えない。
わからないまま、描こう。僕が描く。
まだ見たことのない、あの映画のラストシーンを。あの続きを描けるのは僕しかいないから。
過剰な自我やプライドは全部、真っ黒のフィルムと一緒に焼き捨てた。
もう、誰かの評価では動かない。躊躇いも迷いもそのまま乗せて、線を引く。
未完成の人生を、この線の先に。
今度こそ、本物の僕を描くために。
夕暮れの街が青に染まる前に、僕は走り出した。
線、その先。 和叶眠隣 @wakana_minto
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