因習の町

ににしば(嶺光)

因習の町

3学期のある日々。朝からわたしは機嫌がよかった。

「もうすぐ6年生だね」

しかし、しばらくして違和感に気付く。よく見るとクラスにだれか、足りない。

「……彼島依子は?」

「もういないよ」

「え?」

「転校したらしい。まあ、ちょっといじめられてたけどなー。関係あるかわからんけど」


単にちょっと合わないだけ……いや、違う。

それは一種の追放だ。

ある日にはわたしもまた、選ばれていた。

きっと、たぶん偶然じゃない。

それに気づいたのは、あの町から離れて、もうずいぶんたったころだった。

「あの子ももうここにはいない、もう離れちゃった」

違う。あの子は引き離されたんだ。もっと言えば切り捨てられた。

仲が良いというほどではない関係を、わたしは幼いころは自覚できなかった。誰しも会話さえできれば友達。苦手なやつは別だが、今はどうでもいい。

仲が良くないわけでない、そんな「友達」のなかのひとり。その子は、突然いなくなった。小さなころの記憶だが、それはふと思い出された。

「わたし、寿司職人になる!いつか、カレーパン寿司を流行らせる!」

きっと、何も悪いことはしていない。ただ、自由に楽しく生きようとしているように見えた。しかし、どこか場になじもうにも、遠くからは冷笑されていたようにも思う。わたしも数回その意見に納得しかけたが、周囲の空気はもっと冷ややかだった。

「数の子パンキック!あ、ドッジの外野はこっちじゃないか!ごめんね!」

好きな食べ物、苦手な運動、集団での発言。

「あの子はちょっと変だよね」

えっと、うん。多少は、否定しきれない気はする。

でも……。

ちょっとって言ったよね?ちょっとだよ?単なるそのわずかがそこまで大事なのか。

人間はわずかな差でも、大きく気にする人がいる。それは生存競争のさなかに身についた、先祖の知恵なのかもしれない。

すこしの違いは、ほかと大差ないものだったように思う。しかし、なにかが大きく違ったのかもしれない。あの人たちには、それは顕著な差だったのだろう。それは小さなわたしには難しい問題だった。

「だってあなた、いつもそうだもんね」

マイカは言った。差島マイカは幼いころからの、わたしの友人だった。

「わたしと違ってどんくさいし。かわいくもないもんね。そりゃ冷たくもされるよ」

「あはは」

わたしは笑っていた。マイカの冗談は圧倒的真実からくる、正論の暴力のようだった。暴力は楽しい。漫画にもよくある笑いの表現だ。マイカはわたしを殴ると楽しいんだ。それだけだ。わたしは大人になるまで、気にもしなかった。ほとんど。

しかし依子は違った。

依子はいつも悲観していた。依子を冷笑するものを、つねに気にしていた。

「わたし、みんなの前でふざけちゃうでしょ?これ、わたしの家族みたいにすぐ怒るとこわいから、ついふざけちゃうんだ」

「依子ちゃん……」

しかし、小さなころの暴力やいじめは仕方ない気がする。マナは虫を引きちぎるし、木の枝を差して焼く。が、けして、そういう食文化ではない。同年代だったわたしから言うのもなんだが、ごく無邪気な子供だった。

そんな無邪気ないじめが、対象が身近な人間になったところで、なんら珍しくはないだろう。

ましてや子供だ、その暴力性に自覚もないものは多いだろう。また、教育次第とも限らない気がする。

わたしにばかり、説教ばかりする教師。あいつによる体罰を思うと、そう感じる。

わたしはある教師、差島類(さとうたぐい)に体罰を受けたことがあった。それはとても珍しく、まわりにはだれもいないときだった。わたしはひとりだった。

「誰にも言わなければ、これで最後だ。みんなには、お前がこれのことを言えば、またやると言ってある」

一回きり、しかしその傷は何より深かった。それからわたしは友人がこわくなり、みなに冷たくなった。あの差島の言葉はおそらく嘘だったようだが、確認するすべはもうない。

差島は普段は厳しく真面目で、とても周囲に信頼された教師だった。そんな風には思えないことをされ、わたしは全て壊された気分だった。味方はおらず、差島はずっと信頼され続けていた。きっと今も。

どうやら、差島家は地元の有名な氏族の一員らしく、地元の長く続く政治家一族などとも遠縁らしい。


が、そんなことはもう、どうでもいい。全て。

依子は消えた。そして、夏実も、わたしもだ。

もう長いこと、それは気にもとめていなかったこと。

しかし、ちょっと前まではそればかりが強く思い出されていた。実家の父からの電話があった日からだ。

「聞いたぞ。あんたがいないと知った。ついこないだのことだ。何年前からだ。帰ってこないのか」

なぜいまさら?

わたしは電話を切った。しかし言葉は長く耳に残っていた。

あの町に帰れるわけない。あの町がわたしを切り捨てたんだから。

依子も夏実も消えた町だ。彼女らとわたしは仲良くなかったかもしれないが、わたしもその町にはいられない。

でも、なんで?

わたしにはわからなかった。父も、わたしが町から消えた理由がわからない。

あの町はなんなんだ。いや、わたしたちがおかしかったのか?

そんなことを考えていたら、依子や夏実の小さなころの記憶がうっすら蘇ってきたのだ。

もはや全てがおぼろげな、小さなころの記憶。だけど、かなり印象深い。それは、彼女らが二度とそこに戻らなかったからだ。遠くでは姿を見たが、もうあの町の記憶がないかのように振る舞っていたよいかに見えた。

わたしが見たのは二人、いや三人。何の変哲もない楽しい日々を裂くように、そこから彼女らは忽然と消えた。わたしも含めて。

彼女らはいつも言っていた。

「楽しくないとね、わたしは夢を見てるの」

「笑い続けないと、学校とか来るの無理じゃない?」

そんな明るい彼女らを切り捨てたのは、小さな町だった。平和で穏便な、波風ひとつない世界だった。喧嘩もいじめもない、人々は穏やかで柔和。しかし、その人々はひどく消極的だった。挨拶も会話も、仲が良くなければほとんどない。それはごく、当たり前のように。

もしそこで明るい雰囲気をまとい、みなのまとめ役になったり、盛り上げたいと目立てば目立つほど、浮く。だれもその提案には乗らない。そんな空気はいらない。

そして、消えるまで遠巻きにされながら、放置される。

それはとても小さな場所のできごと。それを知る人も、ほぼ何も気づいていないかのようだ。

彼らは選ばない、彼女らが目指した道を。

だから彼女らは切り捨てられた。

そして、わたしもそのひとりだった。

わたしも夢を見ていた。彼女らもそうだったのか。彼女らは明るく、あの地のよどみを打ち破る希望を持っていた。だから、選ばれた。生贄に。

そうして切り捨てられ、いなくなった私たち。

町の人々はきっと、小さな生贄を選びだした自覚もない。失われたものとしてでなく、排除できたものとしてみなす。その街はそうして、今日も快適なのだろう。静かな、しかし冷たい微笑の絵画のように。

出過ぎた杭が抜かれ、揃った杭だけが深く埋まっている。横並びのきれいな町。しかし、抜かれた穴は二度と塞がらないのかもしれない。

あの地に深く根ざすものとは、何者なのだろう。

杭のように揃った連帯感、そして排除意識。

依子は冷笑され、夏実も明るかったが、教師にいじめられていた。

排除されるには都合がいい。そして、力もない。

そんなものたちが排除されるのは、よく考えれば、当たり前のようなことだ。

教師・差島類は力のある教師だ。ああした者や似たような集団が、力で人々を制圧しているのだろう。いじめもない、柔和な町は、そうしてできている。

差島の娘も、いじめの中心格だったらしい。マイカは友達だったが……。

きっと長いこと、ああいうタイプのいじめっこは消えないだろう。町の力を利用するからだ。自然の力を利用する、自然主義的な科学者のようなものだろうか。いやまあ、わからないが。

ある日、祖母はわたしに家事を命じた。新聞紙で窓拭き。今どき珍しいくらいの古いやり方だ。インクがガラスの汚れにはいいとか、理にはかなっているらしいが。

このとき、使った新聞紙は捨てられる。汚れをつけて、書かれた文字には触れられずに。すると、当然もう読めない。汚れを引き受けて、明るい場所から消えざるをえないものだ。

わたしたちと一緒だ。わたしはあの町の、なにを引き受けて消えたのかな。差島の一族のようなものによる、偏った感情だろうか。人には見せられないような。

新聞紙は掃除に便利だ。読まなくても。きっと新聞社のひとが聞いたら、悲しむだろう。

スマホならこうはいかない。わたしたちはスマホにはなれなかった。だからこうなった。

しかし、きっといつかスマホも何かに取ってかわられる。新聞さえ、昔はそのように広まったはずだ。

引っ越した先で、町を見ていると、年を追うたび、さまざまな古民家が次々と建て変わっていった。都市もまた、そうして長く続いていくのかもしれない。

しかし、あの町はどうか。あの町の古屋敷は、住む人もないまま、いつまでも残っていた。汚れを引き受けて、かわりに消費されるのは、人間なのだろう。

『まだ帰らないのか。友達からの連絡もないのか』

珍しく、父からメールだ。電話に続いて。兄も妹も心配している、と。しかし、もう彼らとも長く連絡をとっていない。

あの町にはいろいろ考えさせられた。しかしそれらは、普通ならあまり考える必要はないように思える。もうあまり覚えていないが、とくに困っていないし。


とにかく、わたしはもう、だれも憎む気はない。

わたしはもう、あの町とは関係ないから。

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