答えなんて求めるなよ

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答えなんて求めるなよ

「そりゃあお前、知りたいことがあるならそれを優先にするしかねぇだろ」

 濃い酒の匂いを漂わせた老人。倉田は、唸るように酒に焼かれた声で言い放った。

「だいたいなぁ、大学ってぇのはなんとなくで行く場所じゃねぇんだよ」

「また始まったよ、説教」

「ああ? 聞いてきたのはそっちだろうが」

 それはそうなのだが、と佐藤は口をつぐんだ。

 高校二年生。まだ二年生ではあるが、そろそろ大学について考えなければいけない時期に差し掛かってきた。

 人生の大きな分岐点ともなるような選択だ。そんな選択を子供にどうして背負わせるのか、と他人事になってしまう。だが、その前にどこの高校へと進学するかという分岐点をすでによく考えもせずに通過してしまったのだから遅すぎるのではとも思ってしまい、佐藤は結局倉田には何も言い返せなかった。

「おう、分かるぜ? 皆が大学行くからってのもあるし、働くにしても大学に行っておいた方が何かと有利になるってのもな」

 図星だ。だから佐藤は黙ったまま、顔をそっぽに向けた。

 本当に子供だ。いや、まだ年齢的に子供だが、そんなしぐさをした佐藤に倉田はけらけらと笑った。

「この際だから金やらの話はしねぇでおくわ。俺に大学のことで相談しにきたってことは、いけるぐらいの金はあるってことだろ?」

「いや、奨学金だけど?」

「借金していくのかぁ」

「その言い方、なんか悪くない?」

「借金は借金だろうが。返す必要のあるやつは、全部借金だからな。覚えておけよ」

 そうか、借金か。そう知った途端、なんだか奨学金なんていうものが怖くなってきた。

 佐藤が内心怯えてしまっていることに欠片も気づかない倉田は構わず横で小さく唸り、顎に手を当てた。

「ってことは、あんまり好き勝手出来ねぇなぁ」

「……まぁ、うん」

「けど行きたい場所はあるんだろ?」

「うん」

「担任からはなんて言われてんだよ。親からも」

 比較的、佐藤の成績は良い方だった。ただ単に真面目に勉強を頑張ってきた成果とも言えるが、それでも何とか勉強についていけているというだけで、とてつもなく良いと言うわけではなく平均よりは良いと言うだけだった。

 担任は当然だが、親もその成績は知っている。だからこそ悩んでいるのだ。

「担任は今の成績よりも少し上を目指した方が良いって言われてる。で……、親は好きなところに行けって」

「ダチは」

「一緒に行こうぜって」

 うまく高校生活に馴染めているおかげで友達もそれなりに出来た方だ。佐藤の勘違いでなければ、本当に仲の良い友達なのだ。そうやって、一緒の大学に行こうと声をかけてくれるくらいには。

 けども、と思う。その場のノリで今後どうなるか分からない選択をしても良いのだろうか、と。

「あんまり口に出すのもあれだけどな」

「もうたくさん出しているよ」

「そうかぁ?」

 酒の飲み過ぎか、それとも歳のせいか忘れているのか。ああ、いや、きっと両方だ。何せ佐藤は今まで素面の倉田に会ったことがないのだ。日によって度合いはあるが、それにしたって飽きもせずに酒を昼間から堂々と飲んでいるのだ。

 これについては反面教師としてしっかりと佐藤は学び、こんな風にならないように気を付けなければと心に刻んでいる。

 倉田は当然のことながら佐藤のそんな考えなんてものは梅雨知らず、いつもの調子でまた口を開いた。

「絶対にそっちに行けとは言わねぇが、行くならそれを優先にした方が良いだろうな。借金してまで行くならとくにだ」

 進学ともなれば、金はどうしたって必要になる。親からは申し訳なさそうに言われてしまったが、その分応援するし、サポートしてくれると約束してくれた。実際にその通りで、勉強する佐藤の為にとなるべく良い環境になるようにしてくれている。それに近頃では母がパートを増やしていたのも知っている。

 そんなものを知ってしまっているのだ。絶対に失敗なんで出来なかった。

 黙る佐藤に、倉田は小さく唸って、ああ、と声を漏らした。

「そうだなぁ。こんな奴がいた」

 そうして、倉田は言った。


 一人目。

 Bは高校卒業後、名前を書けば入れるような大学に入学した。まだまだ遊び足りなかったからだ。なにせ大学は人生の夏休みとも呼ばれたりもしているくらいだからだ。でも金がないから、日々バイトに明け暮れ、遊びまわり、必要最低限の単位を取るだけにとどめて大学にはあまり顔を出さなかった。

「その人はどうなったの」

「どうにか卒業したは良いが、フリーターになった」

「えぇ……それって、大学に行った意味あったの?」

「知るかよ」

 倉田は他人事に言い、次は、と続けた。


 二人目。

 Aは有名大学へと入学した。高校生時代、常に成績は上位であり、受験だって楽々通過した。勉強が苦にならないし、当たり前に出来る人間だった。当然のことながら単位は余裕で取れたし、バイトをせずとも心配がいらない家庭だった。

 大学という場をいかし、様々な人と知り合い、交友を広げた。そして結果として言うと、大学を卒業後は起業した。

「え、起業?」

「そうそう。今はそういう奴もそこそこにいるなぁ。ま、長続きするのはやっぱり難しいみたいだけどな」

「……その人って、今も」

「いや、潰れたって話しは聞いたな。今はどこにいるんだか」

 これまた倉田は他人事で、仕方がないというように肩をすくめた。


 三人目。

 Eは偏差値で言えばおおよそ半ばの、地元の大学へ入学した。地元ということで友人や顔見知りが比較的多くいる環境だったということもあり、だいたいは友人と一緒にいた。奨学金は借りていたが、地元ということもあって実家から通うことが出来、比較的には金に余裕はあるほうだった。

「……なんていうか、無難」

「だな」

「それで大学は卒業したんだよね?」

「もちろん。そのまま地元に就職したな」

「へぇ。けど大卒ってさ、給料良いんだよね」

「会社によるぞ。後、今は大卒が溢れかえっているってのもあるから、思ったよりも給料は高くないな。借金していたら、とくに若いうちは案外手元には残らねぇから期待はすんな」

「……うぅ……」

 頭を抱える佐藤の様子が面白かったのか、倉田は横で大きく笑った。


 四人目。

 Fは高校卒業後、社会人になった。家庭の事情で進学はしなかった。高卒でも受け入れてくれる地元の会社に運よく入社し、ひたすら地道に、そして真面目に仕事をこなした。

「そっか……高卒で働く人もいるよね」

「そういうこった」

「大変かな。高卒って」

「仕事によりけりだな。それこそ机に座ってやるような仕事は大卒ばかりな上に、大卒以上って決めてるところが多い。代わりにいわゆる肉体労働っていわれるような仕事は高卒からだし、あれは技術っていうか腕の良し悪しによるもんだから、学歴は意味ねぇな。ただ、かなりきつい」

「……その人は」

「あー……確か。独立して、なんとかやってるらしいな」

 夢のある話だが、ただの高校生として過ごしてきた佐藤にとっては本当に夢であり、絶対になれない未来だった。

 佐藤はしっかりと理解したうえで、倉田に続きを視線で促した。


 五人目。

 Cは大学ではなく、専門学校へ入学した。こっちもローンを組んで入学し、みっちり二年間、その分野を勉強した。そして見事、その分野の仕事が出来る会社に入社した。

「あれ、一番良さそうな感じがする」

「そうだと思うだろ? 実はこいつ、すぐに辞めたんだ」

「な、なんで?」

「思ってたのと違うからだってよ。勉強していた時の仕事のイメージは華やかなものだったが、実際の仕事はかなり地味だし、客もそんな礼儀正しい奴なんていねぇからな。とくに金が絡むから余計に仕事はシビアだ。生半可なものは売れねぇのさ」

 そうか。そうだよな。卒業したら、もう社会人になるのだ。アルバイトの経験はあるが、きっとそれよりも厳しさというのは増すのだろうと想像すると、佐藤はまた頭を抱えそうになった。

 これまた苦悩する佐藤の反応に気に入ったのか、倉田は喉の奥を鳴らすように笑った。


 六人目。

 Dはそこそこ名の知れた大学へと入学した。奨学金はもちろん、一人暮らしで生活費も足らないからアルバイトもこなしていた。しかし毎日が勉強、そしてアルバイトと続き、疲弊する毎日だった。

「今は加えて就職活動も早くなった上に、インターンなんてものもあるしな。正直時間が足らなすぎるんだよ、どう考えたって」

「……もし、アルバイトしなくても平気だったらちょっとは楽だったりするかな」

「どうだろうな。悪いが今の就職事情ってのは正直よく分かんねぇんだよ。だからそのあたりも調べてみろよ」

「調べることが多すぎるよ……! で、その人はどうなったの?」

「続けることが出来なくて中退。学歴は高卒になって働くことになった」

「うわぁ……」

 中退というのもあったんだ。確かに進学するにしても、絶対についていけるという保証はないし、途中で何があるか分かったものじゃない。高校は義務教育じゃないにしろ、両親がいてくれたからそこまで考えずに過ごしてきていたが、大学生で一人暮らしとなったらもうちゃんと考えないとつまずきかねない事実を目の当たりにした。

 倉田はさらに苦悩する佐藤に満足したようで、今度こそ豪快に笑った。


 倉田が話した六人は、どれも違う道を辿っていた。そして大学へ進学したとしても、あまりにもバラバラすぎてむしろ参考にすらならないほどだった。一人だけ夢のある話しだったが、もはやスタートダッシュが全然違いすぎていたのでこれも参考にはならなかった。

「……全員さ、それで良かったって思ってるの?」

「思っている奴もいるし、認めたくねぇ奴もいる」

「なんで認めたくないの」

「こんなはずじゃなかった。思い描いた未来ではうまくいっていたはずなのに、なんで。ってな。理想と現実の差があまりにも大きすぎたんだ」

 先に社会に出ている両親の姿は穏やかなものだった。けどそれは家の中というだけで、一歩外に出たらとても厳しいものだったりするのだろうか。アルバイトをしていても、何かが違ってくるのだろうか。

 佐藤はいまいちその理想と現実との差について理解することが出来なかった。

「せっかく進学までしたってのに、勿体ねぇよなぁ」

「勿体ないって?」

「全部。出来る奴は高校から考えているけどな、高校までは誰かが決めた答えを覚える場所だ。考えなくてもある程度は問題ねぇし、正直言えば高卒で社会人になる奴に、そこまで深く考えてやれとは求めねぇ。高度な仕事を任せるつもりもねぇ。けど満足出来ねぇやつは、そこから自分で力をつけて一気に伸びるやつもいるからなかなか侮れねぇ」

 高卒で社会人になって、独立したという人のことだと佐藤は理解した。

 倉田は続ける。

「専門学校に行くってことは、就職したい業界を見据えての進学だ。あそこは専門分野を集中して勉強出来る、それこそ知りたいものが仕事とつながっているやつが行くような場所だ。けど、その夢を大事にしすぎて現実が見えなくなっていたら無意味だけどな。結局」

「け、けど。やりたいことがあって勉強しているなら、無意味ってことは……」

「どの仕事も、全部地味で目立たない、それこそ雑用が重要なんだよ。覚えとけ」

「雑用が? けど、それって他の人とかが」

「あー……これについちゃあ、次のときに話すか。長くなる」

 雑用なんて正直やりたくもないやつだ。確かにやっておかないといけないものというのはあるが、とにかく面倒なのだ。どうせだったら気づいた人がやれば良いと思っているし、実際にアルバイトをしていたときは気づかないふりをしてさり気なく押し付けていたりもしていた。

 だが倉田がここまで熱をいれるということは、だいぶ大事なことだったんじゃないかと胸の内がぞっとした。

 倉田は佐藤の心情なんて構わずに続けた。

「んで、大学だ。あそこは本当に良い環境だ。なんたって答えを自分で決めることが出来る場所だからな」

「答えを、自分で決める場所?」

 うまく理解出来ずにいると、倉田はにっと笑った。

「正しい答えなんざねぇんだよ。とくに社会に出たらな。せいぜいよく言う、一般的とか、そういうルールはあるが。結局のところあるのは、何を答えにしたかどうかだ。そんで、何故その答えにしたのかを考えなきゃならねぇ」

 予想以上に、社会というのは複雑で考えなければいけないことが多いらしい。まだ高校生だからと甘く見ていたが、なんだかそうは言ってられなくなる焦りを佐藤は感じ始めていた。

「そりゃあさ、今の世の中タイパやらコスパやらがどうのとか言われているけどな。結局それは、誰かが考えて掴んだ答えだ。その答えをよく考えずに群がっているだけじゃあ、何の役にも立たねぇ。まぁ、楽だからっていう理由はあるかもしれねぇけどな」

 答えがあるに越したことはない。実際、佐藤もSNSでコスパの良いで評判の動画をいくつも見ては服を買ったり、食べ歩きをしたりとずいぶんと助かっている。けど、よくよく考えてみると、服は全くではないがどことなく周囲と被っていることは多いし、いざ食べ歩きと意気込んたが、行列が長すぎていくつか諦めたところもあった。

 流行っているから。おすすめだから。コスパが良いからで手を伸ばしているが、結局はありきたりの個性のない凡人と呼ばれるうちの一人になっているような気がした。いや、別に特別になろうとは思っているわけではないし、とにかくも楽なのだ。これもやっぱり重要だと佐藤は思い直した。

「いや、けど、楽だしさ」

「そうだろうな。なんせ考えずに決められた選択肢を選べば良いだけだからな。それが本当にやりたいことなのかは置いといて」

 ぐさり、と深く胸に言葉が突き刺さった。それはもう深く。

「やりてぇこと。知りたいことがあるなら優先した方が良いのは間違いねぇ。ああいう場所は、それを突き詰めるのに良い環境だからな」

「あ、でもさ。好きなものを仕事にすれば良いって聞くけど。そしたら大学選びも楽になったりしないかな」

「そういう奴もいるな」

 好きなことを仕事にするのは良いことだとも聞いたことがある。しかし倉田は渋い顔をしていた。

「その好きなものが嫌いなものになっても良いって思うくらいなら止めねぇが」

 段々と思い描いていた進路が黒く塗りつぶされていくような感覚だった。

 聞け聞くほどに深みにはまっていきそうになって、せっかく良いんじゃないかと思っていた大学も、本当は駄目なんじゃないかと思ってしまうほどだ。

「うぅ……熱が出そう」

「かもなぁ」

 倉田はとにかく佐藤が悩んでいる姿を見てよく笑う。

 一体何が面白いというのかと思うが、そもそもとしてこうして相談してしまっているのは自分なので文句なんて言えるはずがない。が、心の内ぐらいは文句を言っても許されるだろうと思ったが、鋭い眼光を向けられ、佐藤は慌てて口をつい開いた。

「そ、そりゃあさ、知りたいことはあるよ。けど、それで最後は就職先を見つけないとなんでしょ? もう無理だって。しかも僕が行きたいところって文系だしさぁ。就活とか大変って聞くし」

「らしいな。だから調べろよって言っただろ? ま、頑張れや」

「他人事だなぁ」

「当たり前だろ? 俺はお前じゃねぇんだし」

 全く持って正論だ。しかし今、その正論は聞きたくないものだった。せめて、少しばかり共感するように言ってくれたらなんて思ってしまったが、倉田がそんなことを言ったところを想像した佐藤は即座に気持ち悪いと思ってしまい、すぐに考えるのを止めた。

「苦しいのは嫌いか?」

「嫌いに決まってるよ」

「それなら苦じゃねぇことを武器にするんだよ」

「得意なことじゃなくって?」

「どっちでも良いが、得意なことだけでやれるわけじゃねぇからな。それに選択肢を自分で減らしちゃ意味ねぇだろ」

 そういうものなのか。けども特技を活かした方が何かと良い気がするが、それはどうも違うようだった。 

「よくよく考えてみろよ。四十年だぞ。今だともっとだ。それぐらいの長い間、働くんだ。それならなるべく苦しくない場所に行きたいだろ?」

「うん」

 四十年なんて全く想像が出来ない。どうしても現実味が持てない年数に、佐藤は何となくで頷いた。倉田もそれはさすがに分かったのだろう、思案するように顎をさすった。

「ま、けど。ずっと逃げてりゃあ、それなりのことしか出来なくなる。根性論の話になるが、この手の話は嫌がるやつが多いな。お前はどうだ?」

「……まぁ、少し、好きじゃないかも」

「だろうよ。ただ、世の中根性がある奴の方が好かれやすいってのはあるな。分かりやすくいうなら、スポーツをしている奴らだ。スポーツには勝敗がつくが、負けてもあいつらは必死こいて練習して勝とうとする根性の塊だ。それで、そんな奴らの根性に惚れて応援している奴らがいる。そうだろ? 公式練習なんて、わざわざ観客の前でやっているわけだしな」

 確かに、と佐藤は頷いた。

 全部は見れないのは仕方がないにしても、一部だけでもその練習する姿を見ることはとても応援したくなるし、とにかくかっこいいと思ってしまう。それが応援している選手なら尚更だ。

 練習はまさしく努力だし、根気がいる。それこそ根性というものが無かったら続けることなんで出来やしない。実際、佐藤は今は帰宅部だが、一年生の時は練習に結局ついていけなくってアルバイトを理由に辞めてしまったことがる。

 だから倉田の言っている意味を佐藤はちゃんと理解出来た。

「努力を見せるんじゃねぇよって言ってくる奴らもいるし、見せたくもねぇ奴らもいるがそんなもん幻想だし、出来ても一握り。現実はそう甘くはねぇ。だから誰もが大学受験に向けて勉強しているだろ?」

 SNSやらで、勉強ほとんどしていなくても大学に行けたとか言っているやつのアカウントを見たことはある。もちろん嘘かもしれない。本当だとしてもほんの一握りだと佐藤は分かっている。

 だって自分は凡人。しかも何かと諦めがちな凡人だ。

 だから、今度こそ、諦めないでちゃんと選んで、進む必要があった。

「良いか。苦じゃねぇ場所に行くんだ。そしたら多少苦しいことがあっても耐えられる。ただ、楽な場所には行くんじゃねぇ。楽じゃなくなる瞬間は必ず来るからな。そん時の落差で耐えきれなくなったら終わりだ」

 きっと、倉田は経験をしたのかもしれない。楽な場所にいて、楽じゃなくなって、本当に苦しくなってしまって。

 なんて恐ろしい未来なのだろうか。けども倉田に相談して良かったと、佐藤は思っている。

「だいぶ話は逸れちまったし、また説教くさくなったなぁ」

「いつものことだから良いよ」

「ああ?」

 倉田の話はだいたいが説教だ。経験したからこその話が多いような気がするが、今みたいに一体どういう交友関係を持っているのかと疑問に思うくらいに、とんでもなく交友関係が広い不思議な人だ。

 話している途中はもちろん苛立つし、反発しかける。けども大人しく、じっと終わるの耐え抜くと、何故か不思議と頭の中がすっきりとしていた。綺麗に頭の中が整理整頓されたような、そんな感覚だ。だから再度同じことを一人で考える時、どのあたりが本当に悩んでいた原因なのかが見えてくるのだ。

 もちろんだが、佐藤はそんなことを倉田に一言だって言ったことはない。それに倉田は倉田でその後のことは一切聞かない。だからこうして気軽に相談が出来ていた。

「で、最初の話に戻るが。どこの大学に移行が、結局決めるのも、責任も自分になるからな。絶対に誰かのせいにしない所を選ぶしかないだろうなぁ」

「……そっかぁ」

「そうだ」

 そして駄目押しのように最初に聞いていたことに対しても答えてくれる。

 きっとこの倉田という人は、とてもお節介なだけの人だ。ただ常に酒臭いし、口調は乱暴で目つきだって鋭いが、中身はそれこそ世話焼き爺だ。ただ本当に、何をしていた人なのかが気になるが、聞くのが怖すぎるので佐藤はきっとこの先聞くことはないだろうと確信していた。

「もう少しいろいろと調べてみる」

「おう。後はあれだ、そこにいる教授とか調べてみろよ。案外面白いやつがいるかも知れねぇからな」

「分かった」

 そうか、どんな人がいるのかというので選ぶのもありなのかと、佐藤はたった今知った。

 さらに調べることが増えたが、相談する前に比べたらまだ気持ちは楽なままだった。

 一先ず。家に帰ったらもう一度やりたいこと、知りたいことを考え直そう。そして、そこからどんな大学があるのか調べて、そして卒業後のことも考えてみよう。それから、どんな教授がいるのかも。

 佐藤は忘れないようにスマートフォンのメモに手早く打ち込み、またポケットにしまった。

「それよりさ、酒止められているんじゃなかったの?」

「こればっかりは止められねぇなぁ」

 倉田との話はなんだかんだ楽しいとは思っている佐藤だったが、やはりこの酒の匂いだけはどうしたって好きになれないものだった。

「あ、いた! まぁた迷惑かけて!」

 さっきついでに時間も確認したから、そろそろだろうと思っていた佐藤は、急に聞こえてきた声には全く驚かずにむしろ笑顔で会釈した。

 薄っすら汗をかいて倉田と佐藤の目の前まで駆け寄って来たのは、この世話焼き爺の息子だ。毎回欠かさずに迎えにくるものだから顔見知りになり、酒を止められているという話も教えてくれた良い人だ。

 ただ見た目。とくに目元は世話焼き爺とそっくりなので、慣れないと少しだけ怖いと思ってしまうような人だが本当に優しい人なのだ。

「佐藤くん、本当にいつもいつも……」

「大変ですね。いつも」

「ええ、はい」

 額に浮かんだ汗を袖で適当にぬぐいながらいつものように言ってくるので、佐藤もいつものように返事をした。

 そして倉田はこれでもかと顔をしかめ、そっと立ち上がろうとしていた。が、その前にしっかりと息子が腕を掴んでいた。

「早く戻るよ、父さん!」

「うっせぇなぁ。ったく」

 煩わしそうに掴まれた腕を強く振って外し、おいしょ、と言って倉田は立ち上がる。そして佐藤に振り返り、にっと笑った。

「またな」

「はいはい、またね」

 倉田は満足げに笑みを深くし、逃げられないように側にひっつくようにして立つ息子を見上げて堂々を舌打ちをこぼし、ゆっくりと倉田は息子を連れてこの場から去っていった。

 残された佐藤は、上を見上げ大きく息を吐きだした。

「やっぱりあの酒くさいの、どうにかしてくれないかなぁ」

 あれがなかったらもっと話したいのに。

 とは、絶対に口が裂けても言うつもりはないが、もしそんな時があったら、どうにかして迎えを待ってもらえるように頼み込むつもりでいるのは内緒だ。

 自分の制服が酒臭くなっていないか確認しつつ、佐藤もまたきっと今日も母がおいしい夕食を作ってくれている家へと急いで帰ることにした。

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