第10話:モアイと恋の予感

日曜日の朝。


昨日の「プール騒動」の興奮も冷めやらぬ中、我が家のチャイムが乱暴に鳴らされた。


ピンポーン、ピンポーン!


(誰だろう……)


なんだか嫌な予感がする。


ドアを開けると、昨日の青年が立っていた。少し離れた家に住む大学生だ。


右手にはコンビニの袋、左手には大きな紙袋と一枚の紙を持っている。


「昨日はどうも! おかげで庭が泥だらけですよ!」


青年は眉間に深いしわを寄せていた。


「洗濯物も全滅だ。どうしてくれるんですか」


「本当に申し訳ない……」


僕は平謝りするしかない。


「ここで立ち話もなんですし、中で詳しい話を……。クリーニング代もお支払いしますので」


これだけ怒らせておいて、玄関払いで済ませるわけにはいかない。


僕が促すと、彼は少し躊躇ためらいながらも、不満げに鼻を鳴らして靴を脱いだ。


リビングに通すと、彼は部屋の中をキョロキョロと眺めた。


中古物件という外観とは裏腹に、リビングは僕が丹精込めてリフォームしたおかげで、新築のように綺麗になっている。


白を基調とした清潔感のある壁紙に、傷ひとつないフローリング。


外から見た印象とはまるで違う、快適な空間が広がっている。


「へえ……外から見た感じと全然違いますね。中は新築みたいだ」


彼は外観と内装のギャップに驚いた様子で、ソファにドカッと座った。


「結構頑張って直したんですよ」


「はあ、なるほど……。で、これクリーニング行ってきたんですけどね——」


彼が左手の請求書をテーブルに叩きつけようとした、その時だ。


「あら、お客様?」


キッチンから、お盆を持った美咲が出てきた。


白いブラウスに、淡い水色のエプロン。朝の光を背負って、ふわりと微笑んでいる。


その姿を見た瞬間、青年の動きがピタリと止まった。


怒りに歪んでいた顔から毒気が抜け、ぽかんと口を開けて彼女を見つめている。


その時突如、家の中にアラームが鳴り響いた。


「ロマンス検知!ロマンス検知!」


そんな電子音が聞こえた気がした。


カッ!


リビングの天井から、どこからともなくスポットライトが降り注ぎ、美咲一人だけを神々しく照らし出す。


さらに、閉め切っているはずの窓から、爽やかなそよ風が吹き抜け、美咲の髪をサラサラと揺らした。


『♪〜〜〜』


どこかのスピーカーから、切なくも美しいピアノのイントロが流れ始める。


「きゃっ!?」


突然の強風と照明に、美咲が小さく悲鳴を上げた。


お盆の上の湯呑みがカタカタと震える。


「も、もう……またですか……」


美咲は困ったように眉を下げ、ガクリと肩を落とした。


いくらこの家の奇行に慣れ始めたとはいえ、いきなりスポットライトがあてられれば誰だって動揺もするだろう。


彼女は「トホホ」といった顔で、乱れた前髪を直した。


「え……?」


ただでさえ見惚れていた青年の瞳孔が、演出効果によってさらにカッと見開かれる。


請求書を持つ手が震え、パラリと床に落ちた。


「……天、使……?」


彼の口から、魂が抜けたような声が漏れた。


「……お待たせしました、お茶です」


美咲はスポットライトを浴びたまま、いたたまれなさそうに湯呑みをテーブルに置いた。


「あ、ありがとう……」


彼は、ロボットのような動きで湯呑みを手に取った。


「俺……近くに住んでる、佐野と言います……」


さっきまでのチンピラ口調はどこへやら。声が裏返っている。


「佐野さんですね。昨日はすみませんでした」


美咲が頭を下げる。


「い、いえ! 全然! むしろ庭の水撒き手間が省けたっていうか! 最高の水飛沫でした!」


「……お前、キャラ変わりすぎだろ」


僕がツッコミを入れたが、彼は気にもとめていないようだ。


それどころか、この家も、彼の熱意に呼応するように「悪ふざけ」を段階的にエスカレートさせ始めた。


「あ、あの! 美咲さんは、ご家族の方ですか!?」


佐野くんが前のめりになった、その時だ。


照明がゆっくりと暗くなり、ピンク色の柔らかい間接照明だけが灯る。


どこからともなく、ムーディーなジャズピアノが流れ始めた。


「えっ……」


美咲が戸惑いの声を上げる。


しかし、佐野くんはこれを好機と捉えたらしい。


彼は居住まいを正すと、熱っぽい口調で語り出した。


「お、俺、近くの大学に通ってるんです! 工学部で!」


ズズズ……


佐野くんが自己紹介を始めた背後で、重苦しい地響きと共に床が開き、三体のモアイがぬぅっとせり上がってきた。


「うおっ!?」


佐野くんはビクッとして、思わず後ろを振り返った。 そこには、巨大な石の顔が三つ、彼を見下ろすように鎮座している。 無表情な瞳。圧倒的な質量。


「……え、モアイ?」


彼はパチクリと瞬きをした。 普通なら腰を抜かす場面だ。 しかし、今の彼の脳内は美咲への興味で満たされているのだろう。


(……いや、気にするな。金持ちの家の、趣味の悪いオブジェかなにかだろ)


彼は一瞬でそう結論付けたのか、あえてそれを見なかったことにして、バッと前を向き直った。 背後の石像なんかより、目の前の美咲ちゃんのほうが重要なのだろう。 彼は強引に意識を美咲へ戻し、挨拶を続けた。


しかし、真正面にいる僕と美咲の視線は、どうしても彼の背後――リズムに合わせて指を鳴らす巨大な石像たち――に釘付けになってしまう。


「あ、あの、後ろ……」


美咲が言いかけるが、佐野くんのトークは止まらない。


「車も持ってます! 結構デカいんで、荷物とかも積めますし!」


彼がドヤ顔でアピールすると、それに合わせてモアイ(中)が重低音で唸った。


『ブォン、ブォン! ワイルドだぜぇ……♪』


「……!?」


佐野くんは一瞬ビクッとしたが、自分の言葉に効果音がついたことに気を良くしたらしい。

さらに身を乗り出す。


「成績も悪くないですし、その、就職とかも多分大丈夫っていうか!」


モアイ(小)がすかさず合いの手を入れる。


『イェイ! 将来有望! 優良物件!』


「お、おお……なんか調子出てきた!」


佐野くんの顔が高揚していく。


家の演出が、彼の背中を猛烈に押しているのだ。


しかし、聞かされる方はたまったものではない。


目の前で繰り広げられる「恋する大学生」と「盛り上げ役のモアイ像」のセッションがカオスすぎて、正直、話の内容が全く頭に入ってこない。


美咲も、佐野くんを見ているようで、その焦点は完全に背後のモアイの鼻の穴あたりを彷徨さまよっている。


「だから、その、怪しいもんじゃないんです!」


佐野くんが立ち上がった。


それに呼応するように、モアイたちが最大音量でハーモニーを奏で始める。


『『『ドゥッ、ドゥッ、ドゥワァァァァァァァァァ!!♪』』』


天井のシャンデリアがミラーボールのように回転し、光の粒子が部屋中を舞う。


ボルテージは最高潮。


お膳立ては完璧だ。


あとは、彼がビシッとデートに誘うだけ。


(いけ! 佐野くん!)


僕も思わず心の中で応援してしまった。


ここまでされたら、がんばってほしい。


佐野くんはキメ顔を作り、美咲を真っ直ぐに見つめた。


「もしよかったら、今度大学の学祭があるんで、来ませんか!」


モアイたちが大きく息を吸い込んだ。


美咲の「はい」という言葉に合わせて、『YES!!』の祝福コーラスをぶち上げる準備をしている。


「あ、ありがとうございます……」


美咲が少し困惑しながらも微笑む。


いける。このまま二人で行く約束を取り付ければ、ハッピーエンドだ。


佐野くんは口を開いた。


「それで! あの!」


『『『(さあ来い! 決めてくれ!)』』』


モアイと僕の期待が一点に集中する。


「やっぱり二人きりだとアレなんで! ご家族として! 柊さんも一緒に来てください! 引率者として!」


時が、止まった。


『…………え?』


モアイたちの心の声が聞こえた気がした。


ミラーボールが急停止し、BGMがブツンと切れる。


吸い込んだ息を吐く場所を失ったモアイたちが、カクカクと不自然に固まった。


「……えっと、引率?」


美咲もポカンとしている。


「はい! やっぱり大人がいた方が安心だと思うんで!」


佐野くんは「誠実な提案」をしたつもりなのだろう。爽やかな笑顔で僕を指差した。


しかし、それはこの場において、最も空気を読まない「アチャー」な発言だった。


『プス〜〜〜〜〜……』


モアイたちの口から、空気が抜けるような情けない音が漏れた。


彼らは「あーあ、やっちゃったよこの子……」と言いたげに、一斉に天を仰いでガックリと項垂れた。


完璧な舞台を用意したのに、主役が自ら台無しにしてしまったのだ。


「え? あれ? なんで急に静まり返るんですか?」


佐野くんだけが状況を飲み込めていない。


冷え切った空気の中、モアイたちは興味を失ったように、無言で、かつ高速で床下へ沈んでいった。


シュパン! と蓋が閉まる。


「……」


残されたのは、気まずさだけだ。


「あ、あの……」


佐野くんはようやく「何か致命的なミスをした」ことだけは悟ったらしい。


顔色がサァーッと青ざめていく。


「と、と、とにかく! これ! よかったら食べてください!」


いたたまれなくなった彼は、持っていた「自分の朝食用のコンビニ袋」を美咲に押し付けた。


中からスナック菓子の袋が飛び出す。


「じゃあ! ま、また来ますから!」


彼は僕への文句も、クリーニング代の請求も忘れ、脱兎のごとく玄関へ走っていった。


バタン!!


激しいドアの開閉音が響く。


リビングには、美咲と僕、そして「うまい棒」が一本転がっていた。


「……行っちゃいましたね」


美咲が、転がったうまい棒を拾い上げながら呟いた。


その表情は、やはり「トホホ」という感じだった。


「……そうだね」


僕は天井を見上げた。


エアコンの吹き出し口が、ガクッとうなだれているように見えた。


「お前もご苦労様だったな」


家は何も答えない。


ただ、バツが悪そうに換気扇を強風で回し始めただけだった。


(第十話 終わり)


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