第6話 せめて少しぐらいは

 扉を開ければ、そこにはいつものようにアイリがいた。


「おはよう」


 そういってくれる彼女に、私は小さく手を振る。

 こういう時に素直におはようと言えないのは私の弱さか。挨拶ぐらいすればいいのに。そこまでの距離にはいないのかな。


「アイリ、今日は早いね」


 いつもは私が先にこの部屋に来るのに。

 別に厳密にいつ来るかと決まっているわけじゃないけれど。それこそ約束なんかしていないのだから。


「う、うん。ちょっと起きちゃって」

「寝不足?」

「……多分?」

「多分って」

「寝不足だとは思うんだけれど、あんまり眠たくはなくて」

「なら、いいけど。無理はしないほうが良いよ」


 基本的に無理をしても良いことは無い。

 特にこんな風にこの部屋でぼんやりしているだけの日々で無理をすることなんかない。

 そういうのはもっと大事な時だけでいい。まぁ、正確には無理をする日なんか来ないほうが良いんだけれど。


「……あの、レーネは祭りで何かするの?」

「え? あー……もうそんな時期だっけ」


 それで合点がいった。

 朝から外が少しばかり騒がしかったのは、それが原因か。


 外界とは隔離されているような空中要塞都市だけれど、一応そういう定型的な文化というのは流行っている。

 隔離されていると言っても、通信までできないわけじゃないから、今時の現代的感覚からすれば、隔離されているとは言わないのかもしれないけれど。


「魔法師達は、大体あれだよね。巨大光魔法術式を構築して、光らせるやつ」

「なんか……すごく味気のない言い方だね」

「そうかも」


 数人の魔法師が集まって、1つの複雑な光魔法術式を構築し、そして鮮やかな光を灯す。そういうものを祭りで披露するというか、展示するのが流行っているらしい。

 魔法師の参加率は結構高く、多くの班ができるものであることは私も知っている。魔法学校でもそうだったし。


 一応、私にも案内の手紙が来ていた気がする。

 これでも私も魔法師として登録されているから。

 別に参加する気はないけれど。


「……ああいうの、私はちょっと良いなと思うけど」

「アイリは参加するの?」


 彼女は少し目を閉じて、首を傾げる。

 まだ悩んでいるらしい。まぁ好きにすればいいと思うけれど。でも、アイリは多分この部屋から出ていく存在だろうから、そういう行事みたいなものには参加したほうが良いような気がする。


「レーネは参加しないの?」

「そうだね」

「ならいいかな」

「……そっか」


 私が判断基準なのか。そんなことをされても困るのだけれど。

 でもまぁ、アイリがそういうのなら好きにすればいいような気がする。


「本当にレーネは参加しないの?」

「うん。どうして?」

「だって……なんていうか。レーネなら、きっと歓迎されると思うけれど」


 ……アイリから見た私はどんなふうに見えているのか。

 私は弾かれてこの部屋にきたというのに。


「そうだといいけど……でも私は向いてないから。そういう……色々な人と何かをするのって」


 それは知っている。

 昔はもう少し勘違いしていたけれど。

 流石にもう18歳。それぐらいのことは知っている。


「私は多分空っぽだから」


 きっと、空虚だから。

 風が吹き抜けているような空洞だから。

 私は何かをしたいとは思わない。 


「……そんなことないよ。レーネも、だって」

「ううん。私はだめだよ。この部屋がきっと終着だから」


 思ったより強い否定が出た。

 そんなにも私は私の現状を固定化した視点で見ているらしい。

 余裕がないなぁ。もう少し気楽にいればいいのにと自分でも思う。


「アイリは私のようにはならないでね」


 心の底からそう思う。

 私みたいな自分の心すら散文的でどこにあるかわからないような人にはならないで欲しい。

 きっとアイリは、この部屋にいることが何かの間違いな人だろうから、あまり心配はしていないけれど。それに心配なんてできるほど、優しくはないだろうし。


「レーネ、は……」


 アイリの言葉が途切れる。

 考えるように、自らの髪を梳いている。

 窓から差し込む日の光も相まって、すごく絵になるというのか……とても綺麗に見える。綺麗に動くといった方がいいのか。


 光をただ眩しいと感じる私とは違う。

 そんなことを考えているうちに、アイリはまた口を開く。


「レーネは……昔、何かあったの?」


 それにどう答えようか迷う。

 答えたくないという事実をどう答えるか。

 それに悩んでいる間に、アイリは言葉を続ける。


「……話してみてよ。その、昔の事」

「どうして?」

「わ、私……レーネのこと知りたい。もっと」


 どうして。

 多分、私はそんな顔をしていたのだろう。

 だから、アイリにも何も言わずともその疑問は伝わってしまう。


「えっと。知って……理解したい。レーネのこと。だから、だからね」

「アイリ」


 少しばかり身体を寄せるアイリを呼び止める。

 そこは私の境界線だから。


「ごめんね。それは話したくない」


 誰にもそれを話す気はない。私自身にも。

 もうどこにもその記憶を留めておく気はない。

 それにきっとわかって欲しいとも思っていない。

 ただそれだけだったけれど。


「……私が隠し事してるから? だから話してくれないの?」


 アイリはそんなことを言う。

 けれどそれはあまりにも的外れで。


「違うよ。ただ誰にも話したくないだけ。だからアイリも話さなくていいよ」


 無理に秘密を暴いたって良いことはない。

 ただ苦しいだけで。

 互いに触れたくないところには触れなければいい。


 それなのにアイリは本当に悲し気に顔を伏せるものだから。あまりにも悪いことをしたような気になる。

 けれど、彼女にかける言葉は思いつかない。


「……そっか」

「うん」


 沈黙が舞い降りる。

 今までだって沈黙がなかったわけじゃない。

 けれど、今回はどこか違う。

 なんだか気まずい。

 それは多分、私のせいなのだけれど。


 時間だけが過ぎていく。

 今日という日ほど何かが起これと思った日はない。

 不謹慎かもしれないけれど、融合体の1体でも現れてくれれば、まだ話す話題もあるかもしれないのに。


 こんなにも2人でいることは気まずいことだったっけ。

 困るなぁ。こういう時どうすればいいかわからない。


 もう帰ってしまおうか。日が落ちるまでもう少しあるけれど。

 いや、それはまぁ不自然だし。そうする理由がない。

 まぁ景色でも眺めておこう。アイリがこの部屋に来るまではそうしている時間も長かったし。

 

「そろそろ帰るよ」 


 日も落ち始め、夕日が流れるぐらいに、私は立ち上がる。いつもはもう少し長くいるけれど、今日は帰りたくなった。


「うん」


 アイリも当然のようについてくる。

 けれど、言葉はない。

 多分、何かを話すべきなの事は私にもわかっているけれど。

 でも、何を話せばいいのかわからない。

 ちゃんと考えていないからか。それとも元より私の中に言葉がないからか。


「それじゃあ、ここで」

「……うん」


 いつもの交差路で彼女は小さく手を振る。

 いつもここで別れている。彼女の住む場所はここから右側で、私の住む場所は左側だから。


 多分、今日もそうして別れたのなら、きっと致命傷になる。

 私達の曖昧な関係は曖昧なままでもいられなくなる。きっと薄らとした霧のように掴むこともできないものになる。見えているけれど見えないものになってしまう。


 きっと明日も会えると思う。あの部屋で。

 それはなんとなくわかるけれど。

 でもきっとこのままじゃ頻度は減る。

 アイリと会わない日が増える。

 そんな気がする。


 具体的な理由があるわけじゃなくて。

 いや、具体的な理由がないからこそ。

 心のどこかでそんな風にはならないと楽観している。

 だから、こんなに私達は足踏みしている。


 それはきっとアイリも分かっている。

 だから、別れの言葉の後もこうして留まっている。

 でも、私は心の中に言葉が見つからない。

 心が欠けているから? 私の心が空っぽだから?


 心よ動けと願っても。その心を動かすほどの理由を用意できない。

 私の心は何も答えない。ぴくりとも動かない。

 そして世界はそんな私を待ってくれるほど優しくはない。


「……ばいばい」


 アイリはそれだけ言って、背を向ける。

 視界が狭まる。

 視界に孤独が溢れかえる。

 息が詰まる。


「ゃ……」


 声が漏れる。

 けれど言葉にはならない。

 小さく手を伸ばしても、アイリには届かない。

 だから声を出さないと。


 転けそうになる。

 挫けそうになる。

 けれど、彼女は私に歩み寄ってくれたのだから。

 天秤を均すのなら。


「アイリ」


 呼び止める。

 彼女は流れるようにくるりと振り向く。

 少しばかり泣きそうで、どこか期待したような顔を見ると、心が詰まるけれど。でもきっとそうさせたのは私だから。


「またね」


 そう言ってみる。

 そう言ってみたくなった。

 ただの気まぐれに近いものだったけれど。

 けれど。


「……うん。また明日」


 アイリがこんなにも嬉しそうに笑ってくれるなら、言ってよかった。彼女の嬉しそうな声は自然と心の内に入り込んでくる音だから。

 

 だから、少しだけ私を許してあげられるような。

 そんな気がした。

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泡沫少女は願わない ゆのみのゆみ @noyumi

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