第5話 遠い現実
くるりと布団の上で寝返りをうつ。
もう夜も深く、窓の外は星明りが照らしている。
けれど、上手く眠れない。その理由は多分、今日のことのせいだろう。
今日の昼のことを思い出す。
私はまた答えを間違えた気がする。
素直に「約束する」とでも言っておけば良かったのに。
でも、上手く声がでなかった。
約束。
それができなくなったのはいつからだろう。
何が原因かはもう覚えていない。
私が覚えているのは結果だけで。
ただ自分を信じられなくなったから、約束ができなくなった。
それだけのことなのだと思う。
いつからかはわからないけれど、長期的な約束を守れると思えなくなっていた。
けれど、アイリと同調率測定に行く約束はできた。
あれは多分、あの日が異常な日だったから。あの日だけ約束を守ればよかった。
『ずっと会いたい』
あの言葉に上手く頷けなかった。
アイリと会いたくないわけじゃない。それどころか、彼女と話すのをきっと楽しんでいる。自分でも意外なほどに。
でも、約束できるほどじゃない。
きっと明日は楽しく話せると思う。明後日も。
でも、その後は。未来はわからない。
そこまで私がアイリと仲良くしている自信がない。
そのせいで未来にも彼女があの部屋にいるのがあまりにも想像できないから、上手く頷けなかった。
「まだ、非日常かな……」
私のか細い声は暗闇の中に溶けていく。
アイリと会うということは、まだ私にとっては日常ではなくて、異常事態らしい。
だから、それが日常化してしまう約束ということが上手く馴染まなかった。
きっと彼女はそこまで考えて口にしたわけじゃない。ただ単に、今までなんとなくで集まっていた事柄をはっきりさせようとしただけなのだろうし。
でも、それはあまりにも意志が強すぎる。
曖昧じゃ、いけないのかな。
別に曖昧だって良いのに。
そうすれば互いに気楽なのに。
約束なんてしてしまえば、そこに強制力が産まれてしまう。
それはあまりにも苦しい。きっと私はその約束を守れないから。
アイリにはその約束を守る自信があるということなら、その意志はあまりにも私とは違う。
「なんで約束なんか……」
思い返してみれば今日のアイリは少しおかしかった。
急に約束しようと言い出したこともそうだけれど、その前も私のことを急に優しいとか言い出したりして。
まだ彼女と出会ってからは3カ月程度だけれど。
でも、最近のアイリは少しばかり変な気がする。
別に嫌な気はしないけれど。
少し前はもっと何にも興味なさそうだったのに。
今は色々なことを話してくれる。
それはありがたいけれど。
何かあったのかな。
それこそ、この前の同調率測定とか。
うーん。まぁ考えても仕方ないことのような気がする。
けれど、やっぱり彼女は私とは違う存在ということなのだろう。
彼女が私よりも魔法師らしいというか……そういう存在であることはわかってきたけれど、正確には分からない。きっと私にはわかることではないから、深く考えようとは思わない。
それでも何かあったことは分かる。
何かあったにしても、どうしてあんなこと。
私達は所詮、ただあの部屋で出会っただけの他人なのに。毎日会いたいなんて、友人にも言わないような気がする。
あれはどちらかといえば、家族かそれとも……
「恋人……」
誰もいない家の中で口に出してしまえば、あまりにも傲慢過ぎて苦笑が漏れる。
それはあまりにもありえない言葉だったから。少しばかり仲良くなった人が自分のことを特別に好きだと思い込むなんて、随分と傲慢なことだろうし。
……私は昔からそういうところがある。というのは少し他人事過ぎる気もするけれど。けれど、この自然と生まれ来る傲慢的な感情はあまりにも自分のものというには恥ずかしすぎるというか。そこまでは認められない。
これも私の弱さかもしれないけれど。
でも、私の中にこういう私が存在していることもそろそろ慣れてきた。それを認めるほどには強くなれてはいないのだけれど。
でも、認めるべきはアイリは私のことをそれなりに好いていてくれているということだろう。それと、彼女は私と会うことを求めているということも。
……それはありがたいことなのだろうけれど。
もちろん、私も彼女を嫌ってはいないけれど。
「少し煩わしい」
自らの口から洩れた言葉が私の思考の中を漂う。
自分の頬に爪をたてる。そんなことを言うのか。私は。
寂しいと思っていたのに。
誰かと話したいとぼんやりと願っていたのに。
実際に話してくれる誰かが現れれば、それを煩わしいだなんて。
やっぱり私はあの頃とは変わっていないのか。
まぁ変わっていたら、もう少しばかりは認めてあげられるだろうし。私は私のことを。
でもやっぱりアイリの距離は近いような気もするけれど。
私としては、そんなに彼女が私を好いてくれる要素は無いような気がするけれど。それとも友人というのはあれぐらいが普通なのかな。距離が近く感じるのは、私が冷たいからというだけで。
……それよりも最もらしい説明としてあるのは、アイリはもう少し現実に生きているからかもしれない。
あの部屋から飛び出して現実に。いや、彼女にとってはあの部屋も現実なのかな。
流れる音がする。
幻聴。もう何度も聞いた。泡が漂う音。
そして目を閉じれば見える。
周囲を流れる泡が。
また泡が大きくなっている気がする。
私はまだそんな空想ともいえない虚ろな世界の中にいる。これまでも、これからもずっと。
この目の前にある自分の手すら、あまり現実のものとは思えない。私の心は現実にはいないということらしい。そのことに気づいたのはここ1年程度のことだけれど。
だから、あの部屋は私にはふさわしい部屋で。
あの部屋は現実から切り離されているのだから。
あの場所は誰も来ない。誰も知らない。
融合体が来る戦場とも、それに備えている魔法師達とも、空中要塞都市を支える人やその家族とも……全てから隔離されている感じがするから、あの部屋にいるのだけれど。
きっとアイリにとってはあの場所も現実で。
だから、私にもあんなに心を近づけてくれるのかな。
私だってそれが嫌なわけじゃない。
アイリのような子と仲良くなれるのなら、別に何も抗うことなんてないような気がするけれど。
「怖いのかな」
結局はそれか。
私が怖がっているのは。
約束ができないのも。
アイリが少しばかり煩わしいのも。
全部怖いから。
私がもっとも怖がっていることは、ようやく失った孤独がまた訪れること。それを恐れている。
もしもアイリに嫌われるようなことがあれば、また孤独になる。それは考えるまでもない。
だから、長期的な約束は困る。約束を守れる自信がないから。
だから、彼女が近づいてくるのは困る。私の精神性はそこまで綺麗ではないから。
けれど、このままではきっといつか孤独に逆戻りになってしまう。
それこそ今日のように。
上手く返事ができなくなってしまう。
きっとアイリを傷つけた。
「はぁ……」
それを望んだわけじゃない。
でも、アイリも不用意にこちらに近づきすぎないで欲しいけれど。
まぁ……明日もあの部屋には行こう。それぐらいが私にできる最大限の歩み寄りなのだから。
これ以上歩み寄れないというのはあまりにも弱いけれど。
でも、これぐらいでアイリには満足してほしい。
私の心はそれぐらいには空っぽなのだから。
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