第10話

 セルマ先生――いや、セルマさんの特訓は、想像以上に厳しかった。

 最初は手のひらに炎の光を灯すだけでも難しくて、魔力が散っては失敗の繰り返しだった。


「焦らないで。はい、もう一度」


 セルマさんの穏やかな声が背中を押してくれる。

 その言葉に従って深呼吸し、意識を集中すると、指先に淡い赤が宿った。


「……っ、出た!」


「よくできました。はい、休憩。お昼にしましょう」


 昼食をはさんで、午後も練習を続けた。

 何度も失敗して、何度も呪文を唱えて――気がつけば、夕暮れの光が庭を赤く染めていた。


 そして。


「……っ、燃えた!」


 掌ほどの小さな炎。

 ほんの少しの熱が、確かな成功の証だった。

 セルマさんは目を細めて笑う。


「うん。まだまだ形は不安定だけど、ここまで一日でできるなんて、上出来よ。頑張ったわね、アル」

「ありがとうございます、セルマ先生」

「ふふ。素直でよろしい」


 その時、玄関の方から声がした。


「ただいまー!」

「戻ったぞー!」


 ザーハさんとフィオナさんが帰ってきたのだ。


「おかえりなさい!」


 駆け寄ると、フィオナさんの腰に光を反射する剣が下げられていた。


「それ……新しい剣ですか?」

「うん。ザーハに選んでもらったの。少し軽めだけど、握った感触は悪くないわ」


 嬉しそうに柄を撫でるフィオナさん。

 僕は興味津々で覗き込む。


「へぇ……かっこいいなぁ」

「ふん。フィオナのだけじゃなくて。アル、お前のもあるぞ」

「え?」


 ザーハさんが背中の荷から一本の剣を取り出し、僕の前に差し出した。

 それはフィオナさんのものより少し小振りな剣だった。


「これ……?」

「お前の誕生日プレゼントだ。防具はまた今度な」

「――っ!」


 言葉が出なかった。

 胸の奥から熱いものがこみ上げてきて、気がつけばザーハさんに飛びついていた。


「ありがとう、ザーハさんっ!」

「お、おいおい、泣くなっての」


 照れくさそうに笑いながら、ザーハさんは僕の頭を軽く撫でた。


「これからは、あたしが本格的に鍛えてやる。覚悟しとけよ」

「うん!」


 その言葉に、僕は嬉しさの笑みがこぼれた。


◇ ◇ ◇


 夜。

 ザーハさんの手料理がテーブルいっぱいに並んでいた。

 焼き肉、野菜のグリル、そして――見事なホールケーキまで。


「ザーハさんが……料理を?」


 フィオナさんが驚いたように目を丸くする。


「普段は面倒でやらねぇけどな。アルに料理を教えたのはあたしだからな」


 そして、楽しい夕食の時間はあっという間に過ぎていった。


◇ ◇ ◇


 風呂から上がり、髪を拭きながら脱衣所を出ると、何故か全裸になっていたザーハさんとばったりすれ違った。

 順番的には、ザーハさんは僕の次にお風呂に入るのだが、待ちきれなかったのだろうか。


「あ、アル。もう出るのか?」

「う、うん」

「そ、そうか。風邪ひくなよ」


 急に心臓が早くなるのを感じながら、僕は急いで着替えを澄まして足早で自室へ向かう。

 そして扉を開けるとそこにいたのは、フィオナさんだった。


「あれ? フィオナさん……?」


 振り返った彼女は、少し照れくさそうに笑った。


「ザーハにお願いしたの。今夜は……私がアルと一緒に寝るわ」

「え?」

「誕生日プレゼント。……マッサージと、一緒に寝ること」


 どこか照れたように言うフィオナさんの顔が、夕食の灯りよりも暖かく見えた。

 僕は言葉もなくうなずくと、ベッドに腰かけた。

 フィオナさんは優しく僕の肩に手を当て、静かにマッサージを始める。


「少し力、入れるね。……痛くない?」

「だ、大丈夫です」


 不思議と、心までほぐれていくようだった。

 柔らかな指先の感触と、落ち着いた声に包まれて――一日の疲れが、少しずつ溶けていく。


「……終わり。どう? 少しは楽になった?」

「は、はい。すごく……気持ちよかったです」

「ふふ。もしまた疲れたら、いつでも言ってね」

「……うん」


 そう言って、二人並んで布団に入った。

 目の前にあるフィオナさんの顔が、近すぎて直視できない。

 心臓の音がやけに大きく聞こえる。


 だ、だめだ……寝ないと……


 そんな自分を誤魔化しながら、僕はぎこちなく目を閉じることにするのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

記憶喪失の女冒険者を拾った村人の少年 @dekamilk

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ