1クールのおじさん
詣り猫(まいりねこ)
第1話
開店20分前。
バーテンの内田がテーブルを拭いていると、ドアが勢いよく開いておじさんが入ってきた。
「こんばんは!」
「こんばんは……」
おじさんは当然のように窓側のカウンター席に座りこみ、「いつもの」と注文する。
「あの……すみません。まだ準備中でして……」
「いいよいいよ気を遣わなくて、そんなの話しながらでも出来るでしょ?」
そう言いながら、左の首筋に左手を添える。変わった癖だな、と目についた。
「あっ! 駄目だよ〜 ピンクのダスターで拭いてたの? それは水回り用。テーブルはグリーンでしょ〜」
一重の鋭い目つきが光った。指摘され、思わず内田は謝る。これは先日、マスターの早瀬に注意されたばかりだった。
「君素直だね〜、新人? 名前は?」
「う……内田ですけど」
「内田くんか、よろしくね。俺は
「はぁ…」
「それと俺のいつものは、黒ビールとチョリソー、覚えといてね!」
「分かりました……」(面倒くさい人だな)
「じゃあ、いつものお願い」
「だから……今は準備中でして……」
「内田くん、注文受けなくていいよ」
早瀬はトイレから出てくるなり、そう指示した。冬島を見て、顔をしかめる。
「やっぱりあんたでしたか……」
「つれないな〜。早瀬くん、俺は売上げに貢献してあげようと思ってきたんだよ〜」
「頼んでないです……それに、あんたうちの店出禁ですよ」
「へっ、そうだっけ?」と、冬島はわざとらしくトボける。
「誤魔化すな。早く帰ってくれ! あんたに出す酒はない!」
早瀬がきつい口調で言うと、冬島は豹変する。
「おい…それが客への態度か!」
「もう客じゃない!」
怒声の応酬。
冬島は、椅子を蹴り飛ばして出ていった。 内田は絶句したが、早瀬は何事も無かったように椅子をもとの位置に戻した。
「内田くん、あの人はね……」
早瀬は、冬島がこの店でなにをしたかを淡々と語りだした。
開店前、閉店後に平気で居座る。店員へのカスハラ気味の態度。無理な新メニューの強要。頻繁なツケ飲み。
それぐらいなら早瀬もまだ目を
新規の若いカップルが、カウンター席に座った。離れた席に居たはずの冬島が近寄っていき、彼女の方にしつこく絡んだ。
何度か早瀬は注意したが聞かず、彼氏の方がついに怒った。喧嘩になり警察沙汰に。それで冬島を出禁にした。
以降、そのカップルは一度もこの店に来なくなった。
「けっこうヤバい人ですね……」
内田は神妙な表情になる。
「もし今度来たら追い返して。ゴネたら警察呼んじゃっていいから」
「はい」(嫌だな……来ないでほしいな)
「まあ、しばらくは大丈夫だけど、また3カ月後に現れるよ」
「何で分かるんですか?」
「あいつはだいたい一周してまた戻ってくる」
飲み屋同士の情報は速く、すぐに早瀬の耳に入る。冬島はいま他店でも続々と出禁になっているらしい。
だんだん行ける場所がなくなり、ほとぼりが冷めた頃にもう一度やって来るのだとか。
その周期がだいたい3カ月。
「注意して見ておきますね」
◆◆◆◆◆
内田は警戒していたが、3カ月経っても現れなかった。
変わった事といえば、ネットのクチコミを見つけたことだ。
【店長の早瀬の態度が悪い!】という、☆1の書き込みがあった。早瀬と彼が揉めたあの日の日付だ。
冬島に違いない──
早瀬に報告すると、「そんな奴だからね」と乾いた口調で言い捨てた。
翌週の金曜、開店15分前だった。
準備をしていると、
「すいません、やってますか?」と
振り向くと、見たことのないおじさんが立っている。
「ごめんなさい、まだ開店前でして」
「そうですか……でも15分くらい歩いてきたんですよ。すごく喉が渇いているので、一杯だけでも駄目でしょうか?……」
この日は熱帯夜。30℃ある。彼を見ると顔や首すじから多量の汗が噴き出していた。二重の大きい目が悲しそうに潤んでいる。
(本当は駄目だけど……まぁ、良いか。なんか可哀想になってきた)
「席、座ってください」
「ありがとう!」
おじさんは窓側のカウンター席に座った。
「少々お待ちください」と、 内田は水と灰皿とおしぼりを用意した。「どうぞ」とメニュー表も手渡す。
そのタイミングで買い出しから早瀬が帰ってきた。おじさんに「いらっしゃいませ」と挨拶し、レジ袋を持ってカウンターの中に入る。
「黒ビールとチョリソーでお願いします」
(え……)
内田は一瞬固まる。
冷蔵庫に食材を仕舞っていた早瀬が振り返り、じっとおじさんを見た。
「あの……どうかされましたか? 私の顔に何か付いていますか?」
「……冬島だな」
早瀬が言葉をぶつける。
「へ、冬島? わたしは岡田という者ですが」
「白々しい。嘘をつくなよ」
途端、おじさんは目がすわり、くすくす笑いはじめた。
「早瀬くんさ〜、何で分かるわけ?」
彼は左の首筋を左手で添えた。
「トボけ方も、その癖もあんたなんだよ」
「イケると思ったのにな〜……」
刹那、内田に寒気が走る──
(嘘だろ……顔も声も違うのに……それってまさか……!)
生唾を飲んだ。
よく見ると、独特の嫌な感じはそのままこびりついていた。他人を嘲笑って面白がるような声の響き……。
おもむろに冬島は煙草を取り出し、それに火を点けた。
「おい、さっさと出ていけよ!」
「1本だけ吸わせてよ、そしたら出てくからさ〜」
ゆっくり煙を吐き、語りだす。
「俺はさぁ〜、この店が大好きなんだよね〜」
と、カウンター席をそっと撫でた。
「そんな俺を、君は追い出すのかい?」
「当たり前だろ」
「俺がこの店大きくしてやったのによぉ〜」
内田は警察を呼ぶか迷っていた。
だが冬島は、本当に1本だけ吸って「じゃあな、二度と来ねえよ……」と静かに去っていった。
早瀬は苛ついた表情で、その背中をいつまでも睨みつけていた。
「さすがにもう来ないですよね?」
内田は不安そうに聞く。
「いや……甘いね」
去り際の冬島が思い浮かんだ。ただの常連の顔をしていた。それが怖かった。
きっと、あいつはまた来る……。
(終)
1クールのおじさん 詣り猫(まいりねこ) @mairi-neko
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