正統な評価

 あの後イザナは急に別の予定が入ってしまったということで一旦別れ、わたしは嫌な思い出が鮮明に残っている窓口へと足を向けた。

 特に迷うこともなくズンズンと歩いていく。

 

 こうしてみると本当に自分の能力が強化されていることを感じる。


 ――あれ?


 特に迷うこともなく、足が自然と進んでいく。

 

 おかしい。


 わたしは、方向音痴だったはずだ。一度行った場所でも、二度目には必ず迷う。それが当たり前だった。

 駅から家までの道を何度も間違えた。親戚の家に行くのに、毎回電話で道を聞いた。学校の廊下ですら、たまに迷った。そんな自分に呆れながらも、それが「わたし」だった。


 なのに今は、迷わない。

 まっすぐ、目的地へ。まるで道が頭の中に刻まれているみたいに。GPS機能でも搭載されたみたいに、正確に、淀みなく。


 でも、その感覚が、どこか怖い。

 本当の自分じゃないみたいで。まるで誰か別の人間が、わたしの体を操縦しているみたいで。


 昔のわたしなら――いや、「昔」っていつだろう。

 記憶がないから、「昔」がどんなだったのかもわからない。

 でも、確信だけはある。わたしは、方向音痴だった。道に迷って、焦って、誰かに助けを求めていた。そういう自分が、確かにいた。


 それなのに、今は違う。


 ――わたしは、変わってしまっている。


 髪の色だけじゃない。体の中身も、少しずつ。

 本当の自分が、遠ざかっていく。指先から砂がこぼれ落ちるみたいに、少しずつ、少しずつ。止められない。止め方もわからない。

 

 いつか、完全に別人になってしまうんだろうか。

 「わたし」がいなくなって、別の何かになってしまうんだろうか。


 そんな悲しい確信を持ちながら歩いていくと、無事に目的地にたどり着いた。

 皮肉なことに、迷わずに。


 

 ▽▲▽

 

 現地につくと、この前長蛇の列に並んだ挙げ句門前払いを食らい、再度並び直して長時間待たされたという苦い記憶が蘇ってきた。

 今度こそは間違えないぞ、と列を確認する。


 今回は前回と異なり、列の長さに明らかな違いがあったためわかりやすかった。そして、もう1つ。明らかな違いに気がついた。


 初回限定の列に並んでいる人は、そのほとんどが黒髪だったため、よくよく見れば一目瞭然なのだ。

 ……まあ、髪の色が変わっていくという仕組みはつい先程知ったため、最初のわたしに「気づけ」というのも酷な話だったか。


 ――ああ、そうか。


 胸の奥で、何かが冷たく沈んでいく。

 初めての人は、まだ色が変わっていない。元の髪色のまま。

 本当の自分のまま。


 でも、2回目以降の列に並ぶ人たちは違う。赤、青、緑、紫、橙――色とりどりだ。

 みんな、変わってしまっている。


 わたしも、その一人。


 前髪を触る。紫と橙の髪が指に絡む。

 これは、わたしの色じゃない。わたしの髪は、黒かったはずなのに。ストレートで、少しだけ癖があって、雨の日は広がって――そんな些細なことすら、もう曖昧になっている。


 よくよく周りを観察してみれば違いは明らかだった。

 黒髪の人たちはどこか不安げで、戸惑っている。きょろきょろと周りを見回し、隣の人に小声で何か尋ねている。表情には緊張と恐怖が浮かんでいる。

 まだ、ここに慣れていない。死を受け入れられていない。


 でも、色が変わった人たちは違う。

 淡々としている。慣れている。受け入れている。無表情で、感情の起伏が少なくて、まるで機械みたいに。


 ――わたしも、いつかあんなふうになるんだろうか。

 感情を失って、ただ淡々と任務をこなすだけの存在に。

 

 

 「――あら、今度は早かったわね」

 

 いつの間にか自分の番が来ていたようで、前見た女性に微笑まれる。

 その笑顔が、妙に温かく感じた。

 ここに来てから、初めて「覚えててもらえた」という実感が湧く。


 名前がなくて、記憶もなくて。

 誰もわたしを知らない世界で。

 わたしが誰なのか、自分でもわからなくて。

 でも、この人はわたしの顔を覚えていてくれた。


 それだけで、少しだけ嬉しかった。

 存在を認められた気がした。わたしは、ここにいる。消えていない。まだ、存在している。


 「はい、ルイーズさんのありがたーい講評の時間よ」


 どうやら目の前の女性の名前はルイーズさんというらしい。

 藍色の髪を低い位置で1つにまとめ、シンプルなメガネを掛けた女性だ。この人が常にこの窓口にいてくれるなら比較的早く名前と顔を覚えることができるだろう。


「はい、今回はA評価ね」

「ありがとうございます」

 

 前回のような酷い結果ではなく、ほっと胸を撫で下ろす。

 悪い評価が続くと罰則があるとのことだったので、安心感も一入だ。

 

「というか基本的に1回目の評定はA以上になるように出来てるんだけどね」


 いや出来レースかい。


「上司同伴での作業になるし、そこまで難しい業務は回ってこないから当然なのよ」


 初回限定特典ということか。ありがちなやつだな。まるでゲームのチュートリアルみたいだ。

 

「なるほどです。……でもその場合、初回でA以下の評価を取ったらどうなるんですか?」

「目立つわね。よっぽど出来が悪い子ってことだから」


 ……ん?

 ちょっと待て、この場合わたしは初任務がC判定として記録に残ってしまっているのではないだろうか。

 いまいち制度が掴みきれていないが、今後に影響を及ぼすのだとしたら目も当てられない。


「あの、すいません。わたしの場合は前回と今回、どちらの業務が初回任務として扱われるのでしょうか……」

「あぁ、たしかにややこしくなっちゃってるわねぇ」


 うーんと考え込んだ後、ルイーズさんはお手上げというジェスチャーで首を振った。


「まあこの件も上に持っていくわ。あなたは結果の伝達を待っていて」

「お手数をおかけします……」


 自分は悪くないとはいえ、また人の手を煩わせてしまう。

 罪悪感は拭えない。


「では上司の方に次の業務について説明してもらってきてね」

「あの、1つ質問をよいでしょうか」

 

 疑問点は早めに潰す。そうでないと流れに飲み込まれる――前回で学んだ教訓だ。

 

「あら、何かしら」

「どうして評定のあとに、この場で次の任務を配らないんですか?そのほうが効率的な気がします」

「あー……」

 

 流暢に喋っていたはずのルイーズさんが口ごもる。

 どうしたんだろう、なにか良くないことを聞いてしまったのだろうか。


「あのね、そこは担当部署が違うの。私たちにはどうしようもないわ」

「なるほど……」


 なんだかよくわからないが、大人にはややこしい事情というものがあるのだろう。役所じゃないんだから、もっと柔軟に対応できそうなものだけど。

 腑に落ちないが、ここで不平不満を述べて暴れても別に事態は進展しないため、黙って指示に従っておくことにする。

 ……この状態で「何ができるかは自分で考えなさい」とか言われてもあまり説得力がないんだがなぁ。


 

 ルイーズさんにお礼と謝罪を伝えた後、イザナの待つ小部屋へ向かう。

 簡潔に評価のことを説明すると、イザナはふむと頷いて告げた。

 

「では今度は一人で業務をこなしてもらおう」


 いや展開早くないですか。


「3回ほど業務をこなしてもらって、平均を測りたいという上からのお達しだ」


 まるでわたしたちが実験対象であるかのような物言いだ。

 ノックの回数の主流が3回である、というような意味だろうか。


 1回であればただの物音、2回であれば偶然物音が重なった可能性があるが、3回であれば人為的な可能性が高まるから……と、どこかの文献で読んだことがあるような気がする。

 いや、業務に関しては1回目から人為的だから正確な例えではないような気がするが。まあどちらにせよ平均値を取るためには必要なのだろうか。


「というのもあるが、実質建前のようなもので、実際は業務が立て込んでいるからだ」

「かなり赤裸々な理由ですね」


 飛ばされた地点でなんとなく作業をしているだけなので、忙しいかどうかなどがさっぱりわからないが、まあ下々のものは粛々と指示に従うだけだ。

 社会の歯車としての教育を受けている側からしたら、帰属意識なんてこんなもんである。


 指示された場所に向かうと、紅白の髪の男性――ヴァルが待っていた。

 よく見なくても何でも、ヴァルだった。

 

 ――え。


 足が止まる。胸の奥が、またざわついた。


 白と赤の髪。軽薄な笑顔。派手な外見。


 ――嫌だ。


 また、あの感覚が戻ってくる。

 苦手意識。拒絶感。

 でも、理由がわからない。なぜこんなに嫌なのか、自分でも説明できない。


「お、さっきぶりだな」


 ヴァルが軽く手を上げる。

 その仕草が、妙に眩しく見えた。


「あ、はい」


 声が震えていた。

 なんで、こんなに緊張しているんだろう。さっき会ったばかりなのに。


 再会が早すぎて、もう笑うしかない。

 でも、笑顔が引きつっている自覚がある。


 ヴァルは気づいているだろうか。わたしが、彼を苦手だと思っていることに。


「今回はちゃんと指示通りに来たんだよな?」

「はい、イザナさんから指示を受けて来ています」


 流石に懲りたのか、ヴァルが丁寧(当社比)に確認手順を踏んでくる。

 こちらとしても初回のような大事故は困るため、ありがたい配慮だ。


 ――ありがたい、のに。

 なぜか、素直に感謝できない。


 胸の奥で、何かが軋む。まるで、拒絶しているみたいに。心と頭が別々のことを言っている。頭では「感謝すべきだ」とわかっているのに、心が拒否している。


「んじゃまぁ、頑張れや」

「……」


 ヴァルの言葉は、優しかった。

 悪気はない。

 それはわかる。


 でも、どうしても、苦手だ。この感覚が、嫌だ。

 自分でも理解できない。なぜこんなに拒絶してしまうのか。


 あとはポータルに足を踏み入れるだけ、というのはわかっているが、いざ視界に入るとみぞおちのあたりがきゅっとなってしまう為戸惑ってしまう。

 移動時に二度もダウンしているからか、不安は強い。


「お?どうした?」

「あの……」


 わたしは今まで2回とも体調を崩している。

 時間制限があるタスクも存在するとのことだったし、わたしがダウンしていたら大勢に迷惑をかけてしまうのではないだろうか。


 「……なるほどな」


 ヴァルは少し考えた後、小さなストラップのようなものを差し出してきた。


「じゃあこれ貸してやるよ」

「えっ」


 手のひらに乗せられたそれは、白と赤の糸で構成されていた。ご祝儀袋に付いているなんと言ったか……そう、水引だ。


 紅白の結び目が、小さく美しい。繊細に編まれた糸は、まるで職人技のようだ。光を受けてほんのり光る質感が、どこか神聖な雰囲気を纏っている。ヴァルの和服によく似合うなー、と思いながら眺める。

 ……それが自分に向けて差し出されていることに気がついて、慌てて意図を尋ねた。


「これは一体何で、どんな効果があるんですか」

「あー」


 説明しようと口をパクパクさせたが、簡潔にまとめるのが難しかったようで、ボリボリと頭をかきながら笑った。


「まあ、お守りってやつだ」

「いいんですか」

「絶対聞くって確約はできねぇが、まあお試しで持って行ってみ」


 戻ったとき忘れずに返してくれればいいからさ、と明るく笑うヴァル。


 その笑顔が、今までより少しだけ温かく見えた。

 その言葉に少し肩の力が抜ける。

 水引を握った瞬間、不思議な温かさが手のひらに広がった。


 まるで、誰かの手を握っているみたいに。優しくて、温かくて、安心できる。

 子供の頃、怖い夢を見た後に母親が手を握ってくれたときみたいな。そんな、遠い記憶を思い起こさせる温かさ。


 ――これなら落っこちてもなんとかなるかも。


 妙な安心感が湧いてきた。

 いや、ポータルを踏む、イコール落ちると表現していいのかもわからないけれど。

 

「……ありがとうございます」


 水引を握りしめる。紅白の糸が、手のひらに食い込む。


 ヴァルは苦手だ。

 でも、この人は、悪い人じゃない。

 それはわかる。少しずつ、わかってきた。


「おう、気をつけろ」


 初めて、穏やかな気持ちでダイブできた。

 水引を握りしめたまま、ポータルに足を踏み入れる。


 ――落ちる。


 その感覚が、妙に懐かしく感じた。

 ふわっと、体が浮く。重力から解放される。

 怖いはずなのに、怖くない。

 水引が、わたしを守ってくれている気がした。

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2025年12月11日 20:00
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死後のお仕事〜安らぎはどこ?任務が待ってます〜 カタラーナ @catalana7

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