言い争い

 上司の指導のもと、どうにか任務を終えたわたしは白い空間へ戻ってきた。

 

 意外だったのは、仕事が終わると湧き出るキラキラだ。


 任務を終えた瞬間、この前と同じように目の前に光の粒が舞い降りてきた。

 きらきらと輝く、雪のような、星のような。まるで無数の蛍が一斉に舞い降りてくるみたいに、光の粒は空間を満たしていく。近くで見ると、一つ一つが微かに色を帯びているようにも見える。淡い金色、薄い銀色、ほんのり青みがかったもの。

 思わず手を伸ばすと、光は手のひらに吸い込まれていく。触れた瞬間、温かい。ほんの少しだけ、優しい温もりが指先から伝わってくる。そして次の瞬間にはすっと消えて、手のひらには何も残らない。

 

 わたしは必死にお椀の形に手を構えて、次々と降ってくる光を受け止めようとする。まるでゲームの初心者が夢中でアイテムを集めているみたいだ。我ながら必死すぎて少し恥ずかしい。


 でも、イザナの様子がおかしい。彼は淡々と、何かを掴んで整理している。

 まるで書類を扱うように。


「……イザナさん、それ、何なんですか?」

「ん? ああ、報告書だろう」


 報告書?

 わたしの目には光の粒にしか見えないのに、イザナには最初から「書類」に見えているらしい。お椀の形に手を構えて必死に光を受け止めるわたしを横目に、上司は首を傾げてひと言。


「君は案外、器用なのだな」


 ……え、案外?

 この短期間でわたしの印象が「不器用」に傾いていたとでも?

 心外だ。


 まあ確かに、飛んできたボールを避けられなかったり、階段で足を踏み外したりするタイプではあるけれど――。


 ――階段。

 また、あの記憶が頭をよぎる。


 長い階段。

 金属の手すり。

 危うく足を踏み外しそうになった、あの感覚。

 

 下を見たときの、吸い込まれるような恐怖。

 足元が、ふわっと浮いた感じ。

 心臓が、きゅっと縮む。

 手すりを掴んだ手のひらに、冷たい金属の感触。

 

 ――落ちたら、どうなるんだろう。


「……大丈夫か?」

「あ、はい。大丈夫です」


 イザナの声で我に返る。

 いや、そんな話は今どうでもいい。慌てて頭を振って、記憶を追い払った。


 ともあれ、白い空間に戻ってきたわたしは、書類を提出するため窓口へ向かう。

 すると小部屋の扉が開き、人影が外へ出てきた。


 白と赤を基調とした和服を纏い、軽い足取りで歩く青年。

 その瞬間、胸の奥がざわついた。


 ――何、この感じ。


 嫌な予感がする。

 見覚えがあるような、ないような。でも、何かが引っかかる。胸の奥で、何かが警鐘を鳴らしている。


 青年がこちらに気づいた。

 そして――慌てて踵を返した。


「……やべ」

「……?」


 逃げ腰の声が背中から漏れる。


 その態度が、妙に癪に障った。

 なんだろう、この感覚。逃げられた気がして腹が立つ。


 モヤモヤとした気持ちを抱えながらも、触らぬ神に祟りなしと通り過ぎようとしたが、イザナの表情が曇った。


「おい、そこの彼。待ちなさい」

「ひゃい……」


 重低音の一声に、思わず返事してしまう。

 びくっと肩が跳ねた。

 「彼」という言葉の通り、わたしに対する言葉でないことは明らかなのに。


「君ではないぞ」

「あっハイ……すみません……」


 恥ずかしさで顔が熱くなる。なんで反応してしまったんだろう。


 わたしたちが間抜けなやり取りをしているうちに、件の男性は部屋からそっと抜け出そうとしていた。


「こら、逃げるんじゃない」

「あー……」


 イザナの一喝で足が止まり、青年は肩をすくめて振り返った。


 その瞬間、目が合った。


 ――あ。


 胸の奥で、何かが弾けた。

 この感じ、知ってる。

 今まで何度も味わってきた感覚。


 派手な外見。

 軽薄な態度。

 人を小馬鹿にしたような笑み。


 ――嫌だ。


 反射的に、一歩後ずさってしまった。体が勝手に、距離を取ろうとする。

 

「どうだ、この男であっているか?」

「……ええと、何がでしょうか」

「君が最初に落ちたときの担当者だ」


 ――落ちた?

 その言葉が、頭の中で反響する。

 胸の奥が、ぎゅっと締め付けられた。

 

 その言葉に、何か引っかかるものがある。

 転移した、ではなく。行った、でもなく。

 「落ちた」。


 ――落ちる。


 高いところから、地面へ。


 この前の任務で思い出した、あの歩道橋。

 長い階段。金属の手すり。遠い地面。

 あの高さから、落ちたら――


 頭の中で、何かが繋がりかけて、でもすぐに霧散する。まるで水の中で呼吸しようとするみたいに、掴めそうで掴めない。指先が真実に触れた瞬間、すり抜けていく。


「まさか、忘れていたのか?」

 

 イザナの声で、思考が途切れた。

 

「いいえ、記憶の片隅に投げ捨てていただけです」

「それを忘れたというのではないだろうか?」


 覚えることが多くて脳のリソースのやりくりに苦労しているところなのだ。放っておいて欲しい。

 

 言葉の応酬をかわしつつ、わたしは青年をまじまじと見た。

 白と赤を基調とした青年に嫌悪感ははっきり抱きつつも、人物に関しては見覚えがあるような無いような……。


「……あ」

「どうだ、思い出しただろうか?」

「えぇと、胸ポケットから手帳を出してみてもらっていいですか?」

「?おう」


 その動きで確信した。


「あなたはあの時のッ!」

「いや、遅くないだろうか……」

「おっそ。んでキッモ」


 酷い暴言の嵐だ。

 

「無事に思い出したのですから、過程ではなく結果を評価していただきたいです」

 

 反射的に言い返したものの、声が震えていた。

 なんだろう、この感覚。胸の奥が、ざわざわする。


 目の前のその仕草には覚えがある。

 軽く笑って誤魔化す態度。人をからかうような口調。


 ――知ってる。

 こういう人、知ってる。


 昔から、こういうタイプの人間が苦手だった。

 派手で、明るくて、軽薄で。いつも誰かをからかっていて、笑っていて。

 

 そういう人たちは、いつもわたしを見下していた気がする。地味で、暗くて、何をやっても中途半端で。いつも笑われていた気がする。バカにされていた気がする。でも、具体的な記憶は出てこない。ただ、胸の奥に残る、嫌な感覚だけ。


 ――嫌だ。


 また、胸の奥で何かが軋む。

 でも、なぜ嫌なのか、理由が思い出せない。この感情だけが、わたしの中に残っている。


「オレわりと外見強めって言われるけどな」


 ヴァルがボリボリと頭をかく。

 その仕草が、また癪に障った。

 わたしたちの姿を見て部屋から抜け出そうとしたということは、迷惑をかけた存在だということに気がついていたということだろうか。

 そしてバレない限り言葉を交わすことなく逃げ切ろうとしていたのだろうか。

 いざ目の前に真実を置かれるとふつふつと怒りが込み上がってきた。

 この怒りが、本当に「迷惑をかけられたこと」への怒りなのか、それとも別の何か――過去の誰かへの怒りなのか、自分でもわからなかった。

 

「あなたのせいであの後とても苦労したのですが……!」

「まーまー。こうして戻ってきたってことはそこまで大ごとにならなかったってことだろ?結果オーライ」


 軽い。軽すぎる。

 たらい回しで無駄に時間を食った身にもなって欲しい。この怒りが伝わらないことが、また腹立たしい。

 

「何か言われたら"このヴァルの顔に免じて許せ"って伝えといてくれや」

「いや、その免じ方おかしいですよね?!」


 自分を顔パスが効く有名人か何かだとでも思っているのかなんなのか。顔パスが効くのは警察署じゃないんですけど。

 時は金なりともいうでしょう。

 他人の時間を溝に捨てたという自覚を持ってください。

 

「色々な部署でかなり時間をかけたのですが……」

「まぁ若手の苦労は勝手にしろ、とか言うだろ」

「それを言うなら若い頃の苦労は買ってでもしろ、です」

「似たようなもんだろーが」


 違う。

 あっているのは苦労という単語一点のみだ。

 わたしのツッコミに、ヴァルは頭をぼりぼり掻きながら笑う。

 どうやら自分でも迷惑をかけた自覚はあるらしいが、それにしたって適当がすぎる。


 そんなわたしたちの言い合いに、イザナが静かに割って入った。


「ヴァル。この件は管理担当に通達が出ているはずだ。後で忘れずに申告をしなさい」

「へぇい……ルイーズが怖いんだよなぁ」

「自業自得だ」


 二人のやり取りは妙に慣れていて、わたしだけが置いてけぼりになっていく気がする。

 まるでわたしは部外者で、二人だけが通じ合っているみたい。長年一緒に働いてきた同僚同士の、そんな空気を感じる。

 というか、この人は一体何の仕事をしている人なのだろうか。


「わたしとあなたとで業務内容が違うように思えるんですが……」

「お前とオレとでセクションが違うからじゃね?」


 セクション?

 会社で言う部署のようなものだろうか。ここは外資系企業か何かなのか。


「一時期はジョブローテーションを採用していたが、いまはどうだろうか……」

「あん?マネージャーってその辺権限持ってるんじゃねーんですか?」

「私もそこまで役職が高い方ではないからな。上の決定を聞いてそれを皆に伝えるだけだ」


 意識高い系企業のようにカタカナ語を多用するのはやめて欲しい。

 というかヴァルとイザナがわたしより打ち解けている気がする。落ち着いた壮年口調と下っ端口調がなんとも言えない相性を醸し出している。

 疎外感が半端ない。自分だけが輪の外にいるような、そんな寂しさがじわりと胸に広がる。


「ま、お互い頑張るしかないべ」

「は、はい」


 いい感じに締めようとするな、と突っ込みたかったが、もちろんそんな勇気はなく。

 話が収束に向かったことを察したイザナが指示を出してきた。

 

「では次の業務に向かうとしよう」

「承知しました」


 ヴァルが軽く手を振る。

 その笑顔が、妙に眩しく見えた。

 

 なんでだろう。

 嫌いなはずなのに、あの笑顔が気になる。

 苦手なはずなのに、目が離せない。


 ――やっぱり、苦手だ。


 イザナに促されてわたしは歩き出す。

 背中に、ヴァルの視線を感じた気がした。振り返りたくなかったけど、なぜか振り返ってしまった。


 ヴァルは、もう別の方向を向いていた。

 何事もなかったように、軽い足取りで去っていく。


 イザナに促されて歩き出しながら、わたしはふと思った。


 ――なんで、あんなに構ってきたんだろう。


 最初は逃げようとしていた。見つかったら、適当に誤魔化そうとした。

 だけど、それにしては長いことわたしたちと会話していた。

 

 やっぱり、派手な人は苦手だ。

 なのに、この人は放っておいてくれない。

 なぜだろう。

 わたしなんて、別に構わなくていいのに。

 

 ……よくわからない。

 次の仕事へ向かうわたしの頭の中は、その疑問でいっぱいだった。

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