歩道橋の漫画
呼び方問題はそのうち解決するとして、わたしは再度任務とやらに向かうこととなった。
「本来なら1回目に同行するはずだったのだが、君の場合は少々特殊だからな」
心なしか問題児を見るような目をされている気がする。
……わたしのせいじゃないのに。
歩いていくと、見覚えのない場所にたどり着いた。
え?見たことのない場所?
「どうした?」
どうやら挙動不審になってしまっていたようで、心配させてしまったようだ。
……もしかしてわたし、顔に出やすいタイプなのだろうか。
「いえ、前回と違う場所だ、と思いまして」
「なるほど、もしかしたら通常とは異なるゲートへ案内されたのかもしれないな。君を送り届けた職員は一体誰だ?」
……あ。
「すみません、名前を聞きそこねました」
「……そうか」
前回は勢いに飲み込まれていたとはいえ、自分の迂闊さにただただ落ち込むばかりである。これじゃ電話番どころか、メモ取り係でも落第点だ。
落ち込むわたしをよそに、イザナは光り輝くポータルへ向かって歩みを進める。
「では、準備はいいだろうか」
「ええと……何をすれば?」
前回は気づいたら光を踏んでいた。
特別な手順でもあるのかと思ったが、返ってきた答えは拍子抜けするほどシンプルだった。
「そうだな、心構えだろうか」
「……はい、大丈夫です」
――心構え。
特別な知識やスキルではなく、自分の心の準備。
それだったら、今の自分でも用意できる。
覚悟しながらなら前回のような無様な格好は晒さないだろう。
「よし、では行くぞ」
▽▲▽
「うっぷ……」
「だ、大丈夫か?」
はい、ダメでした。
本当に申し訳ない。
わたしは問題児でした。
さっきぶりの浮遊感が恨めしい。
胃がひっくり返りそうで、視界がぐらぐら揺れる。
膝が笑って、壁に手をついてしまった。
酔ってふらつくわたしを、イザナが心配そうに見つめている。その視線が、妙に申し訳なくて、思わず目を逸らした。
「本当にすみません……」
「今回の任務は急ぎではない。気にするな」
やや論点がずれているが優しい言葉。それがかえって辛かった。
みんな平気なのに、わたしだけ。
またここでも、足を引っ張ってしまう。
ひっそりと落ち込むわたしをよそに、イザナは質問を投げかけてくる。
「他に下界での違和感はないか?」
「……そういえば、前回道に迷いました」
「昔から迷いやすいのか?」
「確かなことは言えませんが、方向音痴だったような記憶があります」
「そうか。なるほど、想像がつく」
おいナチュラルに失礼だな。
「ですが、任務の前と後は特に迷子になりませんでしたよ」
「もしかしたら、こちらの方で補正がかかっているのかもしれないな」
補正とな?
「君は感受性が豊かなのかもしれないな」
急に褒められた。
記憶がないので実感は湧かないが、初対面に近い相手から言われるのだから、たぶんそうなのだろう。
「本来もう死んでいるんだが、肉体の反応が残っている者が稀に居ると聞く」
――肉体の反応が、残っている。
その言葉の意味を、頭の中で反芻する。
さながら死後硬直していない肉体、とでも言うべきか。
まるで回路としての機能だけが残っているような……。
嫌なイメージが浮かんで、余計に気分が悪くなる。
わたしの体は、もうわたしのものじゃないのかもしれない。死んだのに動いている。呼吸しているような気がするのに、心臓は止まっている。
本当にわたしは死んでいるのだろうか。
それとも、まだ生きているんだろうか。
どちらでもない、中途半端な存在。
考えれば考えるほど、自分が何なのかわからなくなる。
慌てて頭を振って振り払った。
今は目の前の任務に集中しなくては。
今回到着したのは家の外。見た目は普通のアパートだ。
玄関を抜けると、前よりは少し小さく見える部屋の中央の机で一人の青年がうずくまっていた。
『あー!もう無理!』
髪をぐしゃぐしゃにかきあげ、バタリと机に突っ伏す。
手には先の尖ったペンが握られており、机の上にはたくさんの線を引かれた紙が置かれている。
投げやりな態度に見せかけて、インクや机に置いた自分の体で用紙は汚さないように庇っているなど、細部で配慮が見られる。
状況から察するにおそらくこの人は漫画家さん……だろうか。
今どきの漫画家はデジタルで作業をしているイメージだったが、この人はコテコテのアナログ派のようだ。
……まさか原稿を手伝えとでも言われるのだろうか。
美術の授業では課題をきっちりこなす優等生――だったはず。
だが、悲しきかな、10段階評価で3だった。2から保護者呼び出しになってしまうため、通信簿を開ける度に冷や汗ダラダラだったのを覚えている。
そんなわたしに繊細な作業を要求しないで欲しい。
「ええと、今回は何をすれば良いんですかね」
「基本的に、1つの正解というものはない」
イザナがまるで言い聞かせるようにわたしに説明をしていく。
「学校の授業とは異なるからな」
聞き分けの悪い子どもを諭すような物言いだが、実際日々授業を受けている学生なのでしょうがないじゃないか。
独創的な発想を編み出すよりも、正解を探し求めるように教育されている。
文句があるなら文部科学省に唱えてほしい。
「ただ、方向性としては示されているため、求められている行動を推理することは可能だ」
行動の評価という制度がある以上、明文化されていないにしろ何らかの指標はあって当然だと言えるだろう。
「それで、そちらは一体何なんでしょうか」
「人の役に立つことだ」
あらなんて抽象的なんでしょう。
最初のタイミングで受けた子どものおつかいみたいだな、という印象は概ね間違っていなかったようだ。
「この場合、君は何をすべきだと考える?」
イザナの言葉を受けて、わたしは判断を下すために視界から情報を取り入れていく。
部屋の隅でカップ麺の空容器が積み上がっている。
食生活が完全に終わっていそうなので、栄養を取ってほしいところだが。
作った記憶のない料理が出てくるのも、急に宅配で食事が届くのも怪奇現象でしかないだろう。
「……部屋を片付けます」
「ああ、そうしよう。正直この空間は苦痛だ」
顔を顰めながら首を縦に振るという器用な挙動をしながら、イザナがわたしの発言を肯定してくれた。
どうやら我が上司は綺麗好きらしい。
▽▲▽
……よし、後は机の周りだけだな。
床のゴミをまとめ終え、一息。
イザナが「休憩にしよう」と声をかけてくれる。
「……」
「……」
……会話が弾まない!
沈黙に耐えられず、誤魔化すように机の原稿を覗くと、歩道橋で異能力バトルする少年たちが描かれていた。
「歩道橋が大立ち回りの舞台とは、狭くないのか?」
「物にもよりますけど、結構広いですよ。通学路とかにあるタイプのなら」
イザナの疑問に、わたしは苦笑しながら答える。
通学路。
その言葉を口にした瞬間、鮮明な映像が頭に浮かんだ。
長い階段。
金属の手すり。
青い空。
足元に広がる、遠い地面。
体育の後、息を切らしながら上った記憶。
傘を差しながら歩いた、夕暮れの帰り道。
遅刻しそうになって走って、危うく足を踏み外しそうになったこと。
下を見下ろしたときの、ぞっとするような高さ。
吸い込まれそうな感覚。
落ちたら、死ぬ。
――ああ、そうだ。
あの歩道橋、高かった。
実際、体育の後にあの長い階段を上り下りするのは拷問に近かった。
でも、景色は綺麗だった。
上から見下ろす街並みが、キラキラして見えた。夕日に染まる空が、オレンジと紫に溶け合って――。
「……ん?」
ふと、手が止まる。
今、何を思い出していた?
「どうした?」
「……いえ、何でもありません」
「そうか」
「はい。高い場所だから迫力は出ると思います。……落ちたら危ないですけどね」
今は任務の途中だ。余計なことを考えている暇はない。
場を明るくするためにあくまで軽口のつもりで口にしたのだが、イザナは「ふむ」と妙に真面目な顔で頷いた。
「なるほど、舞台としては緊張感があるな」
「そ、そういうことです!」
慌てて肯定しつつ、わたしは胸を撫で下ろす。
「これは雑談なので、答えたくなければ聞かなかったことにしてくれて構わない」
「はぁ……別に大丈夫ですけれども」
雑談にもいちいち前置きをするとか、この人本当に真面目だなぁ。
「今の若者にはどんなものが流行っているのだろうか」
「……あー」
「若い世代との会話に苦労していてな、なにか話題にしやすい流行りものがあれば教えてくれると助かる」
「……わたしは若者の定義から外していただけると助かります……」
朝のニュースやSNSを見ても「最近こんなのが流行ってるんだ」と他人事にしか捉えられない枯れた女だったのだ。
若い子のハートを掴む話題になんてこれっぽっちも心当たりがない。
申し訳なさを全面に出しながら目をそらすと、「……すまなかった」と頭を下げられてしまった。
いや、謝ることないんですけれどね。
ちっとも傷ついてなんていないですけれどね。
心なしか雑談前よりも冷えてしまった空気ごと始末すべく、最後の片付けに取り掛かることにする。
机の上はゴミに見えても本人には大切な資料などが混じっているかもしれない。触るのはやめておこう、と二人で合意したところで、目の前の現象について改めて疑問が首をもたげた。
「本当に見えないんですね、わたし達」
部屋の中をくるくる動く自分たちに全く気がつく様子がない男性を見て、思わず声が漏れてしまう。
「君のような見た目が派手な若者が部屋にいたら驚いてしまうだろう」
いやいや、スキンヘッドの中年も十分インパクトあると思いますが。
って、わたしが派手?
ファッションに特に頓着がなかったため、髪を染めたり巻いたりしたことはなかった――と思う。
服装も謎に変身させられたときのままだったはずで不可抗力。
あくまでわたし自身は校則を守っている無個性な外見のはずだ。
APP値もそこまでおかしいという自覚はない。
「そこまで鮮やかな紫と橙は初めて見た」
――紫と橙?
その単語を聞いたとき、自分の脳裏に浮かんだのは、祭壇に添えられた美しい宝石だ。
あの、どこか懐かしさを感じる石。
「すみません、一瞬失礼します」
「ああ」
わたしは上司に断りを入れて洗面所へ駆け込んだ。
独立洗面台の鏡を覗き込む。
「ほ、本当だ……」
冴えない女の前髪に、まるでメッシュを入れたかのように紫と橙が踊っていた。
まるで誰かが丁寧に染め上げたように自然で、違和感がない。
陰の者の特性として、染めた髪に若干の恐怖を抱いていた気がするのだが。
鏡に映る自分の髪色はあまりに自然だからか、そこまで嫌悪感を抱かない。
いや、別の意味で恐怖が喉元まで込み上げたが、妙に胸の奥で納得する感覚もあった。
――あれを選んだからだ。自分で。
明らかに異常事態のはずなのに、なぜだかそこまで騒ぎ立てる気にもなれず、前髪を手でいじくり回しながら6畳間へ戻る。
「これは、どうしてこうなんでしょうか」
「質問の意図がわかりかねるな」
おっと、混乱のあまり日本語が崩壊してしまった。
報連相、社会人の基本。
……高校生(だったはず)だけど。
「わたしの髪色は全面黒だったと記憶しているのですが」
「――ああそうか」
勝手に納得しないでください。そもそも派手だのなんだの言い出したのはあなたですよ。
「最初の仕事の後に祭壇へ向かっただろう?私たちの体は、その時に選んだ物質の色を吸収するんだ」
――色を吸収?
その言葉の意味を理解するのに、数秒かかった。
自分という人間が、少しずつ削れていく。
いや、違う。塗り替えられていく、というべきか。
胸の奥に不安が広がり、思わず唇を噛んだ。
自分の体がどんどん人間ではなくなっていくようで、背筋が冷える。
いや、死人を人間と定義していいのかは議論の余地があるだろうが……。
名前もなく、記憶もなく、今度は体まで。本当の自分が、どんどん遠ざかっていく。
鏡に映った自分の髪は、紫と橙の色だけがまるで他人のもののように感じた。
鏡の中の自分が、誰なのかわからない。
この色は、わたしが選んだもの。でも、本当のわたしの色じゃない。
元の自分が、失われていく。
「これって……止められないんですか」
「止められない。というより、これが自然な流れだ」
イザナの声は、穏やかだった。
まるで、当たり前のことを告げるように。
「大丈夫だ、業務に影響はない」
屈託のない笑顔で返されてしまった。
し、仕事人間だぁ……。
その後、何も気にしていない様子の上司と一緒に、不安を胸に抱えながら黙々と掃除を続ける。
イザナは淡々と作業を進めている。
まるで、髪の色が変わることなんて、日常茶飯事だと言わんばかりに。
胸元の鉱石が、とん……とん……と脈打つ。
紫と橙の光が、わずかに揺れている気がした。
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