第2話 シンデレラの靴のサイズは?


私の青い鳥は籠の中から逃げてしまった。

永遠に分たれた向こう側、あのひとが私を見つめている。横たわる境界線は薄いガラスのようだ。指先で触れると、冷たく私を阻む。その境界線は決して越えることはできない。どんなに大きな声で私が叫んでも、どれほど言葉を尽くしても、永遠に届かないところにあのひとはいる。そんな夢をよく見る。目覚めると既に涙が流れている。こめかみに伝う冷たい雫を拭い、現実を呪う。

こんな思いをするのなら、眠れないほうがずっといい。毎夜、大切なひとを失う夢を見るくらいなら。



「王子とお姫様は結婚して、幸せに暮らしました。……めでたし、めでたし」

レイは息を詰めてベッドの上に横たわる男を確認した。閉じられた二つの瞼が、蝋燭の小さな炎に照らされている。彼女はベッドの横に置いた椅子からそっと立ち上がった。ベッドサイドチェストから手燭を持ち上げ、天蓋付きの豪奢な寝床を離れる。薄暗い寝室には、かすかに春の花のような香りが漂っている。何か香のようなものを焚いているのかもしれない。広い寝室を横切り、部屋の隅に置かれた衝立の裏にまわる。ステンドグラスのついた、立派な木材でできたパーティションの隣には、男の眠るベッドより大分小さいシングルサイズの寝台があった。最近のレイの寝床である。燭台の炎を吹き消し、ベッドに横になると早々に眠気が襲ってきた。それなりの時間他人に話すのは、元々多弁な質ではないレイにとって結構疲れる行為だった。

(………夢の中なのに眠くなるなんて…)

でも、この夢が永遠に覚めなければいい、そうすれば。――卑怯にもそう思う己を自嘲して、レイは目を閉じた。



さらわれるようにしてレイが連れてこられたのは、王都の一画にある天秤宮という離宮だった。第二王子であるヴェスパーは、北のアランロドという地域が直轄地らしく、そこと王都を定期的に行き来しているらしい。

「アンタはこの屋敷から出るな」

『どうして』

「当たり前だろ。俺は現在王位継承序列第二位の一応やんごとなき身分、フツーに命を狙われてるんだぜ?今日アンタを買い付けて屋敷に連れ込んだのも当然敵方に監視されてる。そこにアンタがふら~っと出て行ってみろ。即捕縛、即拷問、即死亡…もあり得る」

『なんで』

「そりゃあ、俺の弱み…魔法の対価を知りたいからさ」

レイは顰めっ面で腕組みし、広々とした書斎をウロウロ歩き回った。想像以上に厄介な問題に巻き込まれているようだ。ヴェスパーは悠々と椅子に腰掛け、両足を机の上に組んで載せている。「行儀が悪いですよ」と娼館から付き従っている部下らしき男が小言を言うのを無視しながら、椅子の肘掛けに頬杖まで突き始めた。不良王子め。

「衣食住はそれなりに良いものを確約する。できる限り要望は叶えよう。だから外には出るな」

『でも』

「アンタは俺の命綱だ。あまり文句を言うようなら両足を切り落としてもいいんだぞ」

表情を変えずに言われた脅迫にレイが渋面のまま青褪めたのを見てとったのだろう、従者が硬い声音で諌める。

「若様、言葉が過ぎます」

「む」

ヴェスパーはからりと人好きのする笑みを浮かべ、レイを手招いた。

「悪かったな。少し怖く言い過ぎた。…ところで、アンタ、自分の名前くらいは書けるよな?」

抜かりなく差し出された契約書と羽根ペンに彼女は全てを諦め、自分の名前をサインした。



意外にも離宮での生活は快適だった。レイは屋敷の中庭に出ることもできたし、図書室の本を読むこともできた。陽当たりの良い客間の一室、清潔で糊の利いた衣服も与えれた。食事も三食おやつ付きだ。

レイが『まろうど』であることは、屋敷内では周知の事実だった。その上、レイは王子が暇つぶしに異界の知識を得るための食客であるとか、王子が身請けした風変わりな妾であるとか、召使い達の間で好き勝手噂されているのだ。食事の食器を下げようと屋敷を彷徨っていたレイが悪いのだが、メイド達の世間話の真っ最中に行き合った時の気まずさは相当なものだった。

そうは言ってもとにかく居候状態が居た堪れない、せめて居室の掃除や洗濯は自分がしたい。レイが訴えると、寝巻のヴェスパーは両目をぱちくりさせた。彼はナイトガウンの帯を長い指先で器用に結び、寝台に腰掛けた。

「変な奴だな。まぁ別に良いが」

「自分だけ何もしてないのが辛くて…ニートみたいで…」

「に…?…掃除なんてメイドに任せときゃいいだろうに。あ、でも怪我とかするなよ。風邪も引くな。特に喉。声が枯れたとか言い出したら…」

「わ~!はいはい、わかりました!気をつけます!」

垂れた前髪の奥で金色の瞳がイタズラ好きの猫みたいに光った気がする。ニヤリと意地悪く笑ってから、男は寝台に寝そべった。羽毛が二、三枚天蓋の中からふわふわ飛び出してくる。レイはベッドの傍に置かれた椅子に座った。ブランケットに包まったが、ネグリジェの素足がうっすらと冷えて心許なく、ルームシューズを脱いで膝を抱える。仮にも王族の前でどうかとも思うが、ベッドキャノピーでこちらはあまり見えないはずだ。

「昨日の話も破天荒で良かったぞ。かぼちゃが馬車になるわ、ネズミが馬になるわ。魔女の呪文はなんだったか…」

「ビビデ・バビデ・ブー、ですよ」

「ああ、そうだった!それにしても、随分倒錯的趣味の王子だったな。硝子の靴に収まるほど足の小さい女が好みとは」

「そこを掘り下げるんですか…」

「俺は足の大きさなんか気にしない。むしろなんでもデカければデカいほどいいだろ」

「王子の女性の好みもなんかよくわかんないです…」

スリーピングカーテンの向こうで衣擦れの音がする。ふ、と男の笑う気配がしたと思うと、天蓋の隙間から腕が伸びてきた。椅子に載せていた足の片っぽを掴んで引っ張られる。レイは体勢を崩しつつ短い悲鳴を上げた。羞恥で顔面が熱くなる。

「ぎゃあ!何やってるんですか!」

「………冷たい足だな」

男がぼそりと呟く。レイは足を引きながら喚いた。

「冷え性なんですよ!それよりセクハラですよセクハラ!」

「セ…?…まろうどはよくわからんことばかり言うよなー。ほれ、そっちも出せ」

「ちょ、うわっ、ちからつよい!!」

両足を引っ張られ、ヴェスパーの掌に摩られる。妙にぬくい手だ。彼の魔法の力なのかもしれない。

「……き、汚いですよ」

「さっき風呂入ってただろ」

ヴェスパーはレイが三角座りで爪先の暖を取ろうとしていたことに気づいたらしい。気遣いなのか気紛れなのか、彼女の膝から下は寝台の掛布に包まれ、男の手に温められている。異性との接触ではあるのだが、ヴェスパーの手つきは不思議と性的なものは感じなかった。

「王子、温かくてありがたいのですけど、……結構恥ずかしいんですが…」

「遠慮すんな。しもやけにでもなったらアンタが可哀想だし」

「う〜ん。でも流石に…」

「別に、俺のベッドでこのまま寝ても良いんだぜ。隅っこのあんな小さいベッド、窮屈だろ」

「一応これでも嫁入り前なので!勘弁してください!」

「ほー、今時珍しい。貞操観念が高いんだなぁ。どうせ俺は冬眠中の熊みてーに寝てるのに。手も足も何も出ねぇよ」

「いや、でも……」

「まぁ、足だけでも入れとけ。な?」

高貴な身分のひとのベッドに両足を突っ込んで御伽噺を語る不審な女。変な妖怪みたいだ、とレイは思う。男の言葉に押し切られ、彼女はそのまま爪先を温めることにした。レイの冷えた足を温かい掌で撫でさすりながらヴェスパーが問う。

「それで?」

力の抜けたまろやかな声だった。

「今日はどんな話で、俺を眠らせてくれるんだ?」

「………そうですね。では、こんな話はどうですか?」

レイの魔法は、一定時間声を聞いた者を強制的に眠らせることができる。発声する内容は何でもいいのだが、ヴェスパーは見た目によらず物語が好きらしい。

この、時々怖くて、変なところで優しい不眠の王子に、夜な夜な御伽噺を語ること。それが今のレイの務めで、生きる術だった。

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シェヘラザード、どうか私を眠らせて @Judith1530

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