第7話 冷凍おにぎりの革命

2024年10月21日――冷蔵庫のドアを開けた瞬間、白い光が私の顔を照らした。


中には、昨夜のうちに作って冷ましておいたおにぎりが二個、ビニール袋にくるまって並んでいる。


「30分保育、500円の給食代……」


呟きながら、それを更に小さなジップ袋に移す。冷凍庫へ。


30分で溶けてちょうどいい具合に、という計算だ。


川村彩(38)、専業主婦――今の仕事は、子どもと暮らしの“単位”を計ること。


朝7時。


保育園までの道のり、徒歩15分。往復30分。


制度の名は「こども誰でも通園」。でも、私の頭の中は「おにぎり誰でも冷凍」だ。


500円の給食代を払えば、わが子はきっと温かい給食を食べてくれる。でも、私が作ったおにぎりはどう? 冷めたまま、冷凍庫の中。


制度は30分単位で「柔軟」だと言う。でも、私の財布は1円単位で「硬直」している。


園の入り口で、木下玲子(41)に会う。


PTA副会長、二児の母。


「ねえ、給食代500円、30分で取られるのって、どう思う?」


私は、息子の手を離しながら答える。


「30分という時間より、500円という金額の方が重いみたい」


玲子は、スマホの計算機アプリを開いた。


「昨日の話題よ。10時00分~10時30分で預けて、保育料150円+給食代500円=650円。1時間預ければ保育料300円+給食代500円=800円。30分だけで650円って、秒単位で22円も高い」


風が吹いて、玲子の前髪が揺れる。


冷たい。まるで、秒針が1秒ごとに小銭を落としていくようだ。


――午後。


スーパーの精算口。レジ袋は有料。エコバッグを忘れた。


おにぎりを、素手で受け取る。


「冷めてますけど、いいですか?」


店員の声より、手の冷たさの方が早く答えている。


袋がないから、おにぎりは私の掌で温まるはずが、逆に私の手が冷えていく。


まるで、30分だけ預けた子どもの笑顔が、500円の請求書で冷えていくように。


市役所前を通ると、ポスターが新しい。


《令和6年度妊娠世帯の方へ 現金給付申請は3月30日まで!》


「もっと早く出せよ……」


思わず声が漏れる。風がポスターをめくり、私のおにぎりの包装紙がひらり。


数字は正確で、生活はいつも間に合わない。


――保育園、夕方のお迎え。


玄関で、山田はるみさん(74)と再会。


「おばあちゃん、こんにちは」


「あら、川村さん。昨日は市役所前でお見かけしたわ」


彼女の手には、小さな孫。手の甲は、私のおにぎりよりも冷たい。


「30分だけ預けたの。でも、500円の給食代で、10分しか孫の笑顔を見られなかった」


私は、自分の掌を見る。


「私も、おにぎりを30分で溶かす計算をしてます」


二人の手が、並ぶ。シワの深さは違うけれど、冷たさは同じ。


「政治って、温かいはずでしょ?」


山田さんが、小さく笑う。笑いの裏に、ため息が紛れる。


――帰宅後。


台所で、冷凍おにぎりを電子レンジに。


600Wで30秒。裏返して、また30秒。


合計1分。でも、温まりきらない。


「もう一回、30秒?」


でも、そしたら端っこが固くなる。


中途半端な温もり。これが、私たちの“支援”なのかもしれない。


――夜、LINEで玲子と続きを話す。


「結局、子育て支援って台所から始まるのよ」


「うん。冷凍庫の奥に、おにぎりがまだ3個ある」


「明日、一緒に市役所に行ってみない? ‘給食代の定額見直し’を陳情して」


私は、スマホを置いて、レンジからおにぎりを取り出す。


ふっくらしていない。でも、手のひらに乗ると、少しだけ温かい。


「政治は、私たちの台所から始まる。今日も、おにぎりの冷め具合で30分を計り、子供の笑顔を守る。それが、私の革命だ」


息子が寝返りを打つ音が、襖の向こうでする。


私は、ほんの少し温まったおにぎりを一口かじり、ノートに書いた。


「10月21日――冷凍おにぎり、30秒+30秒。まだ芯が冷たい。でも、咬むと甘い。これを、次の世代に届けたい」


明かりを消すと、台所の時計の秒針だけが、たん、たん、と小銭を落としていくようだった。

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