【終章】『撫子』
【撫子】
繚乱島に連れ戻された私は、そのまま直接、柊さんのお屋敷に通されました。
最初に訪れた時と同じ客間に二人、お茶もお茶菓子もなく、相対する柊さんが放つのは鋼鉄の氷柱とでも言うべき冷たく堅牢なる不可視の圧。
怒っているのか嘆いているのか分かりません。そのどちらでも無いのでしょう。
「気は済みましたか?」
重い沈黙を切るようにして、柊さんがそうおっしゃいます。
「はい。存分に」
「貴女の境遇には同情もあります。自ら戻って来たこともありますし、この度の脱走は不問とします。ここでの生活に慣れるまで時間もかかるでしょうから、まずはゆっくりと、寝起きだけを繰り返しなさい」
「ありがとうございます。ところで、お願いしたいことが四つあります。考えるだけでも構いませんので、聞いていただけないでしょうか?」
「いいでしょう。言ってごらんなさい」
しからば背筋を正し、正座を整えて真っすぐ柊さんを見つめて言いました。
「一つ、外のお友達にお手紙を書かせてください。全部で三通。内の二通は結婚式の祝辞です。残りの一通は大学のお友達に。検閲してくださってかまいません。ただ、お祝いとお別れを伝えたいだけです」
「許しましょう。二つ目は?」
「私に夜伽の先生を付けてください」
意外だったのか、柊さんは驚いたように目を丸めました。
「それは、私としても望むべくことですが……覚悟はあるのですか? 貴女には教養がありますから、事務係や教師としての仕事も考えていたのですよ?」
「覚悟の上です。崩国の一員となった以上、そのお役目を果たします。知っての通り、私には夜の経験がございません。
長女会がお相手するのは権威あるお方と聞いております。夜のことでの無作法や、ご満足いただけないなどということがあってはなりませんので、万全に備えておきたいのです」
伝えると、柊さんは何かを確かめるように私をじっと見て、おもむろに身を倒して畳に手を付きました。そこに額を重ね、仰々たる口調でおっしゃいます。
「同じ女として、崩国として、そのお覚悟に感謝と敬意を」
「敬意を抱いているのは私の方です。お顔を上げてください」
身を起こした柊さんは、少し雰囲気が柔らかくなっていました。優しい微笑みまで見せて、話を紡ぎます。
「それで三つ目は?」
「そうですね、それなのですが……」
突然、視界が水に包まれて歪みました。
摩訶不思議です。そんなつもりは無かったのですが、心はもう硬く決めていたのですが、いざ言葉にするとなって、溢れ出る様々なものを止めることができなくなってしまいました。
肌は冷たく、目頭だけが火のように熱く、大粒の涙がぎゅっと握った手の甲に落ちてゆきます。
「こんなことをお願いするのは、崩国として大変な贅沢かもしれません。一度は逃げ出した身で、お怒りを買って当然のお願いかもしれません。今後は崩国の一員として、そのお役目から逃げないと誓います。どのような殿方のお相手も務め上げるとお約束します。ですから、どうか、私に同情してくださるのなら、せめて、私の初めてを捧げる方を……私に……」
言葉が震え、言い澱んだところで、柊さんの人差し指が唇を止めました。柊さんはそのまま、寄り添うように身を寄せ、私の頭を撫でながら静かに答えてくださいました。
「はい、許します」
ー・*・ー・ー・*・ー・ー・*・ー・*・ー・*・ー・ー・*・ー・ー・*・ー
繚乱島での生活は、驚きに溢れていました。
女ばかりの集団生活は中学や高校での経験がありましたが、それでもお上品なお嬢様学校でしたので、性の話は遠ざけられ、もはや空想の世界のものでした。
かつては大和撫子の冠を被っておりましたので、尚のこと。それが非常識だったかのような、開けっ広げな性を中心とした文化とそれに準じた生活が私を襲い、カルチャーショックに熱が出たほどです。
具体的なことを申し上げますと、近しい者は互いの生理周期を熟知しており、崩国同士の同性愛は当たり前で、やれあのお姉さまとお姉さまが良い仲だとか、目につく女を食い散らかしている奴がいるだとか……
あるいは下の毛を剃る派と剃らない派の埋まらない溝、己を慰める行為を一人で済ませる派と二人以上で行う派のピリピリした関係、それに用いる様々な道具の数々。以前、崩国を順位付けるような制度はないと聞きましたが、それでも発生してしまう上下関係、長女会を憎らしく思う派閥と信仰する派閥の一触即発ぶり。
総勢二百名で形成された文化は多種多様。
そこに来て、外からやって来た私は異物も異物、腫れ物扱いで誰もお友達になってくれません。それでも四葉ちゃんと交流を持つことには成功し、暇を見て一緒に遊ぶ仲にはなれました。
「まさかねぇ、こうなるとはねぇ。悔しいったらないね」
「逃げちゃえば良かったのに。律儀と言うか、真面目と言うか。損な性格だよね」
夜伽の講師役には柊さんの計らいで桔梗さんと愛音さんが抜擢されました。講義が行われるのは集合住宅にあるどちらかのお部屋。お菓子なんかもつつきつつ、遊び半分ではないですが、気兼ねなくお友達とお話しできる貴重な癒しの時間になっています。
「ちなみに、愛音さんは何か知っている風でしたが、どこまで知っていたんですか?」
「なんか国のお偉いさんが手引きしてたってことくらい。あとはハッタリ」
私の股下に寝転び、あっさり言ってのける愛音さん。頭の切れる彼女の事です。嘘か真かは疑いが残りましたが、私と仲良くしてくれる貴重なお友達。信じることにします。
「おい、腰が止まっとるぞ、もっといやらしく動かんか」
「はいはい」
お客様になりきって厳しく指導してくださる愛音さんに従い、腰を前後に動かします。その様子を端から見ながら、桔梗さんが口を開きました。
「頼まれたから教えてるけどさ、実際は心も躰もかなりきついよ? 大丈夫かい?」
「そーだよ処女なのに。ってか二十歳越えの崩国の処女とかいくらになるんだろ?」
「ご心配ありがとうございます。大丈夫ですよ、もう決めたことですから。それに一応、処女はもう捧げたい人に捧げました。ついこの前」
「マジ? あの時の魔術師さん? どうだった?」
「秘密です」
「アタシの知らない人だね。今度紹介してよ」
「ダメです」
こればかりは完璧にプライベート。お友達とはいえ死守します。
「それも踏まえてなんですが、なんか、夜伽の技は色々と違いますね。想像以上にアスリート的と言いますか、体力も使うし、技術が沢山あって、驚くほどの重労働です」
殿方役を務める愛音さんに跨り、引き続き腰を前後させつつ、新鮮さを素直に述べます。
「男女のそれなら探り探りやっていくだろうけどね。アタシらは一発でツボを掴んで奉仕せにゃならんから、コツが要るんだ。でも、覚えが早いよ。体力もあるし」
「柔術をやってましたから、これでも体幹には自信があります」
「それね~、上で動くのが一番しんどいけど、大体のオジサンはそれが好きだし、アタシとかは寝技になる前に三発は搾り取るよ? 口とか胸とか足とかで」
「あ~、そう言えばそちらの技術もあるんですよね。ご指導願えます?」
「かまわないけど、あんまり覚えない方がいいのかもねぇ」
「初々しさって慣れちゃうと取り戻せないからね。それもウケがいいから」
「そもそも挟めるかギリギリだし」
「やってやれないことはないんじゃない?」
「やかましいですね」
額に汗が滲んできたところで一休み。愛音さんの躰から降りて、お水をいただきます。
「でも残念だな。期待してたのに」
身を起こし、ポツリとぼやく愛音さん。
「至らぬ点はご指摘ください先生」
「そっちじゃなくて、アタシを連れ戻す時に約束してくれたじゃん。覚えてる?」
「ええ、覚えていますとも、忘れませんし、諦めてもいません」
お水の入ったペットボトルを絞め、ボウルに開けられたクッキーを一つ取って、サクリと齧りました。桔梗さんは煙草に火を点けて怪訝な視線を、愛音さんは大きな瞳で不思議そうな視線を、私に集めます。
「崩国の在り方は変えます。外から変えるか、内から変えるかの問題です。むしろ、内側に潜り込めて好都合。そう考えています。幸いにも、私には外に信のおける人が沢山いますので、やってやれないことはないでしょう」
「具体策は?」
「こうご期待」
愛音さんにニヤリと不敵な笑みを返すと、半信半疑、微妙な顔色を浮かべました。桔梗さんはにっこり笑ってくださいます。
「ま、協力できることがあったら言ってよ」
「その時には、是非。ところで、早速ながらご相談があります」
私が身を正して言いますと、お二人もちょこんと座って、真剣な話を聞く姿勢に入りました。桔梗さんのお部屋とは言え集合住宅。隣室の留守を確かめえるように耳を澄まし、そうだと確信を得てから、声をひそめて言いました。
「私、下の毛はどうしたらいいでしょう?」
好きにしなよと、呆れた声が帰ってきました。
ー・*・ー・ー・*・ー・ー・*・ー・*・ー・*・ー・ー・*・ー・ー・*・ー
繚乱島に身を置いて一か月が経ち、いよいよ初めてのお役目に臨む夜がやって来ました。
この日まで座学と実技の両面から徹底的な講義を受け、話術も柊さんより直伝を賜り、我ながら準備に不足なし。お着物を崩して肩と胸元を曝け出した崩国の正装にて、お客様の待つお部屋の襖の前に膝を付きました。
柊さんによれば、お客様は代々宮大工を営む大工工事会社の社長様だそうです。そんな前情報は添え物程度、誰であるとしても、崩国として最善を尽くすのみ。
(……ああ、怖い)
いざとなって、躰の震えに気付きました。
同じ建物には柊さんも居て、いよいよ無理となれば代わってくださるそうですが、そんなことにはすまい。一度背筋を伸ばして息を吸い、吐き。決意も覚悟もありったけを総動員します。
もっとよくできなかったのか。
もう二度と、そんなことで後悔しません。
今これから、できる限り最大限のことをする。
心を決めて落ち着けると、自然に躰の震えが止まりました。
精一杯、しとやかに躰を操って襖を開け、両手を揃えて床に押し付け、そこに額を重ねます。見えないようにほくそ笑み、ようやく私は、四つ目の願いを叶えました。
「お初にお目にかかります。今宵のお相手を務めさせていただきます。撫子と申します」
【終章『撫子』、終幕】
大和撫子見聞録 坂本良 @sakamoto-w
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