満月漂流記

花森遊梨(はなもりゆうり)

ロマンチックなのに間抜けな一夜

夜の海に、銀の光が落ちていた。満月が海面を照らし、波は静かに呼吸している。その甲板の上で、津太侑燐は欄干に腰をかけ、白いワンピースの裾をなびかせていた。


淡い銀の髪が腰まで流れ、紫の瞳が穏やかに揺れている。
るで月そのものが人の形をとったような、儚く神秘的な美しさ。

 ――けれど、その中身を知る者にとっては、その幻想は三秒ももたない。


甲板の下から、怒鳴り声が上がる。

 「おい侑燐ゆうり! 燃料、切れてんぞ!!」

黒髪をかき上げながら現れたのは松平康弘まつだいらようすけだった。月明かりに照らされたその横顔はどこか優しげだが、今は目の下にクマが浮かんでいる。
柔らかな瞳も、唇も、今は怒りの形に固まっていた。侑燐は、そんな彼を見上げてふわりと笑った。

 「――月が、綺麗ですね」



満月が海面を照らしている。波は穏やかで、風も気持ちいい。

黒髪をなびかせながら、優雅に腰かけ、まるで船上の女神。


 まるで映画のラストシーンみたいな完璧なロケーションだった。



「おい侑燐。今それ言う?」

「どこか優しげ――なのに、いつもとちがって怒りのオーラがすごくありません?」


……もし、漂流中じゃなければ


「だって焦っても仕方ないし。流れに身を任せるのが人生ですし?」


「いま海流に身を任せてどうすんだよ!? 死ぬわ!!」


夜の海は暗黒である、これがサブノーティ〇でリーパーリバイアサ○の生息地とかならなら侑燐にやってもらえるが、本物の船ならこうはいかない。





康弘は溜息をつき、船体を見回した。

〈スカループ号〉。銀の外装が月光を反射して静かに光っている。見た目通りの高級船で、侑燐の持ち物である。侑燐が免許を持っているからという理由で、無免許の康弘が全部運転してきた。


津太家と松平家。どちらも世間で知られた名家だ。彼と侑燐は、物心ついたときから「許嫁」として育てられた。津太家は上流階級の中でも別格だった。
結婚式に億単位の費用をかけ、全国中継するような家だ。侑燐の母親は「もっと夫が繁殖に前向きなら、六人は子どもがほしかった」と本気で語るタイプ。だから初めて乗る船をずいぶん真剣に運転した。要はここでイキって船が転覆して侑燐が死亡でもしたら日本の経済界に大きなダメージを受けるし、康弘はそもそもここで死にたくない。そしてお互い一人っ子なので、今から残された両親が弟や妹をこさえるのは厳しいものんがある。特に松平家は。


「……しゃーねぇ。手動で漕ぐか」


「漕ぐ? この船をですか?」

「そうだ。オールあるだろ。ガレー船方式だ」


「無理無理。私、腕細いですし」

「白々しいわあとこれはてめえの船だろ!」

こいつは服を着ていると華奢に見えるのに、実際には腹筋がうっすら割れている。
無駄な肉などどこにもない。上品なワンピースの下には、鍛え抜かれた筋肉が隠されていた。おまけに趣味でクライミングなんてする剛の者のくせに今更言うか。あと侑燐がバカな操縦さえしなければ日が暮れるまでに港に帰れる予定だったのだ。


「キャプテンは指示を出す役職なんですよ?」


「この状況で指示だけ出してみろ、海に叩き落とすぞ」


「えー、こわーい」

笑ってる。まったく反省してない。康弘の中の理性が、音を立てて崩壊した。



「いいか、聞け津太侑燐。今から俺たちは、ガレー船方式で陸を目指す!」


 康弘が怒鳴る横で、侑燐はなぜか空を見上げていた。

 その顔がふっと柔らかくなる。



「あ、流れ星」

「……願いごとする暇があったら漕げ」

「お願い事、してもいい?」


「どうせロクな願いしねぇだろ」

「えーっとね、今夜はサボっても怒られませんように」

「ほら見ろぉ!!」



 オールを握りながら、康弘は怒りと笑いの間で顔をくしゃくしゃにした。



 この女、ほんとに天才だ。悪い意味で。


 でも――ほんの少しだけ、月光に照らされた横顔が綺麗だと思ってしまった。



「なぁ康弘」


「なんだ」


「月が綺麗ですねって、日本語で好きですって意味なんだって」


「……は?」


「つまり、告白したの。私、康弘のこと好き」


「――――っ」



 心臓が、一瞬止まった。潮の音が遠くなる。


 月光が髪に落ちて、まるで幻みたいに輝いていた。


 ……そして数秒後。



「おい待て、そうやって言っといて、今のもどうせネタだろ?」

「さぁ? どう思います?」


「……お前ほんと人の神経逆撫でして生きてんな」


「褒めてくれてありがと」


「褒めてねぇ!!」



 また、いつもの調子に戻る。


 けれど康弘は、さっきの言葉が頭から離れなかった。



 ー月が綺麗ですね

 それを、あの無神経で天真爛漫な侑燐が、自分に。……いや、考えるだけムダだ。そう自分に言い聞かせながら、康弘はオールを握り直す。



「よし、漕ぐぞ。侑燐も」

「ごめんなさい、もう腕が痛いです」


「まだ動かしてもねぇだろ!!」


「私は隣で精神支援に徹することに」

「応援するな、漕げ!!」



 どったんばったんと騒ぎながら、船は少しずつ進んでいく。


 いや、進んでいる気がするだけかもしれない。


親ガチャ大谷夫妻ピックアップ期間が終了した今となっても上流階級の親ガチャ人気はいまだ根強い。ただ、美少女と結婚できちゃうイージーモードだと思って上流階級に生まれると、このように豪華客船の招待券を手にしたはずが現地で迎えてくれたのはガレー船だったみたいなことになるので、これからガチャに挑む赤ん坊たちは太い家庭に生まれることは思春期からすでに未来の結婚相手を介護することになるという覚悟を持って挑んでほしい

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満月漂流記 花森遊梨(はなもりゆうり) @STRENGH081224

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