最終話 青の余韻

あれから、いくつかの季節が過ぎた。


街は、少しだけ色を変えていた。

古いビルの一階にあった〈カフェ・ノクターン〉は、

今では〈Atelier Blue〉という小さなギャラリー兼カフェになっている。


壁には静子の遺した絵が数点。

窓辺には、若い画家たちのスケッチ。

そして店の奥には——

古びたギターと、

錆びかけたUSBがひとつ。



朝の開店準備をしているのは、美咲だった。

髪を束ね、カップを並べ、

新しい日を迎えるその動作が自然に板についている。


「おはよう、美咲さん」

背後から声がする。

律がギターケースを抱えて入ってきた。


「今日もリハ?」

「うん。夜、少し弾こうと思って」


ふたりの会話は短く、穏やかだった。

店内には言葉よりも、

湯気と音がゆっくりと流れている。



昼過ぎ、

新聞記者の沙織がふらりと現れた。


「原稿、ここで書いてもいい?」

「もちろん」


沙織はカウンターの隅に腰を下ろし、

ノートPCを開く。

記事のタイトルには、こう打たれていた。


“青は、夢の続きを描く色”


「……静子さんの記事?」と美咲。

沙織はうなずく。

「今日、命日なんだ」


静かに、誰もが頷いた。



そのとき、扉のベルが鳴る。

見覚えのある初老の男性が立っていた。


「ご無沙汰しています」


——吾郎だった。

相変わらず無口なまま、

小さな包みを差し出した。


中には、ひとつの写真。

〈信号の青を見上げる子ども〉を撮ったもの。


裏には、こう書かれている。


“いつか誰かの夢になりますように”


美咲はそっとその写真を壁に飾った。



夕方。

和也が現れた。

スーツの上着を脱ぎ、カウンターの上に置かれたUSBを見つめる。


「……これ、俺のじゃないか?」

「落としたやつ、ね」

律が微笑む。


和也はそっとそれを手に取った。

指先に、あの夜の冷たい感触が蘇る。


「これ、まだ動くのかな」

「たぶん」


律がPCにつなぐ。

一瞬の読み込みのあと、

画面に現れたフォルダ名——〈青の設計図〉。


中には、ひとつの新しいファイルが増えていた。

タイトルは〈Re:Dream〉。


開くと、短いメッセージが表示された。


“夢は形を変えても、

まだ終わらない。

もしも再び描くなら、

青の続きを頼みます——”


──静子。


沈黙が、やさしく店を包んだ。



夜。


律のギターが鳴る。

沙織の笑い声が響く。

吾郎はコーヒーを飲み、

和也はノートを開いて何かを書き始める。


窓の外では、

雨上がりの道が青く光っていた。


美咲は照明を少し落とし、

静子の絵の前に立った。


あの頃の“青”とは違う。

けれど、今ここにある青は、

確かに生きている。


——この街で、

この人たちの中で。



店の時計が、静かに午前零時を告げた。


ギャラリーの灯がひとつ残る。

その下で、USBの小さなランプが、

ほんの一瞬、光った。


まるで誰かが、

もう一度、夢を起動させたように。



“ノクターン・ブルー —— 終曲”

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ノクターン・ブルー 〜失くした夢を拾い直す。 それが、再び歩き出すための“青信号”。〜 yuyu @yuyu222324

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画