土食ってた小学生、鬼のような担任にあたる

ぴよぴよ

土食ってた小学生、鬼のような担任にあたる


私は教師をやっている。


今日、廊下を走っている子供がいたので、何度か注意した。素直にきく子供もいれば、「走ってませーん」と言いながら逃げていく子供など、様々だ。

そういえば昔は私が怒られる立場だったなと、彼らの姿を見て思い出した。


昔は逃げることなんて許されなかった。

ものすごく怖い先生がいて、一瞬で捕まえられる。良ければ怒鳴られるだけ、悪ければゲンコツだ。


特に小学校一年生の時はよく廊下を走って怒られたものだ。学校のルールなんぞ頭に入っていないものだから、走って暴れて、よく怒られていた。


そういえば、一年生の時の担任の先生はめちゃくちゃ怖かった。

小宮(仮名)という先生で、鬼のように恐ろしく、みんなに恐れられていた。

彼女は悪事に手を染めている者を見つけると、容赦なく鉄拳制裁を加えた。

そのおかげでクラスはいつも平和だったのだ。



そんな小宮先生と出会ったのは、4月の入学式。

私がピカピカの一年生の時だ。


一年生と聞くと、可愛らしいイメージがあるが、奴らをなめてはいけない。

彼らは異様な無敵感に心を支配されている。

一年生というのは、世間にちやほやされている存在だ。新しいランドセルを買い与えられ、「格好いい一年生になってね」と幼稚園から送り出される。

そうやってみんなに大事にされているうちに思うのだ。


俺たちってすごいなと。


もう一年生だ。赤ちゃんだった頃とは違う。小学校に通い出すスターである。何でもできる気がした。道を開けろと本気で思っていた。

中には謙虚な一年生もいるだろうが、少なくとも私は違った。


4月のある日。初めて通学路を歩いて、登校してきたあの日。


(ふーん、ここが小学校ね)と私は格好つけながら教室に入った。


廊下では知らない大人が何か話していた。胸にコサージュをつけ、忙しく廊下を歩き回っている。

やがて一人の女性が教室に入ってきて、テレビをつけた。入学式前に子供たちが暇をしないよう、学校側の配慮だったと思う。


テレビには「ざわざわ森のがんこちゃん」が映し出された。


ふざけるな。

私は怒りが抑えられなかった。

こんな幼稚園生向けの番組を、我ら高貴な一年生に見せないでほしい。

私はもう赤ちゃんではないのだ。本気で私は怒り狂っていた。

大人になった今は、がんこちゃんっていい番組だなと思っている。



そんな時、登場したのが小宮先生だった。

小宮先生は緑の服を着ており、「よろしくね」と元気よく挨拶した。

(ふーん優しそうで、気弱そうな先生だな)というのが最初の印象だった。

だがその印象はすぐに打ち砕かれることになる。



小宮先生はとにかく厳しかった。

宿題を忘れれば、その倍の量をやらされる。話を聞かなければ、必ず怒られる。

子供が泣いても、わがままを言っても、決して譲らない人だった。


調子に乗っていた私は、すぐにいい子になった。「ありがとう」と「ごめんなさい」をしっかり言えるようになった。先生の話はきちんと聞き、挨拶も大きな声でした。



ある時事件が起きた。

先生がおらず、教室で出されたプリントをしている時だった。


「お前、弱虫だな!」

クラスで一番気弱な男子が、男子数名に叩かれていた。何が起きたのかわからなかったが、とにかく数人がかりで一人を攻撃していたのだ。


「弱虫!弱虫!」と大声でからかいながら、叩いていた。プリントを解きながらも、私は気が気じゃなかった。

なんとか止めたいと思ったが、私一人に一体何ができると言うのか。

こうしている間にも、気弱な子は叩かれ、蹲っている。何もできない無力感に胸を支配されていく。


しばらくして座っていた数人が、その弱虫コールに参加し始めた。あっという間に人数は増え、十人以上の人間が、一人の子を囲んでバカにし始めた。


「やめなよ!」と注意する子もいたが、最終的に黙ってしまう。私も注意したが、どうしようもなかった。

こんな時、先生がいてくれれば・・と思った。早く戻ってきてほしい。


やがて弱虫コールは教室中に響き渡り、気弱な子は教室の窓に挟まれた。

加害者の誰かが、面白がって挟んだのだろう。あまりにも酷い光景だった。

窓に挟んで動けなくなった子を、みんながバシバシ叩いている。叩かれた子は、泣くというより悲鳴をあげていた。被害者の叫び声と加害者の声が混ざり合い、教室を埋め尽くしていく。


こんなのいじめじゃないか。もう誰にも止められない。


そう思った時だった。



先生が颯爽と登場した。まさに神の降臨である。

みんな一瞬で静かになった。


先生はまず窓に駆け寄ると、弱虫コールをしていた男子を投げた。


文字通り投げた。


体重が軽い一年生が吹っ飛んでいく。

先生は次々と問題児たちを投げ飛ばすと、窓に挟まれていた子を救出した。投げられた者たちは悲鳴も上げられず、床に叩きつけられていく。


人が飛んでいくのを初めてみた。


教室が騒然としていると、先生は教卓に立った。

「〇〇君をからかった人、叩いた人は一列に並びなさい」と静かに言った。


もう逃げられない。弱虫コールをしていた者たちが教室に一本線を作った。処刑待ちの列が出来上がる。


「なんで〇〇君に弱虫って言ったの?」先生に静かに聞かれ、ある男子児童は

「みんなが弱虫って言ってたから、僕も釣られて・・」と口を開いた。


「お前は馬鹿か!!」

雷のような怒号が響き渡る。その男子は横に吹っ飛んだ。


バシンっ!と叩きつけるような音が鳴った。先生に平手打ちされたのだ。

その子は大声で泣き出した。

「泣くな!〇〇君に言うことがあるだろう!!」

先生は倒れたその子を立たせ、教室の前にいる被害者の前に引き摺り出した。

「ごめんなさい!ごめんなさい!」

叩かれた男子は泣きながら、謝った。


叩かれて当然だと私は思った。〇〇君はあんな酷い目に遭ったのだ。先生の制裁は正しい。悪は裁かれるべきだ。


〇〇君はと言うと、ブルブル震えていた。

おいおい被害者まで怖がらせてどうする。今の私ならこうツッコむところだろう。


彼は「いいよ」と罪人を許した。叩かれた子は、何度も謝りながら席に戻った。


その後も悪人共の成敗が行われていった。みんな吹っ飛び、みんな被害者に泣きながら謝っていた。先生はいくら悪人たちが泣いても、怯まなかった。


「先生はいじめを絶対に許さない」

制裁が終わった後、先生はキッパリと言った。

先生ってすごい人だな・・と私は思った。悪いことは悪いと、ここまで示してくれる人は今までいなかった。すごく怖かったのも事実だが、同時にいじめは決して許されることではないことを、私たちは胸に刻んだ。



小宮先生との日々はあっという間に過ぎていった。

先生はいつも怖いわけではない。普段は面白くて優しい先生だった。

給食のご飯が余れば、おにぎりを作ってくれた。一年生の芋掘り体験の時に、実家の畑を貸してくれた。

ストーブでサツマイモを焼いてくれ、「プリント終わった人から食べていいよ」と言ってくれたこともあった。全部が全部楽しかった。



そんなある時、また事件が起こる。

その日もまた、先生が教室にいない時だった。冬の寒い日のこと。三学期も終わりに近づき、そろそろ我々も二年生になる時期に差し掛かっていた。


無敵感で満たされていた四月から数ヶ月。私は人が変わったように良い子になっていた。

六年生の存在がすごかった。一個上の二年生も頼もしく見えた。自分は無敵ではないと、上学年にわからせられていたのだ。

一年生なんて、まだまだ新米。修羅の国学校ではペーペーもいいところだった。


しかし良い子になったとはいえ、まだまだ一年生。イタズラしたいし、冒険したいし、調子に乗りたい気持ちだって少しはあった。

だからあんな馬鹿なことをしたのだろうか。


みんなでストーブを囲み、プリントを解いていた時だった。

プリントを解き終わった児童が、教室の中を歩き回り始めた。そこから連鎖的におしゃべりが始まっていく。あっという間に教室中が子供の声で満ち溢れた。

まだ授業中だと言うのに、静かにできなかったのだ。

確かプリントが終わったら、読書か絵を描きなさいと言われていたはずだ。

でも守っている者はほとんどいなかった。


この時期になると、小宮先生からは

「先生がいなくても、一人で静かに過ごせる人が立派な二年生になれます」と言われていた。今後みんなは学校を引っ張る存在にならなくてはならないと言われた。

そんな話、私は既に忘れていた。


友達と笑いながら話した。教室を走り回った。ストーブもあって危ないと言うのに、机や椅子を避けながら走るのが、たいへん楽しかったのだ。

そしてキャラクターを描いている友達の近くまでいくと、私は絵に勝手に眉を付け足した。「やめてよ!」と怒られ、私は笑いながら逃げた。

イタズラが成功したのだ。楽しくて面白くて仕方ない。


みんな大声で笑っている。鉛筆を投げ合う者もいた。練り消しを投げて、プリントも投げた。ストーブで服をとかして遊んだ。

楽しそうな笑い声で教室は満たされた。とんでもない不良集団である。



しばらくして先生が現れた。

先生は遊びまわる我々を一通り見ると、黒板の前に立った。

先生の全身から怒りの炎が噴きあげている。その場を焼き尽くしてしまいそうなオーラだった。みんな一斉に黙りこくった。

ストーブで遊んでいた私も固まった。もしかして私たちはとんでもないことをしてしまったのではないか。


「先生がいなくても静かに過ごせる人が二年生になれる。いつもそう言っていますよね?」

先生は怒鳴らず、静かにこういった。

思い出してみれば先生はこう言う人だった。いじめや差別には怒り狂うが、それ以外はいつだって冷静な人だった気がする。


「教室で暴れていた人、遊んでいた人は二年生になれません」


私たちに衝撃が走った。

なんと言うことだろう。私たちは二年生になれないのだ。遊んでいたのは教室のほぼ全員。ここにいる数十名の児童が二年生になれないことになる。


「二年生になれなかったら、どうなるんですか?」

「そんなのもう一度一年生をやってもらいます」


勇気を出してきいた者に、先生は冷たく言い放った。

誰もが絶望していた。一年生をもう一度やるなんて、そんなのとんでもない話である。

また入学式をやって、またひらがなを覚えて、また同じ勉強をして。

一つ下のお子様たちと一年生をしなくてはならないのか。


そんなの絶対に嫌だ。そんなのプライドが許さない。いや、プライドなんて捨ててもいい。だからもう一度一年生をするのだけはごめんだ。


「先生ごめんなさい」

遊んでいた者は、みんな必死に謝った。私も必死だった。涙を流しながら、手を合わせながら、みんな何度も頭を下げた。

そんな子供達の姿を見ても、先生は顔色ひとつ変えなかった。


「二年生にはなれません」

もう一度言われて、再び絶望した。

子供というのは、学校のシステムをわかっていない場合が多い。みんなを揶揄うのが好きな先生が、よくとんでもない冗談を言ってきたものである。

だから私たちは本気で二年生になれないと思い込んでいた。


「二年生になれない人たちは、みんな廊下に立っていなさい」


これ以上逆らうと後がない。我々何十人は、廊下という拘置所に移動になったのだ。

いつもは走り回っている廊下も、この時は監獄になる。

しかも冬だったので寒い。

教室のドアがぴしゃっと閉まった。苦しみの時間の始まりである。


暖かい教室では、いい子たちがみんな前を向いて先生のはなしを聞いている。あの子たちは、みんな二年生になれるのだ。羨ましい。


廊下では罪人たちの啜り泣く声が響いた。みんな自分の行動を後悔し、悲しみに暮れていた。

私も辛かった。友達の絵に落書きなんてするんじゃなかった。ストーブで袖を燃やして遊ぶんじゃなかった。いくら悔やんでも悔やみきれない。


「俺たち、本当に二年生になれないのかな」

隣で男子が泣きながら話している。

「どうしよう」

謝りに行こうとする者もいたが、先生は廊下に立ってなさいと言うだけで、教室に入れてくれない。

本当に二年生になれないんだ。私も涙を流した。自分がいかに愚かだったかを振り返った。馬鹿なことをしたと思えば思うほど、涙が流れてくる。


やがて隣のクラスの子が、我々を見物しにきた。

みんな見てくる。やめろ。そんな目で見るんじゃない。ますます情けなくなるじゃないか。こんなの晒し首と一緒である。

恥ずかしさと悲しさで、みんな泣いた。



しばらくして、教室のドアが開いた。先生が立っていた。

もう許してほしい。十分我々は苦しんだ。どうか二年生にしてください。


「みんな教室に入りなさい」

その声はどこか温かかった。罪人たちはゾロゾロと教室の中へ入った。みんなでおそるおそる先生を見たが、先生はもう怒っていないようだった。


「一列に並びなさい」

これを聞いた時はもう終わりかと思った。私は前のいじめ事件を思い出していた。

怖かったので後ろの方に並んだ。

前を見ると、先頭の子が先生と話している。何か言われて席に戻って行った。


とうとう私の番が来た時、先生は穏やかな目で私を見ていた。

「さっきの時間、何をしたか教えてください」

そう言われて私は正直に、落書きをしたこと、教室を走り回ったこと、服でBBQをしたことを話した。

「それはいけないことですか?」

当たり前だ。あんな馬鹿なこと二度としない。

「もうしません、ごめんなさい」

私が謝ると、先生は私の手を握ってしっかり目を見てくれた。よかった。怒られなかった。


「優しくて立派な二年生になってください」

全ての緊張の糸が解けた。

私は脱力し、再び涙を浮かべた。立派な二年生になるとも。先生との約束だ。私は許された。よかった。二年生になれる。


みんな晴れやかな顔をしていた。許されたのだろう。

みんなで二年生になれる。

心から私は安堵した。そして許してくれた先生に感謝した。


一年生最後の日はあまり覚えていない。きっと小宮先生は、明るく私たちを送り出してくれたことだろう。あのまま怒られていなかったら、不良な二年生になっていたかもしれない。厳しく指導してくださって、今も感謝している。




それから数十年後、私は小学校にいた。


「みんなが静かになるまで3分かかりました」

「世界にはご飯が食べられない子がたくさんいます」

そんなセリフを毎日吐きながら暮らしている。子供達は個性的だが、みんな良い子たちだ。先生、先生と私を慕って呼んでくれる。

今日も「あなたの頑張りを先生は見て来ましたよ」なんて言ってきた。

まるで私の言葉じゃないみたいだ。でも子供の時、言われて嬉しかったことを言ってみた。言われた子は嬉しそうに笑っていた。



小宮先生だが、亡くなられた。

私が先生になる数年前に亡くなったそうだ。先輩の先生に聞いた。

聞いた時はショックで思考が一瞬止まった。あの優しい笑顔が見れない、私を褒めてくれた声も二度と聞けない。先生になりましたと報告したかった。


先生は亡くなられたが、あの時の思い出はずっと私の中に残っている。

馬鹿馬鹿しくも楽しかった一年生。あの日々は私にとってかけがえのないものだ。

あの一年が今の私を作ってくれている。


大人になった私はどうかと言われると、あんまり昔と変わらない気がする。

毎日叱ったり、慌てたり、喜んだりと大忙しだ。


私はちゃんと先生をやれているだろうか。小宮先生のように愛のある指導ができているかはわからない。

でも子供達をまっすぐに育てようという想いが、小宮先生と同じだったらいいなと思う。

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