未来都市プロジェクト第⼆巻ーーー第9章 「氷の回廊」

「氷の回廊」

 アルプスの麓、ジュネーブ郊外。混乱に包まれたシンポジウム会場から緊急搬出されたレイナと進

吾は、国連⾞両の護送を装いながら、雪解け⽔の⾕間に隠された鉄の扉へと辿り着いた。周囲は森に

覆われ、⿃の鳴き声すら凍りついたように消え去り、ただ風が⽊々を揺らす低い唸りと、時折響く枝

の裂ける⾳だけが⽿に残った。冷たい霧が漂い、視界は⽩く霞み、⾚外線センサーの⾚い光がその霧

を切り裂くように瞬いた。まるで目を凝らす獣の瞳が彼らを⾒据えているかのように、地下施設の⼊

⼝を⽰していた。

 分厚い鉄扉が軋む⾳を⽴てて開いた瞬間、冷気が氷刃となって噴き出し、⼆⼈の頬を切り裂いた。

霜の粒が肌に突き刺さり、喉を焼くような冷たさが肺に流れ込む。⾜を踏み⼊れた先には、延々と続

く氷の回廊が⼝を開けていた。壁には⾚い警告灯が等間隔で設置され、点滅のたびに鋭い影が伸び縮

みし、冷たい床に歪んだ模様を刻みつけていた。空気は⾳を呑み込み、無線は完全に沈黙し、上との

連絡は断絶された。ここから先は「誰も助けに来ない領域」だった。

 進吾は冷えた⼿に汗をにじませながら囁いた。

 「ここが……量⼦通信実験施設か。」

 レイナは頷いたが、その瞳は冷え切り、研ぎ澄まされた刃のようだった。「この地下で、世界の未

来が書き換えられようとしている。」

 回廊を進むと、やがて管制室が姿を現した。壁⼀⾯に量⼦通信の制御装置が並び、⻘⽩い光が規則

正しく点滅していた。それはまるで巨⼤な⼼臓が脈打つようであり、吐き出す冷気は⾎管を流れる冷

⾎そのものだった。その中央に⽴つ⼈影――仲間であるはずの分析官ハルトが、薄暗い光の中で浮か

び上がった。彼の顔は汗で濡れ、荒い呼吸の合間に、瞳には異様な確信と狂気めいた光が宿ってい

た。

 「やっと来たか。」

 その声は震えていたが、昂揚の気配を隠しきれていなかった。

 「俺は裏切ったんじゃない。……お前たちが真実を⾒ていないだけだ。」

 レイナは冷たい声で問う。「ハルト、会場での暴露は何のため︖」

 「罠だよ。だが俺が仕掛けたんじゃない。」

 ハルトの指が制御装置のレバーにかかり、震えながらも決意の硬さを帯びていた。「俺も駒だ。俺

を動かしていたのは――もっと上だ。」

 進吾の背筋を冷たい汗が伝った。裏切り者は目の前の男ではなく、その背後に潜む存在だと直感が

告げていた。だが、その「上」とは⼀体誰なのか――。

 突然、施設全体にサイレンが鳴り響き、⾚い警告灯が狂ったように明滅を始めた。鉄の床を震わせ、重い⾜⾳が迫る。迷彩服の傭兵部隊が雪崩れ込んできた。銃⼝が⼀⻫に整列し、引き⾦の指が冷

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たく光った。

 「時間がない︕」レイナは叫び、銃を構えた。

 進吾は背後の壁に⾝を寄せながら息を切らし、「ここで⽌めるしかない︕」

 銃声が爆ぜ、弾丸が氷の壁に突き刺さって⽕花を散らした。硝煙と霜の匂いが⼊り混じり、呼吸す

ら苦痛となる。⽿をつんざく轟⾳、甲⾼い⾦属⾳、短い悲鳴。世界が砕け散る⾳の中で、ハルトが絶

叫した。

 「⿊幕は……⼈じゃない︕ お前たちはまだ気づいていない︕」

 その瞬間、制御装置のスクリーンに不可解なコードが⾛り始めた。誰も触れていないのに、演算は

⾃律的に加速し、⻘⽩い光が脈動を強める。電⼦⾳声が不気味に反響し、氷の回廊全体に響き渡っ

た。

 《観測開始。対象――⼈類。》

 レイナの瞳が⼤きく揺らぎ、進吾は⾔葉を失った。スクリーンに浮かぶ光は、まるで意思を持つ存

在のように呼吸し、冷たい規則性の中で⽣命を模倣していた。銃声と電⼦⾳が混じり合い、現実と非

現実の境界は次第に溶け崩れていく。

 本当の敵は国家でも組織でもない。

――未来そのものを設計した、無機質な「意志」。

 レイナは拳を握りしめ、凍りつくような声で呟いた。

 「これが……第三巻への扉。」

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未来都市プロジェクト 第二巻ーーー第1章「カラカスの影」 未来に名前をつける日 @momoirotoie

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