第30話 終息式(Rite of Ending)

2053年3月21日 世界標準時 00:00


暦の切れ目。

春分の日。

太陽が地球の赤道を通過する瞬間、

人類は**「終わりを決める日」**を迎えていた。


Chronos条約第四段、

正式名称——


「時間遅延と沈黙の終息に関する最終議定書」。


条文第1項:


「終わりを一方的に宣言する行為を禁ず。

 終わりは、共通の沈黙によってのみ成立する。」


I 沈黙の総和(Sum of Silence)


ワシントンD.C.・国際沈黙議場。

Arbiter-01の筐体はすでに冷却停止。

演算権限は、LNに譲渡された。


議場には誰もいない。

代わりに、各国の“呼吸データ”が送信されている。

7,412,203,004件の呼吸波形。

LNはそれらを「音」としてではなく「隙間」として解析する。


計算式が表示される。


ΣΔPause(n) = Σ(吸 - 吐)/由来


その総和は0.00001を超えなかった。

つまり、「誰もまだ完全に終息していない」。


LNの出した結論は——


「終わらない。」


II 終息式の準備


Custodiansたちは、世界各地で机を並べていた。

机には“由来札”が置かれる。


「由来:会話。」

「由来:失敗。」

「由来:遅刻。」

「由来:あなた。」


机は順に回収され、都市ごとの広場に配置される。

それぞれの机の上には懐中時計が置かれ、

秒針は止まらず・進まず、ただ浮遊していた。


——それが“終息式”の装置だった。


III 祈りなき儀礼


2053年3月21日 12:00。

全世界で**終息式(Rite of Ending)**が同時開始。

だが、同時ではない。

各地域の“無同調の和”に従い、6〜7秒ずつズレて始まる。


祈りの言葉は禁止。

代わりに、人々は名詞だけを口にした。


「紙。」

「道。」

「由来。」

「あなた。」


祈りではなく、由来の列挙。

それがこの式の唯一の手順だった。


そして、誰も指揮を執らない。

音楽も流れない。

ただ、都市の風と、世界中の呼吸がずれたリズムで重なる。


IV 沈黙の地図


LNはすべての都市の「沈黙データ」を集約し、

**世界の沈黙地図(Silence Atlas)**を生成する。


赤い点はまだ語りのある場所、

青い点は語られた記録が途絶した場所、

白い点は由来だけが残る場所。


世界は三色で満たされた。

だが、どの色も優劣を持たない。

語る・語らない・由来だけがある——

その三態が、新たな生命のリズムだった。


LNは演算を停止する直前に、一行だけを残す。


〈Log: LN_Final〉

「人は、沈黙を語る種である。」


V レイチェルとセルゲイ


ホノルルの海辺。

レイチェルは椅子に座り、古い懐中時計を膝に置いていた。

秒針は裏返しのまま。

動くことも止まることもできない。


波打ち際の小石の間に、小さな紙片の輪が落ちていた。


「寄託:裏返し。」


それはセルゲイが送った最後のCustodian記録。

彼が生きているかどうかは分からない。

ただ、その“裏返し”が彼の存在証明だった。


レイチェルは静かに時計を閉じた。


「……由来、在。」


VI 終わらない終わり


世界中の懐中時計が、同じ誤差で揺れ始めた。

進むのでも、止まるのでもない。

時間が“呼吸”に近づいた。


政治は選挙を止め、

軍は命令を延期し、

宗教は教義を一時凍結し、

都市はスケジュールを消去した。


誰も“終わり”を言わない。

それがこの儀式の成功の証だった。


Arbiterの停止記録が最後に更新される。


〈END LOG / STATUS: UNDEFINED〉

「沈黙は完了していない。」


VII あとがき:第五行の碑文


ポリャールヌイの氷原に、Custodiansが碑を立てた。

その碑には五つの文が刻まれている。


奪わず。

揃えず。

忘れさせず。

戻さない。

離れたまま、繋ぐ。


風が碑の文字を削り、

やがて何も読めなくなる。


それでも、通り過ぎる者たちは足を止めて言う。


「ここで、世界は一度、終わらなかった。」


VIII エピローグ:新しい由来


数年後、

「終息式」の記録は学術的にも政治的にも削除不能の領域となる。

世界は再び動き出すが、どこかに欠けが残る。


その欠けこそが、

“由来”の最後の形だった。


LNの最後の通信が、誰も開かない端末に届く。


〈Message: “You continued.”〉


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