仮面

志乃亜サク

がんばれ吉岡

 ある月曜日、5限HRホームルームの時間。


 いま生徒たちの手には、目元だけを隠す仮面舞踏会風のマスクが握られている。

 何の説明もなく冒頭に配られたそのマスク。両端には輪ゴム付き。これを耳にかけて装着できるようになっているようだ。


 「先生、これは?」


 ひとりの生徒が尋ねる。もっともな質問だ。


 「ヴェネチアン・マスク」


 教壇の担任教師・渋沢玲子はそう答える。

 微妙に質問の答えになっていない。


 「いや違くて」


 別の生徒が言いかけるのを手で制し、玲子は言葉を続ける。


 「あなたたちは今、本音でぶつかり合いたいと思っているわ」


 なんで断定?

 生徒たちの表情に困惑の色が浮かぶ。


 「わかってる。本音でぶつかりあってこそ青春。だけどそれは、とても勇気が要ることよ」


 なんかわからんけど、何かが始まった。


 「『本音を言うと嫌われるかも』『笑われるかも』――そう考えるうちに、やがて人は本音を隠すようになり、仮面を着けて生きる術を覚えていく――それはある意味で大人になるってことだけど」


 なるほど、そうかもしれない。


 「そんな大人、クソくらえよ」

 

 情緒……!

 週末なにがあったんだ、渋沢先生。


 「というわけで、全員お手元の仮面を着けてください。これで互いに誰だかわからなくなるので、気兼ねなく本音でぶつかり合うことができるはずよ」


 そんなわけあるか。

 しかし生徒たちは戸惑いながらも配られた仮面を装着する。


 するとどうだろう。

 視覚情報が減ったことで、逆に気持ちは開放的になった気がしないでもない。


 「みんな準備はいい? それでは、遠慮なく本音をぶつけ合いなさい」


 とうとうデスゲームの進行役みたいなことを言い始めた。


 「まあ、突然そう言われても難しいでしょう。だからテーマを『仮面』とします。では、阿久津くんからどうぞ」


 いきなり名前を呼んだ。マスクの意味よ。


 玲子は黒板中央に大きく「仮面」と板書した。





 「俺は……」


 阿久津が口を開く。こういうときの阿久津は強い。


 「俺は仮面浪人になりたい。仮面浪人をしながら、より高みを目指したい」


 仮面浪人。本命ではない大学に通いながら、ひそかに本命大学の合格を狙う不屈の戦士。その茨の道を、彼は歩みたいのだという。

 周囲からどよめきが漏れる。阿久津、そんな夢があったのか。


 本命に現役合格という選択肢はどこいった……?

 玲子はそう言いかけて止めた。仮面越しに真っすぐ見つめてくる阿久津の曇りなき瞳に、何も言えなくなってしまったのだ。


 「そう……あなたならきっとなれるわ……立派な仮面浪人に!」


 玲子の力強い言葉に「おお!」と歓声があがる。隣の生徒に肩を叩かれ屈託なく笑う阿久津。

 そんな彼の勇気ある告白に背を押されるように、数人が手を挙げて続く。 

 


 「じつはうちの両親、仮面夫婦なんです」


 そう切り出したのは高砂だ。

 

 仮面夫婦。外面は仲睦まじい夫婦を演じながら、内実は愛が失われた夫婦。穏やかじゃない。

 その純粋さで「ピュアボーイ」の異名を持つ彼が、まさかそんな複雑な家庭事情を抱えていたとは。


 「昨日の晩、なんか寝つけなくて。台所で水飲もうと思って部屋を出たんよ。で、途中にある両親の寝室の前を通ると、中から声がするの。『フライハーイ、フライハーイ』みたいな」


 「……布袋?」


 「祭りかな? と思って襖を少し開けてこっそり中を覗いたら。まさにこんな感じの仮面を着けた全裸の両親がベッドの上で踊ってて――」


 「OK、大丈夫」


 「えっ?」


 「それはたぶん仮面夫婦じゃないから安心して。それより今のうちに一人っ子を満喫しておきなさい」


 さすが高砂。その名に恥じぬピュアボーイ。その純粋さが逆に心配だ。 



 「それなら俺からもいいかな? 恋愛関係のことなんだけど」


 吉岡。クラスで最も冷静な男。

 歳のわりに冷め過ぎている吉岡にも、高校生らしい恋愛の悩みがあったとは。これは嬉しい驚きだ。


 「じつは俺、ティンコがときどき覆面レスラーなんだけど」


 何を言ってるんだお前は。


 「このまま彼女と初めてのルチャ・リブレに突入しても良いのだろうか?」


 知らん!

 そしてそれは仮面じゃない。仮性だ。

 気になるなら病院行け!


 黒板に「下ネタ禁止」の文字が加わった。



 「ボクからも良いカナ?」


 一番後ろの席に座る長身の生徒が手を挙げる。留学生のハキム・アフロヘア。


 「じつはボク、仮面留学生なんデス」


 「仮面留学生?」


 「観光ビザがきれマスた」


 「大使館行け。今すぐ!」


 そして黒板に「ガチのやつ禁止」の文字が加わった。





 最初この企画に戸惑っていた生徒たちも、いつしか胸襟を開いて本音でぶつかり合っている。


 いま教室の中央では、ふたりの生徒が互いの胸倉を掴み「そういうとこだぞ、岡崎!」とか言いながら罵り合っている。それを困り顔で引き離そうとする生徒もいれば、指笛吹いて煽り立てる者もいる。


 ふふ……青春ね。

 

 玲子はひとり喧騒の輪から離れ、窓を開けて遠くを眺めた。爽やかな秋風が教室に吹き込み、掲示プリントを揺らす。校庭では逃げる柴犬とそれを追う体育教師が走っている。


 そう、誰もが仮面を被って生きている。私だってそう。

 校長から教員免許状の提出を催促されてるけど、実家のどこにあるのかわからない。だから今の私は仮面教師。ちょっと格好いい。


 だけど子供たちには……仮面を脱いで学生生活を楽しんで欲しい。そう玲子は心から願っている。

 それができるのは、十代の今この時だけなのよ。


 振り向くと、いつの間にか吉岡が皆から胴上げされている。


 とりあえずパンツを履け! 吉岡!



<了>

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仮面 志乃亜サク @gophe

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