呪殺の魔女は笑わない

七瀬ナナナ

私、呪い殺すのが仕事なんですが。 ~不機嫌な諜報員とカワウソの解呪ミッション~

 アルカラ自由連合国国防総省地下三階。諜報部第三尋問室。


 湿った石垣に囲まれた薄暗い部屋で、一人の男が椅子に手足を縛り付けられていた。

 額からは汗がしたたり落ち、瞬きしない目の瞳孔は開ききっている。

 相手の記憶を読み取る魔術によって、脳の隅々までに虫が這いずる感覚に襲われていた。


「……ダンジョン、低層階……昼時……混雑に……爆発」


 よだれを垂れ流しながら、男の口から情報がこぼれ出す。

 男の正面にガタイのいい年老いた女が、タバコをくゆらせながら縛られた男の額に人差し指を当てている。

 煙の隙間から時折、頬から顎にかけて走る深い刀傷が見えた。

 彼女はアルカラ自由連合国諜報部・諜報総監。

 二つ名は《夜鴉(ナイトレイヴン)》

 部下たちは畏敬を込めて、彼女を《マザー》と呼ぶ。

 マザーは工作員の記憶を読みほどいていた。


「吊り籠……資源……市場……操作……」


 部屋の隅に立つ長身の女諜報員が、灰青はいあお色の瞳を細めた。

 バルバラ・ノクティスカ。

 アルカラ自由連合国諜報部所属の《ネックレス》と呼ばれる魔術師である。

 ただ《ネックレス》とは呼ばれることはなく、周囲からは《呪殺の魔女》の名で知れ渡っていた。

 暗い緑を基調としたコートに銀糸の刺繍のいばらが揺らめく。

 深い紫の長髪を後ろでまとめた彼女は、美しくも冷ややかな雰囲気を纏っていた。


「イルミューラ条約違反の強制記憶読み込み魔術」


 バルバラは、ぼそっと呟いた。

 国際条約で禁じられた非人道的魔術だ。


「いいんだよ。どうせコイツはテロリストを装ったルシア帝国の工作員だよ」


 マザーは指を離さずに答える。


「条約なんてのはな。戦争前の挨拶のようなもんだ」


「戦争は始まっていないはずだけど」


「始まってからじゃ遅いんだよ」


 マザーが男の額から指を離すと、工作員はぐったりと意識を失いうなだれた。

 タバコの煙を細く吐き出し、振り返る。


「バルバラ、どうやらウチの一番でかいダンジョンに、広範囲呪縛魔術が仕掛けられてるようだよ」


「《蒼龍の迷宮》ね」


「ああ、一番混んでる昼時に呪いが爆発魔術で拡散されるようにしてある。《濃霧の夜》なんていう二つ名で呼ばれているコイツが、ご丁寧に何個かおいて行ってくれたよ」


「それで、呪いが得意な私が呼ばれた。諜報部は人選を間違えたんじゃ?」


 バルバラは薄い唇を軽くあけてため息をついた。


「 私は『呪殺』の魔女。解呪じゃなくて、呪うのが専門」


「ふんっ。お前以外に誰がいるんだよ。すでに冒険者たちが作業を進めているよ。さっさと行きな」


 マザーはタバコを床でもみ消した。


「バルバラ」


「何」


「死ぬんじゃないよ」


「うん。……この任務、めんどくさい」


 バルバラの口角がゆっくりと上がった。

 二つ名のあるルシア帝国の工作員が仕掛けた呪い。

 それを解くのは、確かに興味深い仕事だ。


 ◇ ◇ ◇


 《蒼龍の迷宮》に緊急招集された冒険者たちが、不安そうに囁き合っている。

 その中心には、テロなどの爆発魔術処理と解呪を得意とする精鋭パーティ《テトラレック》とギルドマスターの姿があった。


「それでオース、術式構造が不明の呪いなんだな? 我々の術師でも解呪できないんだな?」


 パーティリーダーのオースが、ギルドマスターを睨みつけた。


「ああ、俺たちの魔術師では無理だ。時間が足りない。術式が複雑すぎる上に、強力な爆発魔術と連動している」


「そうか。国に依頼して、専門家を要請しておいてよかった」


「専門家って、誰を……」


 重い扉が開き、暗い緑のコートを纏った女が姿を現した。

 その瞬間、室内の空気が凍りついたように静まり返る。


「本気か、バルバラかよ」


 オースが忌々しげに吐き捨てた。


「《呪殺の魔女》じゃないか」誰かが呟いた。


 パーティの中から囁き声が聞こえてくる。


「彼女って諜報部という噂あるんだろう。なんでギルドの案件に……」


「いや、聞いた話だと呪うより解く方が……いや、逆か?」


「あいつ、関わっちゃまずいタイプだろ」


 バルバラは周囲の声にも無表情のまま、まっすぐギルドマスターの元へ歩みよってくる。

 困惑と畏怖を浮かべた冒険者たちが、自然と左右に分かれて道を作った。

 オースが値踏みをするようにバルバラを眺めている。

 その視線を遮ってギルドマスターが咳払いをした。


「バルバラ殿。お待ちしておりました。聞いているとは思うが、その、解呪を依頼したいのだが」


「さあ? 見てみないと」


 バルバラの曖昧な返答に、オースが「やる気あるのか?」と小声で毒づく。

 ギルドマスターは咳払いをして話題を変えた。


「状況は切迫している。実は、国から派遣された男がすでに現場に入っている。名前はドル――」


「王子様はいらない。結構。一人でいい」


 バルバラは即座に遮った。


「いや、王子様ではなくてドルトンという優秀なシーフで――」


「私の監視役ね」


 興味なさそうに手を振るバルバラに、ギルドマスターは諦めたようにため息をついた。彼は一枚のメモが書き込まれた地図を渡す。


「ドルトンからの情報だ。呪いの術式は通路の燭台に書き込まれていたそうだ。あと『バルバラ殿によろしく』と」


「……字が汚い。私じゃなきゃ読めない」


 メモを眺めながら、バルバラは誰にも聞こえない声で呟いた。


「あの。バルバラさん」


 《テトラレック》の魔術師らしい女性が、おずおずと鳥かごを差し出した。

 鳥かごの中ではせわしなく、カワウソ似の魔物が動き回っている。


「ペキィ?」


 魔物は立ち上がり、つぶらな瞳でバルバラを見上げた。


「これは《カースイーター》。呪いを強く感知する魔物ですの。お役に立てばと思いまして」


「要らない」


 バルバラの視線は、魔物の首に巻かれた魔石が埋められた首輪に注がれていた。

 魔石が埋め込まれた、電流で服従を強いる無慈悲な拘束具だ。


「……」


 バルバラは無言で鳥かごを受け取った。

 弱い立場の者に、無自覚に痛みを強いる。

 こういう人間の持つ『無神経さ』こそ、私が解かなければならない呪いだ。


「……では、よ、よろしくお願いいたしますわ」


 魔術師はバルバラの冷気にたじろぎながら一礼し、下がっていった。


「さて、働くかな」


 ダンジョンへ向かう人気の無い通路で、彼女は鳥かごを開けた。

 地面に降りた魔物は「ヴゥゥゥ」と威嚇する。

 構わずバルバラが首輪に手をかけると、バチッと小さな火花が散った。

 恐怖による防御反応だ。

 だが、バルバラは眉一つ動かさず、そのまま首輪を引きちぎり、放り投げた。


「ペキィ?」


 魔物は首元を何度も前足でかき、恐る恐るバルバラの手に鼻を近づけた。

 手の匂いを嗅ぎ、頬をすり寄せてくる。


「名前は?」


「ペキィ」


「ペキィね。わかった」


 バルバラは無表情を貫きつつ、その頭を一度だけ撫でた。


「ペキィ。行くよ。死なないでね。面倒だから」


 バルバラが歩き出すと、ペキィは慌ててその後を追いかける。

 魔女と一匹は、迷宮の暗闇へと足を踏み入れた。


 ◇ ◇ ◇


 閉鎖されたダンジョンの静寂の中、バルバラは呪力感知を展開して進む。

 視界の中で、少し先の燭台が赤黒く滲んでいた。


「ヴゥゥゥ……」


 バルバラの足元で、姿勢を低くしてペキィが唸る。

 ギルドマスターから受け取った地図に視線を落とす。


「あれかな」


 近づいてをかざすと複雑に錯綜するラインが緑色に浮かび上がった。


「ふーん、手が込んでる」


 燭台を手でスキャンするようにかざして、術式の解析を始める。

 軽くため息をついた。


「コレジャナイ感が強い」


「ペキィ?」


「見せかけだけ。複雑に見えるけど中身はスカスカ」


その場にしゃがんでペキィを撫で始める。


「自信と挑発が混ざってる。作り手の強気な性格が滲んでる」


続けてペキィに語り掛ける。


「解けるものなら解いてみろってね。でも、私も自信家」


 杖を取り出し、迷路を解くようにラインを繋ぎ変えていく。

 時間をかけずに、彼女は術式を無力化した。


「解いたことによる安堵感を味わせて、任務終了と思わせたいわけね」


 ペキィが足元に寄って来た。

 バルバラはペキィに語りかける。


「きっと本命は別にある」


 ペキィが壁を駆け上がり、燭台のあった場所からメモを見つけた。

 王子様が書いた汚い字の走り書きだ。


 《濃霧の夜》の言う『吊りかご』はゴンドラのこと。

 竪坑たてこうのゴンドラ乗り場が本命だ。


 バルバラの瞳が、鋭くなる。


「このダンジョンを丸ごと腐らせる気? 最悪」


 バルバラは、迷うことなく下層行きのゴンドラ群へと駆け出した。


 ◇ ◇ ◇


 六千五百年前、異世界より最初の『人族』が召喚されて以来、この世界では、二百五十八年と三百六十九年が交互に巡る召喚周期でダンジョンが発生し続けてきた。

 それは厄災であると同時に、資源の宝庫でもある。

 この《蒼龍の迷宮》は、街の経済を支える心臓部だ。

 竪坑たてこうとゴンドラはいわば「血管」であり、ここが呪いで汚染されれば、魔石の供給は止まり、街の経済圏は麻痺する。

 路頭に迷う街の人々の姿が脳裏をよぎり、バルバラは奥歯を噛み締めた。


「ペキィ?」


 腕にしがみつくペキィに語りかける。


「さっきの呪いが仕掛けられた燭台。わざと魔術師の注意を引くようになってた。解呪に時間を使わせて、本命の呪いが発動するための時間稼ぎが目的だった」


 バルバラは走りながら思考を巡らせる。

 竪坑に沿って呪いが下へと拡散していけば各階層にも呪いが広がり、しまいにはダンジョン全体に呪いが広がっててしまだろう。

 そうなれば、きっとダンジョンは閉鎖せざるを得ないだろう。

 バルバラはゴンドラ乗り場のある広間にたどり着く。

 巨大な空洞に、何本ものワイヤーとゴンドラが吊り下がっている。


「ペキィ、呪いを探して、お願い」


 まだ少しだけ余裕がある。問題はない。

 けど、どこだ?

 何処に仕掛けられているんだ?


「ペ、ぺ」


 ペキィがバルバラの腕から飛び降り、乗り場の方へ消えていった。

 どれほど経っただろうか。

 一本のナイフを咥えたペキィが、戻ってきた。


「これは」


 ナイフの刃から複雑な幾何学模様の術式がゆらゆらとオーロラのように輝いている。

 バルバラの表情が歪む。


「綺麗」


 呪いがこんなにも美しいなんて。

 これはもう、作った人間の魂そのものだ。

 ダミーの術式とは比べ物にならない。

 解呪するのは無理だ。合理的なプロセスがイメージできない。


(待って……。解呪ができなくても術式の分離なら?)


 ナイフに記述された術式を睨む。

 術式は二重構造だ。『呪いの拡散』と『起爆』。

 二つが複雑にリンクし、どちらかをいじれば即座に作動するはず。

 その時、後方からギルドマスターが駆け込んできた。


「バルバラ殿!大丈夫で――」


「来ないで! 解呪は不可能。急いで避難をして」


「そんな、あなたを置いては」


「急いで!」


 バルバラの剣幕に、ギルドマスターは息を呑み、引き返した。

 彼が去るのを確認し、バルバラはナイフに向き直る。


「ペキィ、ナイフを頂戴。静かにね」


 ペキィがそっと口からナイフを地面に置く。

 リンクを切断するしかない。

 問題は、二本のラインのうちどちらが「呪い」で、どちらが「起爆」かだ。確率は二分の一。


「お願い。呪いはどっち?」


「ヴゥゥゥ……」


 ペキィが左側のラインに鼻先を近づけ、低く唸った。


「信じる」


 バルバラは魔力を通さない特殊な杖を取り出し、左のラインを一閃した。

 幾何学模様が消えていく。

 呪いの拡散は止まった。

 その直後、ナイフから「キンッ」と甲高い音が鳴る。

 残った右のラインが徐々に赤くなり、ナイフ全体を染め始めている。


「まずい、時間差なしで起爆!」


 彼女自身に防御魔術を展開する。

 呪いは防いだ。あとは爆発を私が抑え込めばいいが――。


「ペキィ、離れ――」


 その時だった。

 ペキィがナイフを口に咥え、猛然と駆け出したのは。


「ダメッ! 戻って!」


 ペキィは振り返らない。

 ゴンドラ乗り場の奥、底知れぬ竪坑の闇へ向かって走っていく。


「戻って!」


 バルバラは誰もいない暗闇を見つめていた。


(私はまた……助けられなかった)


 閃光がダンジョン通路を白く染め上げていく。

 轟音が鼓膜を激しく叩いた。


 爆発は局所的なものに留まったが、それでも破壊力は凄まじい。

 爆風で壁に叩きつけられながら、バルバラは煙の立ち込める空洞を見つめた。

 ペキィは、もう戻らない。


「……馬鹿な子。命令違反」


 バルバラは立ち上がり、コートについた埃を払いながらゴンドラのあった場所を見つめた。

 しばらくの間、見つめていた。


 ◇ ◇ ◇


 任務を終えたバルバラが戻ると、《テトラレック》のメンバーが出迎えた。

 皆、彼女の功績に感謝と畏敬いけいの念を示している。


「さすがは《呪殺の魔女》だ。あの状況でよくもまぁ」


「いや、今回は解呪だから《解呪の聖女》か?」


「そんなことはどうでもいい。俺たちの街を救ってくれた」


 バルバラは押し寄せる称賛の声に顔を伏せ、群れの中から逃れた。


「バルバラ」


 聞き慣れた声に足を止める。

 すすだらけの男、ドルトンが立っていた。


「あ、王子様」


「ごめんね。おっさんで」


 すすだらけの男は無精ひげをいじりながら苦笑いした。


「お疲れ様。君の活躍、《マザー》も高く評価してるよ。きっとね」


「別に。どうでもいい」


「ああ、それとね。現場の回収班が見つけたんだ」


 ドルトンが腕に抱えていた毛布の包みを、そっと差し出す。

 バルバラは、その包みを悲しそうに見つめた。


「ペキィ!」


 バルバラの灰青はいあお色の瞳が、信じられないものを見るように見開かれた。


 毛布の中で、ボロボロになりながらも、ペキィは顔を出した。

 額を怪我して、体毛もあちこち焦げているが確かに生きている。


「こいつ、頭いいんだよね。とっさに魔力防御を展開したらしい」


 バルバラは小さくうなずく。


「それに、小さいから爆風をうまく受け流せたんだろう。竪坑たてこうの途中の足場に引っかかってたらしいよ」


「ペキィ……」


 ペキィが弱々しく鳴き、前足をバルバラに伸ばす。

 バルバラは無言でペキィを受け取った。小さな体を胸に抱き、その温もりを確かめる。


「よかった」


「ペキィ?」


「おかえり」


 バルバラの口元に、ごくわずかな、しかし確かな微笑みが浮かぶ。

 その滅多に見せないであろう優しい微笑みに、ドルトンは目を細めた。


 迷宮の外では、夕焼けが街を赤く染め始めていた。

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