英雄の資質

真田紳士郎

英雄の資質




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【ヒーロー】


 困難に立ち向かい、他者を救う存在。


 ライブアイドル・地下アイドルのでは、

 アイドルのピンチを救うオタクを『ヒーロー』と称する文化・風潮がある。




・─・・─・・─・・─・・─・・─・











 姫子ひめこは弱音を吐くようなコではない。


 俺は姫子のそんな姿を見たことはなかった。

 いつも自分の夢に向かって前向きなアイドルである。

 その姫子が今、弱さを晒していた。




<< 播磨はりま 姫子ひめこ >>   3分前


『姫子推しのみなさん! 大ピンチです!!

 今日のライブ、平日午後ということもありご予約とても厳しいです。

 このままでは姫子推しさんゼロでライブスタートの予感……。


 この状況を打破してくれるヒーロー! お待ちしております!』




 SNSの通知が来たので見たらコレ。

 スマホ画面を見つめたまま呆然としてしまった。


 ネガティブなことをSNSには書かない姫子が、

 『ファンが少ないのは私の課題だから』と現場に来ないオタクを責めない姫子が、

 みんなの先頭を歩いて背筋をピンッと伸ばす美しい後ろ姿の姫子が、


 あの播磨姫子が初めてオタクを頼ってきているのだ。


 職場での昼休み。

 俺は動揺して自分のロッカーを意味もなく開けたり閉めたりした。

 待て、落ち着け、冷静になるんだ。

 SNSを辿って姫子が所属しているアイドルグループ『迷宮だんじょん!』のライブ出演時間を確認する。



 15時30分 ~ 15時50分 迷宮だんじょん!



 あー! 早い!!

 夕方からなら仕事終わりに寄れる可能性もあるが、

 平日の対バンイベントで15時30分スタートはさすがに早過ぎる。

 俺は瞬時に、自分が抱えてる業務量を思い浮かべる。

 体調不良だとか嘘をついて早退するわけにはいかないレベルだ。


 ……どうしたらいいんだ!

 目を閉じて、ぐっと歯を食いしばりロッカーに握りこぶしをふたつ添える。

 俺は考えた。

 そして考えに考えた末、俺は思った。


 、と!


 姫子推しには平日休みのオタクも居る。

 今までだってその人たちで平日現場はなんとかなって来たわけだし、

 今日は姫子からあんなアナウンスまで出ているんだ。

 きっと誰かしら行くだろう。

 その人たちに任せよう。

 うん……。


 俺はつかつかと歩いてオフィスに戻り自分の仕事に取りかかる。

 こういう時は悩んではいけない。

 頭を切り替えて仕事に打ち込むに限る。

 むしろ手を動かしている方が落ち着くのだ。

 

「あ……あだち君、どうしたの? 凄いスピード出してるじゃないの!」


 職場のおつぼねさんが俺に話しかけてくる。


「そうですか? いつも通りですが」カタタタタタタッ

「明らかに尋常じゃない速さよ!」


 俺は笑顔のままやんわりとお局さんをあしらった。

 話していると気が散って余計なことを考えてしまう。

 仕事に集中しなければ。

 仕事に集中しなければ!

 今日は現場に行く日じゃないんだ!!


 きっと誰かが姫子のところへ行ってくれるさ。

 きっと誰か……。

 そこで仕事する手がピタッと止まった。



 ……もしも、誰も行かなかったら?



 俺の知る限り、姫子は初めて自分のオタクに助けを求めた。


 つぶやきを送信するのに勇気がいったろう。


 彼女なりにやれることはやったのだ。


 一縷いちるの望みをかけてステージに出た姫子の目に、


 彼女の担当カラーであるピンクのペンライトが、


 客席で一本も光っていなかったら、


 自分推しのオタクを一人も見つけられなかったら、


 彼女はどんなに傷つくだろうか。


『自分は誰からも必要とされていないアイドルなんだ』と、自暴自棄になったりはしないだろうか。


 そんな思い、彼女には絶対にして欲しくない!


 俺は姫子が好きだ。


 播磨姫子という人が大好きなんだ!!!




「それは『アイドルとして』ってことじゃなく……?」


 姫子の大きな瞳が絵に描けるほど丸くなった。


 ある日のチェキ会の最中、

 自分の気持ちを抑えきれずにほとんど告白みたいなことを姫子に言ってしまったことがあった。


「そっか」


 姫子は落ち着いて考えを巡らせているようだった。

 言ったそばから俺は後悔した。

 彼女を困らせてしまっているのが分かる。

 そりゃ突然オタクからなどされたら、そうなるだろう。

 自分で自分を殴りたい。

 

「まず」


 姫子がうつむいていた顔を上げ見つめてくる。


「あだち君。私のことを好きになってくれてありがとう」


 彼女のうるんだ瞳が美しいと俺は思った。 


「だけどごめん。あだち君の気持ちにはこたえられない」


 姫子の目には意志の強い光が宿っている。

 失恋のショックと安堵とがないまぜになった奇妙な感情が胸に去来した。

 うん、そりゃそうだよね。

 君はアイドルだから。

 君はそれでいい。

 俺はみずからを『ダメージ受け流しモード』に移行し、ものわかりのいい素振りでうんうんと頷くだけのロボットになった。


「やっぱり私はアイドルだから」


 うんうん。


「私、あだち君の恋人にはなれない」


 うんうん。


「だけど、一緒に人生を歩んでいくことはできるよ」


 うんうん……えっ!?

 姫子の言葉が意表を突くものだったので俺は思わず彼女を凝視してしまった。


「あなたの毎日の中に私が存在して、一緒に歳を取っていくことならできる」


 姫子……。


「あなたと同じ景色を見ることはできる」


 姫子……!


「私も。私の見る景色に、これからもあなたが居て欲しいって思っているよ」


 姫子!!!



 、じゃダメなんだ。


 俺が行くんだよ!


 彼女をピンチから救うために―――!!



 カタカタカタカタ ターン



「課長、頼まれてた案件、終わりました!」


 課長は驚いた顔で俺を見た。


「え!? アレもう終わったの? そりゃずいぶんと早いじゃ……」

「課長!」


 俺は入社して初めて上司の話しをさえぎった。

 

「急用があるので、時間休を取らせていただいてもよろしいでしょうか?」


 課長はすこしだけ困ったような顔をする。


「ああ、そうなの? そういうことはもっと早めに言ってくれなきゃ……」

「すみません! 好きな人がピンチなので行ってあげたいんです!」


 俺は勢いで思わず口走った。

 オフィス内が、おおっ! とざわつくのが聞こえて耳たぶが熱くなる。

 言ってしまったものはしょうがない。


「課長、よろしいでしょうか?」


 俺の問いかけに課長の頭頂部がつるんと光った。


「ばかだなぁ、あだち君」


 課長は口元に笑みを浮かべて俺を見る。


「そんなことに上司の許可が必要か?」

「課長」

「行ってあげなさい。好きな人のところへ!」

「課長!!」


 俺は課長を力いっぱいに抱きしめる。

 奥の方でお局さんの悲鳴とも歓喜ともとれる声があがった。

 デスクからカバンをむしり取ってオフィスを飛び出す。


 会社からライブ会場までは走れば30分程度で着く距離だ。

 大通りに出てタクシーを拾う選択肢もあるが、それはしなかった。

 俺は走った。走りたかったのだ。


 首にまとわりついてくるネクタイがわずらわしくて駆けながら外した。

 今からならギリギリ、ライブの出番に間に合うかもしれない。

 平日の昼下がり、勤め人で活気溢れる街を早退して全力疾走する。

 俺は一体なにをしているのだろうか。

 アイドルオタクじゃない人が俺の姿を見たら呆れるだろうか。


『付き合えもしない女のために、なんでそこまですんの?』


 実際、の友人に言われたことはある。

 それは当然の反応なのかもしれない。

 付き合えそうな人、

 結婚できそうな人のために何かをする方が、

 効率のいい賢い生き方なのかもしれない。


 だけど、俺が好きになったのは播磨姫子なのだ。

 好きになった人がアイドルだったのだ。

 笑いたければ笑えばいい。

 姫子を好きになってから俺は毎日が幸せなんだ。




「───当日券ありますか!?」


 息を切らしてライブ会場の受付にたどり着く。

 平日午後なだけあって入口周辺はがらんとしていた。


「はーい。当日券ですねー。現金のみとなりまーす」

「ハイ!」

「お目当てのグループはー?」

「迷宮だんじょん!」

「迷宮だんじょん!さんですねー。はーい。リストバンドを右手に巻かせてもらいまーす」


 受付スタッフのゆったりとした対応にやきもきしながら俺は入場した。

 時計が視界に入る。

 15時33分。

 よし! まだライブは始まったばっかりだ!

 額の汗をシャツの袖で拭って、俺は客席への重たい扉をぐぐぐっと押し開ける。


     

『このままでは姫子推しさんゼロでライブスタートの予感……』


『この状況を打破してくれるヒーロー! お待ちしております!』



 ……待ってろ姫子!


 寂しい思いなんてさせない!


 俺が君のヒーローになる!!


 


 そう意気込んでフロアに駆け込んだ瞬間―――。






 姫子推しのピンクペンライトを10本くらい見つけて俺は盛大にズッコケた。






「そりゃ、こうなるよな~」

「あのつぶやきを見ちゃったらね」

「慌ててリスケしたわ、ガハハ」

「おいおい姫子推し集結し過ぎだろ」

「姫子アベンジャーズだ」

「みんな本気出せば平日ライブも来られるじゃん! 普段から来いよ!」

「「「アハハハハッ」」」


 ライブ後、特典会の会場。

 集まったオタクたちが和やかな談笑に花を咲かせている。

 土日のイベントとほぼ同じくらいの賑わいだろうか。

 いろいろと思うところはあるが―――。

 結果的に、姫子が寂しい思いをすることはなかったのだ。

 これで良かったんだよな、これで。うん。


「みんな、ありがとうー!」


 姫子ら『迷宮だんじょん!』のメンバーがやってくるとオタクたちが大きく盛り上がった。


「まさかこんなに集まってくれるなんて。私が驚いちゃった!」


 姫子が無邪気にそう言うと笑いが起こる。

 たくさんのオタクたちに囲まれて、その中心に姫子の愛らしい笑顔がある。 

 俺はその光景を微笑ましく眺めていた。


「あだち君! 来てくれてありがとう。嬉しい!」


 俺の順番が来た。 

 チェキを撮った後、ちょっとだけ姫子に意地悪を言いたくなった。


「姫子……?」

「いやいや、やってない! やってないって! あれつぶやいた時、本当に姫子推しさん誰も来る予定なかったんだよ~。本当に命救われた~。ありがとう!」


 オタクが集まった安心感からか、彼女はいつもより感情表現が豊かだった。


「ところで、あなた入って来たとき転んでたよね? 大丈夫だった?」

「あれ見えてたのか」

「もちろん見えてたよ。怪我しないように気を付けてね。でもさ、そこまでして急いでくれたんだなって。すごい嬉しかったよ」


 俺がズッコケたのは別の理由だ。

 チェキにサインとメッセージを書き終えた姫子がまっすぐに見つめてくる。


「あだち君。私のピンチにちゃんと駆けつけてくれるんだね」


 姫子は悪戯っぽい表情で俺の顔を覗き込んできた。


「そ、そりゃ来るよ」


 俺が上目遣いに弱いのを知ってて彼女はそうしてくる。


「ありがとう。あなたは私のヒーローだよ」


 目の前で姫子のとびきりの笑顔がはじけたのが可愛すぎて俺は何も言えなかった。

 こういうことを恥ずかしげもなく伝えてくる天真爛漫なところが好きなんだ。

 やっぱり惚れた相手には敵わない。


 時間が来てスタッフにはがされると、俺は姫子列の最後尾に並びなおす。

 姫子列は長い。彼女がみんなに愛されている証拠である。

 他のオタクと上機嫌に話す姫子が目に入ってすこしだけ胸がざわついた。


 これは、もしもの話しなんだが、


 もしも今日、

 姫子のピンチに駆けつけたヒーローが俺ひとりだったなら、

 きっと姫子の笑顔は俺だけに向けられたのだろう。



 そっちの方が良かった。



 彼女の笑顔と感謝を独り占めにしたかった。



 そんな風に考えてしまう俺は、英雄ヒーローの資質に欠けているんだろうな。











『英雄の資質』おわり。



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英雄の資質 真田紳士郎 @sanada_shinjiro

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