ヒーロー物が始まらなかった話

関 晋三

鋼の男が歩むオカルト世界


 二十一世紀初頭――。



 科学と信仰、理性と迷信が等しく街角で息づく時代。


 表の社会ではAIと情報工学が進歩を遂げ、経済はデジタルの歯車で回り、誰もが見えるものだけを信じて生きていた。



 だが、見えないは決して消えてはいなかった。



 深夜の国道脇に、蠢く黒い影。


 山間の祠に零落した神が降り立ち、血を啜る。


 川辺を渡る老婆の声が、死者を呼ぶ。


 超常現象、怪異、妖魔、悪霊――あるいは祟り。他にも呼び名やその形は様々だが、確かにそれらは闇の中に存在している。



 そして――それらを狩る者たちもまた、同じ闇に棲んでいるのだった。




    ◇




  夜の高架下。


 街灯の光が届かぬ死角に、冷たい雨が滴り落ちていた。


 舗装の割れたアスファルトの上には、濁った水溜まりと、かすかに動くナニかの影。


 黒いモヤの様なそれは、時折、人の形を取り戻そうとするかのように蠢いていた。



「……あれが、検出された怪異“迷魂めいこん”か」



 祓士ふつしの一人が声を押し殺して低く呟いた。


 新入りらしい班員が震える声で問う。

 

ですよね?」

 

「そうだ。事故死者の残留思念が、憎悪を核に変質しただけのな。低級だが、触れられれば命を吸われるぞ。油断するな」


「はいっ」


 彼らの制服は動きやすい黒衣に祓印ふついんの刺繍。腰には符束ふそく、手には祓刀ふつとう


 

「……っ、来る!」



 闇の奥から、粘ついた呻きが漏れる。



「――ウウアァ……カエ……カエれナイぃ……!」



 次の瞬間、降り注ぐ雨が弾けた。


 黒い腕が泥の塊から生え出るように地面を這い、若い祓士の脚を掴む。


 そして、怖気おぞけと共に力が奪われていく。

 

「うわっ!? ちょ、冷っ……やべっ!」

 

「符だっ! 早く符を張れッ!」


 指示通りに慌てて祓符を叩きつけるも、込めた霊力が弱く、完全には効かない。迷魂は悲鳴を上げながら、黒い口を開いた。



 刹那――。


 

「――祓え給え、清め給えっ!」



 班長格の祓士が前へ出る。手印を切り、祓刀を振る。


 光の線が走り、怪異の腕を両断する。


 しかし、斬られた断面から煙を上げつつ再生を始めてしまう。


 

「チッ、思念が濃い……! 本当に低級か⁉」



 彼は即座に符を四方に投げ、簡易結界を展開。その内側で、仲間たちは必死に次の符を準備した。


 額には汗。


 呼吸は荒い。


 それでも退かない――それが“祓士”という、闇に挑む者の矜持だから。


 

「“封ぜよ――祓印・壱ノ式ふついんいちのしき!”」



 四人の声が重なり、符が光を放つ。怪異が一瞬怯み、呻き声を上げる。


 だが次の瞬間、影が逆流した。


 黒い泥が奔流のように吹き出し、結界を押し破る。空気が鳴り、アスファルトが軋む。


 若い祓士が吹き飛ばされ、壁に叩きつけられる。

 

「ぐっ!?」

 

「まだ動くか! クソッ、どうすりゃ……!」



 その時だった――風が止んだ。


 雨音も、息遣いも、一瞬だけ世界から消えた。


 そして、静寂を切り裂くように“鈴の音”が響く。



 闇の端に一人の女が立っていた。



 白衣に黒袴、腰に細身の祓刀。髪は肩までの長さで整い、瞳は静かに怪異を映していた。


 その姿に、班員たちは息を呑む。



「……天代あましろみお……上級祓士……!」



 彼女は一言も発さず、歩を進めた。


 祓刀の鞘が鳴る。


 怪異がそれに反応し、獣の様な咆哮を上げた。


 

「アアアァァ――――!」

 

「穢れを祓うは、剣の務め」



 その瞬間、彼女の刃が光った。


 斬撃は一閃。


 雨粒さえ斬り裂くかの様な精密さで、怪異の核を断ち割った。


 霊的な悲鳴が夜空に溶け、黒いもやが霧散していく。跡に残ったのは、淡い光の粒だけ。



 静寂が戻る。



 刀を納めた澪が班員たちを見回す。

 

「よく耐えました、退がりなさい。これ以上穢れを吸うと後が辛い」


 誰も言葉を返せず、ただ頭を下げた。



 澪は空を仰ぐ。



 雨が、彼女の頬を滑り落ちる。その横顔は静かで、どこか寂しげだった。



「この国――いや、この世には“祓う”だけでは救えぬものが多すぎる」



 彼女が背を向けると同時に、風が再び吹いた。雨が音を取り戻し、闇が深まる。



 夜の街に、再び静寂が戻る。




    ◇




 この様に、街の灯火が届かぬ場所では人知れず“祓われる者”と“祓う者”が蠢いている。



 かつての神職制度を密かに継ぐ国家系霊的組織、山岳修験者、密教の法師、外法げほう陰陽道おんみょうどうの残党に蛇神信仰の結社。


 更には、巫女や土着信仰の在野の巫覡ふげき、大陸系の地下組織、異端の西洋系宗教団体、そして科学と霊的理論を融合させる学術派――。



 互いに協力することもあれば、宗派戦争の如き対立に陥ることもある。


 表向きは存在しないか、ただの伝統団体や研究機関として世間に紛れ込む者たち。


 しかし、彼らの目は常に街の裏に潜む怪異や、観測不能な存在に向けられている。



 彼らは互いに監視し合い、時に協力し、そして時に殺し合いながら、この世の“裏側”を保っていた。



 しかし――その均衡は、一人の“異物”によって壊れ始める。





    ◇





 日本――とある都市、その郊外の住宅街。



「お母さん。僕、まだ眠くないよ」


「あら、寝坊したらスペースデッカー見逃しちゃうわよ?」


「わかったっ! じゃあ、これ読んで!」



 無道家の一人息子の零司がベッドに横になり、母の読み聞かせの本を聞きながら目を閉じようとしていた。


 父は一階のリビングで、ビール片手にテレビを観ている。


 画面の中では遠い国の出来事が淡々と報じられている。時計の針は午後九時三一分を指していた。


 外は静かで、時折、遠くから犬の吠え声が聞こえるだけ。明日の為に眠りに就こうとする時刻。



 上空で、ナニかが起こった。



 地球の外――宇宙から、音も気配もなく、ナニカが訪れた。


 それは形を持たない。


 敢えて人間の言葉で表現するなら、ソレは高次の意識体――次元を超えた漂流者、或いは宇宙の観測者。


 神仏すら知覚できない程の超越的存在。


 名前など無い。


 そのナニかは、なんの気まぐれか地球という惑星に興味を引かれた。


 無数の銀河団を渡り歩く中で、この青い球体を気まぐれに選んだ。


 その出現点は無道家の真上、何の特徴も無い住宅街の一角。



 そのナニかが物質界に触れた瞬間、空間がにわかに歪みだす。それは目に見えない波紋の様に広がり、運悪く無道家に降り注ぐ。



 まず、家に影響が出た。


 突然停電し、全ての部屋の明かりが消える。零司の部屋では、ベッドサイドのランプがパチンと音を立てて砕け、暗闇が訪れた。


 零司は目を覚まし、布団の中で体を起こした。



「お母さん……停電?」



 声は小さく、怯えを含んでいた。


 一階では父が立ち上がり、窓辺に近づいた。


「なんだ? 外も暗いぞ」



 洗い物をしていた母が台所から手探りで息子の下へ駆け寄ろうとした時、家族の視線が交錯する間もなく、異変が加速した。



 空間そのものが反転するかの様な感覚。


 家の中の空気が重くなり、壁が微かに震え始めた。


 ナニカは、まだ気づいていない。ただ、物質界へ干渉しようと、意識を集中させただけ。


 だが、その力はあまりにも規格外過ぎた。家が分子レベルで分解され始めたのだ。



 零司の視界がぼやけた。



 体が浮くような感覚。両親の叫びが聞こえる。



「零司!」


「逃げて!」



  しかし――言葉は途切れ、音が消えた。



 家全体が地面から切り取られたように、概念ごと消滅した。


 爆発も噴き上がる炎も無い。残されたのは、ぽっかりと空いた更地だけ。


 周辺の家々では住民が異変に気づき、窓を開けた。



「なんだ、今の揺れは? 地震か? 速報は無いが……」



 だが、無道家は跡形もなく、住民たちの記憶の端からぼやけ始めた。


 戸籍、知人縁者や近隣住民の認識――全てが、ナニカの影響で「無かった」ことに編集されていく。



 その段に至り、そのナニカは漸く気づいた。自身の出現が、物質界の脆い構造を崩壊させたことを。


 だが、慌てない。高次の存在にとって、感情は抽象的。ただ、予期せぬ結果に興味が湧く。


 散らばった残滓――肉体と精神を構成する、人類には未だ観測できぬ粒子を、虚空から掻き集め始めた。


 父と母のものは既に拡散し過ぎて回収不能。


 残念がるナニかだったが、零司という幼い魂の残滓――その輝きが、ナニカの好奇心を強く刺激した。



『うん……これなら修復できそう! でも元通りにするだけじゃ可哀想だから、イロイロと付け足してあげよう。そうしよう~』



  ヒトの言葉に翻訳すると、なんとも軽い発言である。


 謝罪の念が微かに混ざるが、好奇心がそれを塗り替えてしまっている。


 そのナニカは零司の断片を虚空へと引き上げる。物質界で流れる時間は、そこではなんの意味を成さなかった。



 そして、一夜にして消えた家族など最初から存在しなかったかの様にときは流れていく。





    ◇





 何処かの山奥。



 街の明かりは遠く、誰も居ない。無垢なままの自分だけがポツンと取り残された、そんな状況。



 は湿った土と草の感触を背中全体で感じつつ、徐々に覚醒する。



 雨の音が、やけに耳に響く。ポツポツと、木の葉を叩く冷たい雫。


 男はゆっくりと目を開けた。


 視界がぼんやりと広がり、闇夜と霧に包まれた森が現れる。


 人里離れた山奥。


 木々が密集し、地面は湿った土と落ち葉で覆われている。


 男は全裸だった。肌に雨が落ち、冷たい感触がするのに全く寒くはない。まるで、体の内側から何かが熱く脈動しているかのようだった。



「ここは……どこだ?」



 声が出た。自分の声なのに、どこか馴染みのない声。


 体を起こす。手が地面を掴み、土の感触が指先に伝わる。



 記憶が朧気な男は自分のことを思い出そうとする。



 自分は八歳――両親の笑顔――夜の停電。そして――空白。断片的にしか思い出せない。



(僕の名前は……無道……零司。八歳になったばかりで……八歳?)



 ふと、体を見下ろす。



 筋肉質で逞しい、大人の体躯。



(僕……いや、俺の体……大人になっている?)



 夢遊病者の様に立ち上がり、足が自然に動く。


 目的は無い、ただ歩く。霧の中を、ぼんやりと彷徨う。


 木の幹に手をつき、体を支えながら進む。頭の中は霞が掛かり、思考がどうにもまとまらない。



「僕……いや、俺は、何だ?」



  時折、少年時代の一人称の「僕」が口から漏れる。


 思案しつつも体は動き、山を下りていく。


 枝が肌を擦るが痛みは遠い。数十分か、数時間か。時間感覚が曖昧だ。




(ふぅ、結構歩いたのに全然疲れないな。それに全裸なのに全く寒くない。これは…………ん?)



 視線の先に何かが横たわっている。


 理科室で見た骨格標本のようなモノが、木の根元に横たわっていた。


 白骨死体。


 自殺者か、遭難者か、近くにバッグが落ちている。


 俺は無表情で近づき、中身を漁る。


 衣服――Tシャツ、ジーンズ、ジャケット、靴。財布に金と免許証やカード類。


 それら全てを拝借する。動揺など無かった。心は鋼の様に冷たかった。



(済まない。これ、使わせてもらいます)



 サイズは少し小さいが、問題無い。財布をズボンのポケットに仕舞い、白骨死体に目を向ける。


 空洞の眼窩が、俺を恨めしそうに睨んでいる気がした。だが、何も感じない。凪いだ湖面の様に心は静かだ。



 体の内なる本能が俺を突き動かす。人のいる場所へ、街へ行けと。



 足が自然に動き、森を抜け、街を目指す。


 雨が止み、木々がまばらになる。道なき道を、数時間歩くと段々腹が減ってきた。


 目覚めてから初めて感じる空腹感。体の内、胃の辺りがギュルギュルと悲鳴を上げる。



 その時、ふと頭の中に知識が流れ込む。コンビニ、食事、金の使い方。今まで経験してきた筈なのに経験していない。



(でも、知ってはいる。どういうことだ……?)



 そんな疑問を他所に歩くと街の灯りが遠くに見えた。舗装された道に出て、更に歩を進める。


 辿り着いた夜の街は、ネオンが眩しい。



(良かった、コンビニでなにか飯を)



 車が何度も通り過ぎ、人通りも多い。その中で見つけた二十四時間営業のコンビニに入る。


 店員の怪訝な視線を感じるが、さっくりと無視をする。


弁当コーナーで鶏のから揚げ弁当と更に飲み物を取り、レジで金を払う。財布の金で事足りた。


 その間も店員が不審げに俺を見るが、構わず袋を提げ、外へ出る。



 夜更けの公園。ベンチに座り、弁当に手を付ける。



 俺の他に公園内にいるのは、一組のカップル。


 離れたベンチで、いちゃついている。男が女の肩を抱き、何事かを囁く。そして、笑い声が時折聞こえる。



(こんな時間になにを……人のことは言えないか)



 気にせず弁当をひたすら喰う。


 完食し、人心地つくと、辺りの様子がおかしいことに気付く。



 何も聞こえない。



 風の音、虫の声、遠くの車のクラクション――すべてが止まっている。不気味な静寂が公園を覆っていた。


 そこでナニかの気配を感じ、慌ててカップルの方を見る。



 そこには――――異物がいた。



 本来そこにいてはいけないナニか、怪物、そんな風な感想を抱く。


 そのぼんやりとした影が、カップルを包んでいるのだ。人間の形では無い。歪んだ、角張ったナニか。




    ◇




「ねえ、もっと強く……」


 女が甘えた声で囁く。男は笑い、彼女の腰を抱き寄せる。夜の公園は静かで、二人は世界に二人きりだと思っている。


 男女は大学生カップルで、今日もデート帰りに寄り道。ベンチの背もたれに寄りかかり、熱いキスを交わす。


 甘い時間。


 だが、突然空気が重くなった。女が顔を上げ、首を傾げる。


「…… 風は止んだけど、なんか寒くない?」


「気のせいだよ。続き、しようぜ」


 その時、影が落ちた。


 ベンチの後ろから、ゆっくりと、蠢くモノが近づくが、二人とも気が付かない。



 異形の存在――それは、おとぎ話に出てくるような妖怪変化の様。



 半透明の影で、粘液に覆われた四肢。舌が長く、腐敗した液体がポタポタと地面に垂れ落ちる。



 それは都市の汚染と怨嗟を吸って生まれた、妖。



女が先に気付き、振り返る。


「……え、何あれ?」


 だが、遅かった。


 異形の舌が鞭の様に伸び、女の首に絡みつき、地面に引き倒す。



「きゃっ……ぁ、ああぁぁっ! 熱いっ!!」



  粘性の酸が女の体を溶かす。焼けるような痛みと共に女の体が見る見るうちに腐食していく。


 肉が溶け、骨が露わになり、「だじゅげ……デ……」ゴボゴボと 声が泡立つ。



「てめえ、俺の女に何しやがる!」



 男は逃げずに立ち上がり、その拳を振り上げる。


  だが、異形の四肢が彼を掴む。爪が腹に食い込み、内臓を抉り取る。



「……ぁ?……ああぁっ……俺のっ……あぁ……」



血が噴き出し、内蔵が飛び出す。男の体が痙攣し、異形の舌が、ソレらを啜る様に舐め取る。


 それによって腐食が広がり、男の肉体も崩壊していく。


「ぐあっ……あぅ……」


  女の方はは既に息絶え、動かない。その端正な顔は溶け、もはや原型を留めていなかった。


 男が最後に見たのは、物言わぬ異形の影。


 二人共に惨たらしく殺された。血と粘液がベンチを染め、公園の闇に溶けていった。





    ◇





 異形が俺の方を向く。


 カップルの残骸を踏みつけ、ノシノシとゆっくり近づいてくる。


 人間の形を模した、歪んだ影。舌が揺れ、腐食性の粘液が滴る。



(奴は人間じゃない。これはまるで……妖怪?)



 妖怪染みた異形の影に迫られつつあるが、何故か恐怖を感じなかった。



(まただ、また……)



 心が凪いでいる。


 だが、落ち着いているからと言って正体不明の相手に戦うなんて論外だ、ここは逃げの一手だろう。



(一目散に逃げて、交番にでも逃げ込むのが最適解だ)



 そう思い――逃げようと後ずさるが、本能が「逃げろ」ではなく「対峙」せよと囁く。


 そして、体の奥底から正体不明のナニかが湧き上がってくるのだ。



「くそ……何だ、これ!」



 逃げたいのに、動かない。その二律背反の様な状態に息が詰まり、冷たい汗が背中を伝う。


 そんな俺の葛藤を他所に黒い影は蠢き、長く醜悪な舌をこちらに向かって伸ばしてくる。


「ぐっ……」

 

 風を裂いて迫り来るソレを反射的に避けた。


 頬を掠めた空気が熱を持つ。アスファルトに当たった舌が「ジュッ」と、音を立てて溶ける。


 酸――人型で酸を吐く生き物、そんなモノがこんな街中になど居るのだろうかと呑気に考えてしまう。



(いや、今は考えるな! 今は逃げる……逃げるんだ……なのに、どうしてっ⁉)



 頭の中では逃げろと叫んでいるのに、どうしても体が動いてくれない。


 そして心臓が暴れ出す――ドクン、ドクンと。



(いや、心臓じゃない――胸の奥、もっと深い所が熱を帯びている)



 叫びたくなるほどの衝動と焼けるような熱。


 ナニかが、ナニかが俺の仲で目覚めようとしている。



「やめろ……来るな……!」



 だが、それを待たずに影が再び舌を振るおうとする。



 「……やめろ……やめろおぉっ!!」



 叫びと共に視界が白く弾けた瞬間――頭の中に、声が響いた。



 声――というより、まるでテレビの向こう側から語りかけてくる“ナレーション”のようだった。



『目覚めの時が来た!』

『人の形を捨て、鋼の意思が彼を包む時が!』

『叫べ、燃やせ、そして発動せよ! METAL RISE――――IGNITION!』



「なんだあっ! 誰だ、今のは⁉ メタルライズ……イグニション?」



 唐突に頭の中に響く重厚な声。


 それに誰何しながら反射的に言い放つと、自身の意思とは関係なく胸の奥が一際強く脈動する。



『零司の心臓と一体化した“オーバード・コア”が危機に際して励起する! 鋼の血脈が覚醒するっ!!』

「ぐぬっ……あっ、ぐっ……なっ、にっ……⁉」



 黒いノイズが皮膚の下から湧き上がり、金属の様な膜が体全体に広がって……いや、侵食していく。



『骨格構造を変換! フルイドマッスル、展開開始!』

『脳波同期率、上昇中――100%、シンクロ完了!』

「だからっ……誰なんだよ、お前は!――おぉっ⁉」



 眼の奥でバチバチと火花が散り、視界が赤く染まる。体中を電流が走り、筋肉が硬直し、骨がバキリと鳴る。



(皮膚が変わっ……⁉ なん――)



 鏡面の様な銀色の装甲が体の表面を覆っていく。それは、光を受けて鈍く輝く金属そのもの。



 胴体を、両腕を、両脚を覆い尽くし、最後に残った頭部をヘルメット状の装甲が覆う。


 黒曜石色のバイザーが「カシャリ」と閉じ、世界が一変。俺の視界を赤いラインが幾つも走査する。



 さっきまで五月蠅かった心臓の鼓動は聞こえず、その代わりに電子音が頭の奥で響いた。



『刮目せよっ! これが、これこそが、超常装甲生命体――メタルライザーだ!』

『そして、またの名を――メタロイドッ!』

『今ここに、鋼の救世主が誕生した!』



(……ちょ、ちょっと待て! 救世主って何だ⁉ 俺はただ、逃げたかっただけで)



 しかし、そんな俺の混乱を他所に体は変化――いや、変身を終えていた。


 銀を基調とした装甲が月光を反射し、流線型の輪郭が闇夜に浮かび上がる。指先を握ると、金属の関節がゴキゴキと鳴り響く。


 自分の体が金属になったかの様な感触。いや、実際に金属なのだろう。



「冗談きついよ……」



(そりゃあ、スペースデッカーを毎週楽しみに見てたけど……実際にのは勘弁だっつーの)



 とんでもない展開に息を呑む。けれど、異形は容赦なく迫ってくるのだった。




    ◇




 舌が飛ぶ――避けた。


 爪が迫る――金属の腕で「ガチリ」と受ける。火花が散るが、皮膚――装甲には傷一つ付かない。



(痛くない……。情報としては認識してい居るが、ただそれだけだ)



 思考と同時に体が動くという不思議な感覚。



 ただひたすらに回避と防御。まるで訓練された兵士の様に、思った通りに動くのだ。


 これは俺の力じゃないと思うが、この力は俺の中に“最初からあった”ような気もするのだ。



 単なる獲物だと思っていた相手の突然の変容。それに対して異形が吼え、懲りずに跳びかかってくる。



(さて、どうするか? 向こうの攻撃は効かないようだ、こちらからも攻撃――)



 その瞬間――また頭の中で声が響いた。



『右腕ユニット、臨界出力へ!』

『エネルギー、収束開始!』

『必殺制御シーケンス、完了!』

『炸裂せよ――ブレイクナックル!』



「は⁉ 必殺って何だよ!」



 そう怒鳴るも、突如右腕が赤熱した。


 右腕の装甲の溝に光が走り、拳の周囲に重力のような揺らぎが発生したのだ。


 音もなく空気が押しのけられていく感覚と共に、右腕に未知の力が凝縮していく。



『鋼の拳が悪を砕く! 炸裂せよ、ブレイクナックルッ!!』

『その名も――ブレイクナックル! ブレイクナックルッ! ブレイク――』



「うるせえぇっ――て、ええぃ……どうにでもなれ! ブレイクナックルッ!」



 半ば諦めの境地で叫び、拳が放たれた。



 そして――世界が爆ぜた。



 拳が影を貫き、その内部から白光が溢れ出す。影の体が弾けて砕け、黒い霧が夜空に散っていく。


 爆風で公園の木々が激しく揺れ、砂場の砂が巻き上がる。

 

 ベンチが吹き飛び、街灯が傾いた。



『ミッションコンプリート! 邪悪なる影はメタルライザーの手により消滅した!』

『勝利の鉄拳――鋼の守護者は今日も行く!』

『ありがとう、メタルライザー! ありがとう、メタロイド!』



「いやいや、ありがとうじゃねぇよ⁉ 誰だお前は!!」



 息を荒げながら叫ぶ。すると、役割を終えたのか、纏っていた奇妙な装甲がゆっくりと光を失い、変容していく。


 逆再生の様に銀色が黒に戻り、黒が肌へと還る。頭部の装甲とバイザーも溶け、顔が露わになる。



(よかった、元に戻った……。ずっとあのままかと思ったぞ)



 元の体に戻った事に安堵すると同時に、全身の力が抜けた。



『――変身、解除完了。次回もお楽しみに!』



「やめろって言ってんだろおおお!!」



 誰も居なくなった夜の公園に俺の怒鳴り声だけが響く。


 周囲を見ると、滑り台は折れ、砂場の砂は全て枠の外にぶち撒けられ、ベンチは粉々だ。


 まるで爆撃でもあったのかと錯覚してしまいそうだ。



 その惨状に呆然と立ち尽くした後、自分がそれを成したことを理解した。



「これっ……これを、僕……俺がやった……ッ!」



 怖くなって走り出した、公園から一歩でも遠ざかる為に。


 背後で、ブランコの残骸が「ギシリ」と鳴った気がする。



『――鋼の男、その名は無道零司! 彼の戦いは、まだ始まったばかりである!』



「やめろっつってんだよぉぉぉぉ!! うああぁぁっ!」



 夜風が、彼の叫びを浚っていった。




 その十数分後、公園に異様な格好の集団が現れた。


 和風の装束を纏った者たち。コスプレ集団の様に見えるが、彼らは違う。



 彼らの所属は国家系神道機関、皇祓院こうふついん



 その皇祓院所属の男が、公園内に散らばる残骸を調べる。



「妖の痕跡……垢嘗の……変異体か? だが、倒されたようだ。一体誰が……」



 仲間が周囲を封鎖し、結界を張り、不可視の障壁が公園を覆う。


  彼らは未だ無道零司の存在を知らない。


 ただ、未知の「異物」が妖怪を葬った痕跡を追う。そして、既に現場から立ち去った零司がそれを知ることは無かった。


 これがヒーローにならなかった男の、最初の戦い。次なる闇は、彼の裡のナニを呼び覚ますのか?




    ◇




 数か月後――。



 裏の世界で、ある噂が徐々に広がっていた。闇の住人たちの間でも囁かれる、名も知れぬ存在。


 未知なる鋼を纏い、超常の存在を葬る謎の人型。


 裏の各勢力は彼の存在を注視し始める。



 皇祓院は零司の力を観測、そして現場での対峙もできず、その後の足取りも全く追えなかった。



 外法の仏教系カルト集団は零司を神の祝福と捉え、その力を取り込もうと画策する。



 古神道の修験者集団が、零司を神の器とみなして接触を図ろうとする。



 軍の対オカルト部門、極秘特殊部隊がその超技術を狙う。



 闇の住人――力ある妖魔や神仏の類いが、初めて感じた未知なる存在に恐れ慄く。




 各方面から大注目の人物の無道零司。彼は現在、建設現場に居た。




「兄ちゃん! その石膏ボードを全部、上まで運んでくれや!」


「はい、了解です!」


 元気良く答えると、年配の男性が快活に笑う。


「おいおい、持ち過ぎだろ⁉ すげえ力だな! お前さん、ロボットかなにかじゃねえのか?」


 相手の当たらずとも遠からずの言葉に零司は苦笑いし、大量の石膏ボードを一度に運ぶ。


 汗が額を流れ、陽光がそれをキラリと反射する。


 昼休み――コンビニのチキンカツ弁当を手に、現場脇の廃材に腰を下ろす。


 そこへ先程の男性が缶コーヒーを差し入れ「何回上がったよ? タフ過ぎんぞ!」とおどけてみせた。


 日雇い労働仲間たちの笑顔、弁当の温かさ、缶コーヒーの苦味。日常の朗らかさが、彼を包む。



 だが、一度ひとたびメタロイドに変身した彼は怪異を葬る鋼の鬼と化す。


 夜半――仕事や買い物の帰り道に運悪く? 遭遇する妖怪や悪霊の類いを跡形もなく消し去る。


 そして、戦闘後には忽然と姿を消す。


 皇祓院の霊的観測も、外法の呪術も、古神道の神代兵装も、軍の監視網も、彼のその後の足取りを捉えられなかった。


 監視カメラにだけは鋼を纏った者が確かに映り、だが――消える。



 噂が噂を呼び、闇の世界を駆け巡っていく。



曰く「鋼鬼こうき」、「聖骸機せいがいき」、「鋼の憑代はがねのつくしろ」、「アイアン・スペクター」――呼び名は数多生まれ、彼への畏怖と好奇が交錯する。


 裏の世界が鋼の存在を追い続ける中、零司は唯々日常を生きる。


 日雇い労働で汗を流し、飯を食い、出会ったモノを討滅する。


 闇の住人たちが畏れ敬う存在が、朗らかに、平凡に生きている。


 その対比は、まるで世界の皮肉を映し出す鏡の様。昼の光の下、日常の中で零司は生きる。


 

 だが、それももう直ぐ終わる。彼が世界の裏に蠢く勢力と深く関わっていく時が刻々と迫ってきていた。



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