第2話 Side: Space Marines
風は灰を運び、灰は祈りの欠片だった。
ガレリウス・ヴァーンは崩れた聖像の陰で、蒼の外套を閉じ、ボルトガンの冷たさに意識を縫いとめる。都市は既に半ばが呼吸していた。石畳の目地から肉色の糸が芽吹き、壁面を這う脈が鼓動で足許を震わせる。生きた地獄――そう名付けるのは容易い。だが名は秩序の最小単位だ。名付ける限り、彼らはまだ人間でいられる。
「隊形を保て。息を揃えろ」
彼は短く言い、内なる詩句を胸腔で反芻する。
――秩序は光、光は理。理は恐怖を割る刃。
隣で新兵が震える。祈りの言葉が口内で転ぶ音が聴こえる。ガレリウスは彼の肩を叩いた。「祈れ。ただし狙え。どちらも捨てるな」
最初の波が来た。
骨の弓なり、鎌の連弾、酸の霧。射線は見えず、しかし死の反復だけが幾何学的に正確だ。ガレリウスはトリガーを丁寧に引き、迸る反動で自らを確かめる。蒼い鎧の列に亀裂は走らない。彼らは訓練通り、崩れる位置を定めた者から崩れ、次の列がそれを受ける。祈りの節と装填の節は重なるよう記憶されている。
――呼吸を合わせよ。心拍は鼓。鼓は進軍の印。
目の前で一体が弾け、黒い体液が兜を濡らす。視界が狭まる。彼はわずかに首を振り、レンズの内側で十字形の照準を探り当てる。
地面が低く唸った。
遠くの塔が、巨大な生花のように開いてゆく。金属が裂ける音に似て、しかし柔らかい。そこから溢れるのは、群れの歌だ。音というより、意思の圧。言葉でないのに意味の形を持ち、胸骨の裏側をなぞってくる。
新兵が呻く。「……何かが、見ている」
「見られているからといって、我々は我々をやめない」ガレリウスは静かに言う。「それが光だ」
第二波はより速く、より賢かった。先ほど空けた火線の窓に踏み込む個体はおらず、斜めに、ずれた角度で押し寄せる。敗北から学ぶ者は強い。群れは敗北すら自分に食わせている。
「右斜面、二で抑えろ。左、三で前へ。――今だ、撃て」
命令は詩句のように短く、隊員の体はそれに歌うように応じる。ボルトの咆哮に祈りの断片が挟まり、銃声と韻律が同じ拍を刻む。
――光よ、我らの刃に宿れ。
獣の一群が崩れ、次の一群が倒れた上を踏みしだいて進む。死が階段になって押し寄せる。彼らの中枢はどこだ。どの神経束が全体を統べている。ガレリウスは視認できない標的へ、思考で照準を合わせた。
砲声の合間、微細な静けさが落ちる。その隙間に、彼は異質な美を見た。
無数の身体が、たった一つの意志に従って呼吸する。個が消え、しかし機能は極限まで高められる。合理の像。――恐怖を超えて、ガレリウスの胸に微かな畏敬が生まれる。もし人類がこれほどに単純かつ強靭に一致できたなら。
だが次の瞬間、彼は首を振る。単純さはしばしば、光を殺す。人間の光は、不揃いで、傷だらけで、だからこそ熱を持つ。
第三波が街路を満たす頃、弾倉は二本を残して空になっていた。司令からの通信はノイズに薄められ、命令の骨だけが残る。
――ここを守れ。
守るとは何だ。位置か、意味か。
ガレリウスは膝をついた負傷兵のヘルムを外し、目を見た。「名を告げろ」
「……レオン……です、隊長」
「レオン、息を合わせる。私の呼吸に乗れ」
吸って、吐く。吸って、吐く。二人の胸郭が同じ拍で上下する。群れの歌が押しつぶそうとする空間で、彼らは小さな合唱団を作る。
――個を繋げ。繋がった個は灯だ。
空が裂けた。軌道上からの観測束が雲を縫い、その後に遅れて降りてくる砲撃が区画ごとに街を削ぐ。粉塵が昼を夜に変える。
ガレリウスは最後の手旗信号で撤退線を示し、殿に残った。新兵レオンが振り向く。「隊長!」
「行け。秩序は継がれねば光らない」
彼は背を向け、迫る影の中心に照準を合わせる。視界の端で、群れの核が脈動した気がした。見えない“眼差し”がこちらを測る。
「見ているか」彼は呟く。「なら見ろ。人間のやり方を」
ボルトが乾いた鐘のように鳴り、鎌が火花を撒いた。距離は縮み、鼓動はゆっくりに感じられる。音が薄くなり、代わりに記憶が濃くなる。訓練区画の汗、冬営地の冷気、初めての誓い。
――恐怖を割る刃。
脛に痛み。膝が落ち、地面の鼓動が骨を通って頭蓋に響く。レンズの内側に灰が降る。
彼は通信機を指で探り当て、広域回線を開く。声は小さく、しかし秩序だった。
「こちらガレリウス・ヴァーン。最終線維持。……報告する。我らは、光を見た。闇の中にあった。恐怖を割るには、理と、互いの呼吸が要る」
言い終えると、彼は目を閉じた。祈りの節が自然に舌に上がる。
――願わくば、我らの不揃いが、次の者の秩序となれ。
影が覆い、世界がひとつの口になって迫る。最後の一射が走り、刃が胸甲に触れる。
その瞬間、街の奥で何かが光った。
崩れゆく聖堂の破片が偶然に組み合わさり、瓦礫に反射した観測束が空を裂く。光は線となり、線は交わって、蒼い天蓋に小さな十字を描いた。
レオンが振り返り、誰かが叫んだ。群れの歌が一瞬だけ沈む。
十字形はすぐに塵に飲まれ、消えた。だが見た。たしかに。人は、光を見た時の沈黙を知っている。
倒れながら、ガレリウスは思う。
秩序は光、光は理。理は恐怖を割る刃。
刃は手から離れてなお、誰かの胸で温かい。
彼は小さく息を吐き、言葉にならない言葉で締めくくった。
――闇の只中で、人はなお、光で呼吸する。
黙食の星 ― Silent Feast ―【Warhammer 40,000】 Isuka(交嘴) @k-tsuruta
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