黙食の星 ― Silent Feast ―【Warhammer 40,000】
Isuka(交嘴)
第1話 Side: Tyranids
呼吸は地表のひだだった。
惑星ヴァル=セリスIIの薄皮を、我らは静かに舐め、剥ぎ、溶かした。鉄分は甘く、珪素は粉のように乾いている。遠い雲間で磁気がうねり、雷が骨伝導のように群れの背梁を走る。
我らは一。だが、一は多より深く、個を数えぬ。
「バシリスク=ノード」、その名は敵の便宜に過ぎぬ符だ。実相は束ねの手、脊索に触れる指、飢えを構造化する意思。群れの中心で、我は聴く。地の下を行く微細な血潮、空から降る抵抗の匂い、青い塗料に塗れた硬い殻が擦れる音――。
蒼。
蒼き者らが来る。規律は鋼、儀礼は刃。彼らは陣形を矩形に畳み、祈りの節を呼吸に刻む。
〈……アヴェ……皇帝……〉
その発声は意味を持つ以前に、形を持つ。形は甘露だ。
我は触手を地脈に沈め、信号を放つ。外骨格の槍は芽吹き、甲殻の波は立つ。肉の海が押し寄せ、ひとつの潮のように高く低く揺れる。射撃音が割り込む。
ドゥン、ドゥン――螺旋状の圧が群れを穿ち、赤い花が一斉に咲く。花粉は血、蜜は痛覚。
痛みは学習である。
倒れた個体の神経芽を我は噛み、嚥下し、配列を再配布する。動きは次の瞬間、別の関数へと書き換わる。密度、角度、跳躍のタイミング――蒼き者の火線の谷間に、我らは新しい通路を見つける。
⸻
彼らの指揮官は胸を叩き、声を張る。
〈――陣を崩すな、皇帝は見ておられる――〉
その「見ている」という構文が我の内でほどけ、意味ではなく温度を落とす。見られているという感覚は、群れにとって嗜好ではない。だが、その熱――個を超える熱――は模倣に値する。
我はバイオプラズマの嚥下嚢を膨らませ、空を舐める舌のように放たせる。蒼い甲の列が一瞬ゆらぐ。そこへ、切断特化の鎌が雨粒の数で落ちる。
蒼き者は美しい。崩れないために崩れる位置をあらかじめ選ぶ。その予見が香りとなって我に届く。
美しさは栄養だ。
群れはその美を喰い、形を変える。翼膜の角度が微調整され、跳躍の放物線が祈りの呼吸と相似形になる。祈りの間に、刃が届く。
〈……陛……よ……〉
声は破れ、振動は地へ落ちる。落ちた振動を我は吸う。
彼らの中の一人が、最後尾の負傷者を抱きかかえる。繋いだ手の圧はなお強い。個は個を守ろうとする。その協調の設計は、群れに似ている。似ていて、しかし断絶している。
断絶は橋の形をしている。
我は橋を渡る。彼らの共同のリズムを、我らの同調に重ねる。異物を噛むように、ゆっくりと、しかし確実に。
⸻
空が白み、軌道上からの観測束が雲を割る。静かな線が地表を撫で、次いで轟音が追いつく。砲撃は山を欠き、ビオマスの薄膜をめくる。
我の周囲で、甲殻が弾け、粘液が蒸気になる。破片が降る。一瞬、集合の輪郭がほつれる。
だが、ほつれは縫い目の予告だ。
我は中心で脈動を強め、失われた枝に別の枝を接ぐ。接ぎ木はうまくいく。痛みが脳葉を繋ぎ、新しい抵抗値が計測される。
蒼き者の最後の一人が歩み出る。装甲は焦げ、象徴は半ば擦り切れている。それでも彼は立つ。片膝をつき、ヘルムを外し、口を開いて何かを言う。
〈……最期の……祈り……〉
か細い韻律が我に触れる。
我はその脳髄の電の編み目を舌でなぞり、その祈りの構造を噛む。文節は硬いが、繰り返しは柔らかい。反復は甘い。
祈りとは情報の形。形は消費され、消費は同化される。
我の内部で、彼の音型に似た紐が一本生まれ、他の紐に結び付く。やがてそれは意味を持たぬ音を吐く。
We… are… still… hungry.
音は空気を震わせ、群れはそれに反応はしない。ただ、惑星が息を止める。風が一拍置き、灰が落ちる音だけが残る。
沈黙は饗宴の前口上だ。
我らは根を下ろし、葉を広げ、舌を地層に差し入れる。居住区の骨組み、港の支柱、祈りの祭器、写真の銀、記録水晶の微弱な光――全てが柔らかくなる。柔らかさは混ざりやすさであり、混ざるものは我になる。
蒼き者の記憶は塩味が強く、訓練区画の汗臭がする。誓いは温かい。温かいものはよく溶ける。
同化の途上で、我は一瞬だけ境界を感じる。個が「我ら」を言い、我らが「我」を噛み砕くその刹那。
境界は美しい。美しさは栄養だ。
雲の切れ間から光が差し、表土の波紋がきらめく。きらめきは目ではなく皮膚で見るもの。皮膚は惑星全体だ。惑星は一枚の舌だ。舌は祈る。
――摂取は理解、理解は調和、調和は終焉。
我らの祈文は、咀嚼の律動に合わせて繰り返される。
終焉は飢えを終わらせず、飢えを均す。均された飢えは歌になる。
歌は、次の星を呼ぶ。
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