第12話 結実

「シトロン、見ろ! 御子が私の指を握ったぞ」

「ああ、爪の先まで小さいねえ」


 降りしきる雪の中で産声を上げた赤子は、明るい青紫色の瞳から「イリス」と名付けられた。オルールを司る辺境伯夫妻の末娘として生まれた彼女は、兄や姉らと比べても殊に目鼻立ちが整っており、将来の美貌を思わせる。あまり泣かず、乳母を困らせることも少ないイリスは、実母が離れている間の見張りとしてあてがわれた騎士たちを大きく丸い目で見つめている。


「この方が、私の新しい主か」


 未だ言葉を知らないイリスは、自らの近衛であるノワの呟きを音として聞くばかりである。その声に喜びと覚悟が滲んでいることを汲み取ったのは隣を守るシトロンで、微笑むノワの腰元には、一ヶ月前に勝利を収めた白銀が革の剣帯に提げられている。


「そういえば、試験の方は順調? こっちが忙しくなる前に、面子を揃えたいんじゃないの」

「問題ない。受験者に団長のご息女まで混ざっているとは思わなかったが、なかなかどうして、剣の扱いに慣れている。あれは家で習っていたぞ」

「君も団長になったんだから、伯父さんをそう呼ぶのはややこしいよ」

「第一騎士団の団長のことだよ、副団長殿」

「なんだか含みを感じるなあ」


 幼馴染からの求婚を跳ね除けた彼女は、第二騎士団から所属を変えた。以後の騎士は男性に限るとしていた規約を辺境伯夫人が撤廃し、女性のみで新しく編制する第四騎士団の長として、直々に指名を受けたのだ。近いうちに、ノワはオルール騎士団で唯一の女騎士ではなくなる。また、彼女が決闘に用いたグリップの細い長剣は、第四騎士団の装備として正式に採用もなされた。朝霜を砕き、シトロンと刃を交わした戦いは、オルール騎士団の在り方そのものを変えるきっかけとなっていた。


「伯父さんはここまで見通した上で君の味方をしたのかも、とは勘繰っているけどね」

「少なくとも、そっちが私を避けていたおかげで特訓は頼みやすかった。正攻法で敵わない時は、とにかく隙を探せとね」

「惚れたが負けってやつ、俺は痛感し通しだ……」

「お前、まだ私のことが好きなのか?」

「その件は黙秘させてもらうよ」

「沈黙は肯定たり得るぞ」


 イリスの掌をそっと外し、捲れていた毛布の端を直したノワは、微睡む赤子の額を撫でた。午後の日向に包まれた小さな令嬢は、間もなく眠りに落ちていく。傍らのシトロンはといえば、怒ったふりでそっぽを向いているくせに、ノワから離れる気配はない。押し殺した笑いを漏らす想い人を横目で見遣っては、諦めたように瞼を閉じる。


「なあ。シトロン」

「はいはい、今度は一体何のよ、うっ!」


 緩く首を傾けたシトロンの襟ぐりを、ノワが掴んで引き下げる。予想だにしなかった負荷へ目を見開き、驚きを露わにする彼を続けて襲ったのは、少しかさつく柔らかさ。睫毛の先が擦れるほどの近くには、瞼を閉じたノワがいる。触れているものが互いの唇であるとシトロンが理解し、重なった心音が鼓膜を叩き始めた頃、僅かに浮かされていたノワの踵が絨毯の毛足を踏み締めた。合わせて彼女の手も離れたが、呼吸が止まっていたシトロンが息苦しさを思い出している暇もない。


「しないな、レモンの味は」


 片眉を上げる彼女の頬はほのかな朱に染まっており、先の口付けが白昼夢ではなかったことをシトロンに告げている。はく、と口を動かした彼は、ずるずると下へ縮こまり、顔を覆って唸り出してしまった。その耳朶は真っ赤に染まり、やや長い前髪も指で乱されてしまっている。


「ねぇ、あのさあ……」

「言っただろう。好ましく思ってはいると」


 指の隙間から覗くと、薄い舌でノワが唇を舐めていた。それにまた深い溜め息を落としたシトロンが項垂れながら立ち上がると、夫人の帰宅を告げる使用人が扉を外からノックする。出迎えようとするノワの手首を掴んだのはまだ顔に熱のあるシトロンで、彼の紺色の瞳には確かな炎が灯っていた。


「五十一年後。絶対に覚えておいてよね」

「随分と気の長い奴だな」

「俺は待てができるから。でも、その前に」


 引き戻されたノワがぶつかったのはシトロンの胸で、二つの影が一つになる。節のある指で顎をすくい上げられた彼女に、今度は彼から、優しく甘いキスが降る。体温と衣擦れを分かち合った二人は、まだ離れきらない唇と間近すぎる眼差しで、通う思慕を確かめた。


「たまにはご褒美も頂戴」

「ふん、物好きめ」

「君の全てが好きだよ、ずっと」


 繰り返されたノックにより、今度こそノワとシトロンの肌が離れる。まろい頬で眠る赤子の周りを、ちらちらと陽光を跳ね返す埃の粒が舞っている。長閑な冬が、今日もオルールを抱いていた。


 この若い恋人たちの約束が、第四騎士団の団長が代わり、彼もまた務めを終えてから行われた二度目の求婚で果たされることは——備忘録の補記として、結びに書き留めておくとしよう。

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オルール騎士団備忘録 —ある女騎士への求婚について— 翠雪 @suisetu

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