第11話 決着

 浮かび上がった太陽が、訓練場を浅く覆った朝霜を少しずつ和らげる。水に変わろうとする氷の柱を踏みしめる群れは、同じ型紙で切り出された革のブーツを履いていた。遠征の友でもある分厚いコートを首まで閉じ、鼻頭を赤くしてまで彼らが外にたむろしているのは、ひとえにオルール騎士団に巻き起こったある事件の行く末を見届けんがためである。


「あっ、副団長!」


 明るく張った声につられて、彼らの視線が蠢いた。一瞬のうちに注目の的となった青年——シトロン・ド・オベールは、鉄の板から切り出された鎧で全身を包んでいる。兜を携え、柔らかな黄金の髪を靡かせながら歩くさまは絵物語にうってつけだ。腰に提げた長剣は幾度も打ち直されてきたもので、これから執り行われる一大事を象徴している。


「誰か見に来るだろうとは思ったけど、これは随分多いなあ」

「だってだって、決闘ですよ! 滅多に見られるもんじゃない!」

「その上、賭けてるものがあれじゃあな」


 馴染みの顔ぶれに混ざったシトロンは、白い息を吐きながら肩をすくめる。目を輝かせて彼を見上げる歳下とは対をなす、腕を組んだ同期の顔は至って渋い。周りにたむろする団員たちも、シトロンの後輩と同期のうち、どちらかの反応を示しながらじっと耳をそばだてている。


「向こうを変にからかわないよう、三ヶ月前から団員を諌めていたのはアンタだ。今日くらいはオレらにも存分に面白がらせてくれよ」

「窮屈にさせたのは悪かったよ。ノワを混乱させている時に、変に騒がれたくなかったんだ」

「妥当な指示ではあるけどな。からかい方を間違えたら、それなりに怪我人が出たはずだ」

「気が強い上、良くも悪くも堅物って感じですよね、あの人。でも、昨晩の食堂で『意外と面白い奴なのかも?』って見直しちゃいました」

「誰が誰を見直したってぇ?」

「うわわっ、団長! お疲れ様です!」

「朝っぱらから精が出ますなあ、この野次馬どもめ」


 覆い被さるようにして部下らと肩を組む大柄な彼も、コートの前を閉じきっている。敬礼をした若人たちは、団長を振り仰いだ拍子に遠くから寄る影を見た。金属を組んで作った冷ややかな装甲は、シトロンも纏う頑強な型である。陽に照らされていっそう赤い彼女の短髪は、冬の暖炉にくべられて跳ねる炎を彷彿とさせた。


「おはよう、シトロン。待たせたか」

「ううん、俺も今来たところ。どこで汗をかいてきたの?」

「少し身体を慣らしていてな」


 限られた布地であるガントレットの内側が、ノワの首と額を拭う。乱れたつむじの毛並みを直してやるのはシトロンで、彼女もそれを拒まない。睦まじさを隠さない二人に声をかけたのは、先の歳下の方だった。


「そんなに仲がいいなら、普通に結婚しちゃえばいいのに」

「普通とは、なんだ?」

「えっ。だ……だって、あるじゃないですか、ほら……ねっ、先輩?」

「いや、オレに聞くなよ」

「自分の口で説明できないものを、他人に背負わせないでくれ」


 ぱん、と一度の手拍子で場を区切ったのは団長で、彼は傷痕のある頬を鷹揚に上げて注目に応えた。


「さあ、役者は揃ったな。審判はおれがやってやるから、さっさと始めちまうとしよう」

「お願いします。剣ですが、こちらを使っても構いませんか」

「どれどれ。……うん、騎士団の紋章は入ってるな。どこの倉庫から掘り出してきたのかは知らんが、おまえの好きにするといい」

「ありがとうございます」


 検められた細身の剣は、騎士団で統一して支給される武器の規格とは異なるものの、所属を示す紋章はしかとその身に彫られている。剣帯に通されていく一振りを横目に見遣ったシトロンは、続けて似ない伯父を仰いだ。


「念のために持ってきましたけど、兜は要らないんでしたっけ」

「背格好が同じだと、鎧姿は咄嗟に判別がつかなくてなあ。おまえたちは身長で見分けられるから、被りたきゃ被っても良いぞ」

「首から上は狙わないし、俺は別に。ノワも要らないよね?」

「お前の顔を傷つけない保証は、生憎とした覚えがない」

「……やめてよ、一応ちょっとは自慢なんだ」


 眉間に皺を寄せた彼から、同期が兜を取り上げた。輪の中央にノワとシトロン、審判役の団長を残して縁を作るのは団員たちで、訓練場に面した屋敷のバルコニーには、辺境伯とその夫人が椅子に座って見下ろしている。


「うちの決闘のルールだが、剣が両手を離れるか、両膝を地面につけるかのいずれかが起きたら即負けだ。時間の制限は特に無し。多少の怪我には目を瞑るが、やり過ぎているとおれが判断したら止める。いいな?」


 頷き、少しの間を空けて構えたノワとシトロンから、団長は数歩の距離を置く。からっ風が赤と金の髪を揺らし、木々にぶつかりたち消える。静まり返った晴天に、誰かが生唾を呑む音が染みた。


「それでは——はじめ!」


 合図と同時に大きく踏みこんだノワは、迷いなくシトロンの頭部を狙った。襲いくる刃先を自らの刀身で滑らせた彼は、そのまま鍔迫り合いを持ちかける。ガントレットの鋼鉄が二人の手元でぶつかって、お互いの手の甲に鈍い痛みを走らせた。


「顔はやめてって言った、だろ」

「私は了承してないからな」

「屁理屈!」


 彼から薙ぎ払った動作で二本の銀に火花が散り、数歩ノワが後退する。その隙を見逃さなかったシトロンは鋒をノワに定め直し、尽きない手数で攻め立てる。紙一重でいなしてはいるものの、ノワが後の先を取れるほどの余裕はない。


「やっぱり強いですねえ、副団長」

「オマエなら、鍔迫り合いの直後に終わってるな」

「先輩ひどい! その通りなのがもっとひどい!」


 シトロンが吐いた小さな雲が、次の一瞬で置き去りになる。対する彼女も細く長い息の軌跡が動き続け、観客が瞬いている暇もない激しい剣戟が透き通る空気によく響く。彼らの足捌きの通りに砕かれていく朝霜は、時折雫になって弾けた。浅いぬかるみに足を取られたノワは、次の一手の先行を意図せずして許してしまう。


「はっ!」


 シトロンが振り下ろした長剣が、女騎士の肩を狙う。剣で防ごうとはしたものの、殺しきれなかった衝撃がノワの左肩から末端までを痺れさせ、彼女の片膝が地面を擦った。やっぱりな、とどこか安堵するように湧く団員たちとは裏腹に、バルコニーで見守る夫人の手が硬く握りしめられる。ガントレットの中に収められたノワの手も、爪を真っ白にしてシトロンにかけられる重さを耐えていた。


「今、棄権してもいいよ」


 また一段と増した力で、ノワの膝当てが土をえぐる。シトロンの額に浮かんだ汗が顎に溜まり、銀の板を小さく叩く。ノワが鎧の下に着た衣は雨に打たれたかのように濡れそぼり、奥歯を食いしばった彼女の喉を鉄の味がくだっていく。


「……左の膝は……ついてない……!」


 ほとんど地面と平行にしていた剣を垂直に立て、シトロンの勢いを左に流す。右に逸れながら立ったノワは、感覚の薄い掌を叱咤して右の頭上に剣ごと掲げる。鋒を紺碧の瞳に向け、雄牛の角をかたどるオクスの構えをとったノワは、この決闘で白旗の持ち合わせがないことをその身で示した。


 霜を潰し、ノワの突きがシトロンに迫る。シトロンもまた同じく突きで迎え撃ち、衝突する寸前で手首を捻る。僅かに曲線を描いた彼の軌道はノワの刀身の根本を絡め取り、まっすぐに伸びていた白銀を弾く。鍔のすぐ近くに衝撃を受けた彼女の右手がグリップを離れると同時に、団員たちの歓声が上がった。辺境伯夫人の椅子が音を立て、後ろに向けて倒れていく。シトロンもまた鋭くしていた眼光を弱め、体勢を崩した彼女を抱き止めようと動きを変える。


 しかし、誰もが決着を確信する輪の中でただ一人、ノワの瞳だけが揺らぐことはなかった。


 ——まだ、終わらせてたまるか‼︎


 無意識のうちに立ち上がっていた夫人の目へ、眩むほどの光が刺す。細めながら焦点を当て直した渦中では、ノワが渾身の力をこめた左手で剣をしっかと支えきり、油断したシトロンの得物を高く弾き飛ばしていた。不意にバルコニーへ反射したのは、宙を舞った剣が集めた朝日の束だったのだと、逆転劇から知らしめられる。


「そこまで!」


 団長の声が訓練場の端から端まで響き渡る。木陰に刺さった一振りはシトロンが奮っていたもので、肩で息をするノワの手には白銀の長剣が煌めいている。杖の代わりに剣と片膝をつき、両目を閉じて荒れきった呼吸を繰り返すノワは、雲一つない陽の中で噛みしめるように笑っている。


 その笑顔を、シトロンは眩しいと思った。


「勝者、ノワ! 我らが副団長の求婚はぁ、まるっと一切帳消しだ!」


 団長の審判が下された瞬間、驚愕と興奮がないまぜになった雄叫びをあげる団員たちが二人のもとへと駆けてきた。あっという間に揉みくちゃにされたノワとシトロンは、仲間からの屈託のない賞賛と非難の半々を浴びながら、いつしか笑い合っている。


「残念だったなあ、シトロン! あと五十年は好きにやらせてもらおうか!」

「君ってやつは……平均寿命って知ってるかい!」


 蜂のようにわあわあと寄り集まる騎士団の面々を、辺境伯夫妻が静かに見守っている。いつも気難しげな領主の眉間もこの時ばかりは僅かに緩み、夫人の頬にも健やかな血色が戻っている。


 霜を溶かし終えた太陽は、悠々と頂に向かいつつある。いつでも変わらずそこに在る天体は、あまねくオルールの民を今日も光で包んでいた。

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