第5話 未有先輩の母親は反社組長の二号だった

 未有先輩がカギ穴から除くと、ドアチャイムの向こうには、中年女性が二人立っていた。

 一人は四十歳くらいの綿シャツにデニムパンツというラフな服装、もう一人は、五十歳くらいの地味な和服の女性である。

 ラフな綿シャツ女性が口を開いた。

「節奈ちゃん、元気なの?」

「ん、まあいつも通りよ。それより、おかんこそうどん屋の景気はどうなんだい?」

「ぼちぼちといったところね。部屋に入るよ」

 節奈は未有先輩の後ろに並んだ。

「紹介するね、この子、私の中学の後輩、沢木節奈っていうんだ。

 一緒に勉強している仲なんだけどね、いい子だからよろしくね」

 節奈は頭を下げた。

「ご紹介に預かりました沢木 節奈です。未有先輩にはいつも、勉強を教えて頂いて大助かりです」

 未有先輩のおかんは、嬉しそうに答えた。

「沢木さんね。まあうちの未有は、勉強だけはきちんとする子だから、よろしくね」

 隣にいる和服姿の五十歳くらいの女性は、口を開かないままである。

「あのう、どうぞおあがり下さい」

 未有先輩の母親は、手を差し出した。

 和服女性は、草履を脱いで部屋に入るや否や

「さあ、お茶を入れてごらん」

と、命令調とも、指導調ともいえるような調子で、未有先輩の母親に言った。

 未有先輩の母親は、インスタントの緑茶を湯飲み茶わんに入れ、電気ポットの湯を注いだ。

 和服女性は、一口飲んで顔をしかめた。

「ダメだよ。こんな味じゃあリピート客はつかないよ。

 この店は安いうどんを売りとしているから、お茶だけは高級感を出さなきゃね。

 私が入れなおすから、この味、しっかり覚えときな」

 そう言って、和服女性はバックの中から茶葉ときゅうすを取り出し、電気ポットの湯を入れて、節奈を含めた四人にお茶を注いだ。

「うーん、いい香ばしいいい匂い。えび色も鮮やかでそれにちょっぴり酸っぱいけれど、それが食欲をそそりそう」

 思わず、未有先輩が発言した。

「どんな種類のお茶を使ってるんですか?」

 和服女性は自信満々に答えた。

「ほうじ茶にちょっぴりハイビスカスティーを混ぜたんだよ。

 客は皆、飲食店に日常とはかけ離れた、異次元空間を求めに来るんだよ。

 まず、最初の印象が大切だよ」

 なあるほどなあ。

 節奈も、ときどきおかんに外食に連れていってもらうが、おかんはいつも、光るネックレスを身につけていく。

 日常とは違う空間を、望んでいるのだろう。


「あんたたち、勉強は若いうちにやっとく方がラクだよ。

 今、小学校低学年の不登校が十年前の六倍になっているが、学年が進むにつれて勉強が追いつかなくなっていく。

 それと、礼儀作法は身につけるんだよ。

 この頃は、外国人が増加しつつあるが、誰にでも「おまえ」じゃケンカになるよ。

 和服女性は、節奈と未有先輩に言い聞かせるように言った。

 妙な威圧感と説得力のあるこの女性は、一体全体何者なんだろうか?

 節奈と未有先輩と未有先輩の母親は、声を揃えてはいと返事するしかなかった。


 和服女性は、未有先輩の母親に言った。

「まあ、こんなことだろうと思った。

 商売繁盛したいなら、私生活からいろんなものをミックスした、珍しいものをつくらなきゃダメだよ。

 あっ、それとどんな料理にも炭酸とちょっぴりの酢をいれると、味がよくしみこむよ」

 まるで師匠と弟子との関係である。

「あんたが商売を繁盛させなければ、私の責任にもなりかねないんだよ。

 頼んだよ」

と釘を刺すように言い、一礼してドアを閉めた。

 なんだか不思議な緊張感が漂った。

 

「ねえ、今の和服姿の人、誰なのかな。妙な威圧感が漂うよね」

 未有先輩が、母親に聞いた。

「私の父の正妻さ」

 えっ、じゃあ未有先輩の母親は、要するに二号さんなんだ。

 未有先輩は妾の子なのか?


 しかし、この和服婦人、どこかの雑誌で見たことがある。

 節奈は記憶の糸を辿ってみた。

 思いだした。一か月後、小さな本屋で立ち読みした、実話雑誌に出ていた有名反社婦人だ。

 でもまさか、そんな女性とこんな形で遭遇するとは夢にも思わなかった。

 そういえば、反社の浮気や他に愛人を囲っていることに関しては、

「男が外で流すつらい涙と、女が家庭で流す切ない涙とでは、試験管かなにかで測ったら、きっと同じ分量だと思う。

 しかし私は一度だけ、夫の愛人が夫のために編んだ手編みのセーターの糸をひきちぎったことがある。

 ときどき、子分の嫁から自らの浮気を責められると

「姐さんの爪のあかでも煎じて飲め」と逆に説教されるのよ。

 すると「そういうあんたが組長みたいになってくれたら、私も姐さんみたいになるわ」そう言い返しなさいよ」とコメントしていた。


 そうかあ、反社というのはいつ殺されるかわからない。

 子分を多く持てば持つほど、命を狙われる確率が高い。

 その恐怖感から、女や麻薬の享楽で気分転換するという。

 じゃあ、その有名反社は、未有先輩の母親を愛人にすることで、恐怖感から逃れようとしているんだろうな。

 だとしたら、麻薬に溺れるよりはマシである。

 このことは、未有先輩には触れないでおこう。

 未有先輩個人とは、なんの関係もないことである。


「未有先輩のおかげで、私、賢くなって人生変わったみたい。感謝します」

 未有先輩は、軽くため息をつきながら答えた。

「そう言われると、嬉しいよ。私が好きでやってることなんだから、気にしなくていいよ。でも、お互い家庭のことを詮索するのはなしよ」

「はい、わかってます。

 たとえサラリーマンの父親をもっていても、リストラされた挙句、商売に手を出した結果、借金を抱えたり、自営業でも父親が、人の連帯保証人になったおかげで、行方不明状態なんて人もいるものね」

 家庭が原因で、就職に障害がでたり、いじめにあうこともある。

 その傷は本人以外、理解できないことだろう。

 節奈にはその経験すらないが、未有先輩の心の傷を広げるような真似だけはやめようと思った。


「さあ、今日は待望の中間テストの発表日、上位点数五人を読み上げます」

 なんとそのなかに、節奈の名が入っていたのだ。

 小学校のときの節奈のテストの点数は、いつも五十点以下だったので、信じられない光景だった。


 節奈は、いつしか秀才タイプの生徒になっていた。

 担任に言われた。

「これから君に期待するよ。僕にとっては初めての担任だけど、君のような生徒でよかったよ」

 嬉しいような、恥ずかしいような。

「君にはできたら、上から三番目の高校へ入学してほしい。それを目標に頑張ってくれ」

 節奈は、今の時点ではなんと返事したらいいのかわからなかった。

「沢木ならやればできるさ。時間と勉強だけは、誰に対しても平等なんだよ」

 どこかで聞いたこともあるセリフだ。

 あっ、未有先輩が言ってた言葉と全く同じだ。


 節奈は、いつのまにか周りから秀才として見られていた。

 嬉しいことだが、それに見合う努力が必要である。

 節奈は、古本屋で英検や漢字検定のテキストを買い込み、勉強した。

 特に、英語は耳から聞くことが大切である。

 まるで洋楽を聞いているようで、面白い。

 節奈は塾に通っているわけでもないのに、めきめき実力を上げていった。


 突然、報道番組の緊急速報が飛び込んできた。

「信田連合の組長御殿に、ダイナマイトが仕掛けられ、爆発しました。

 信田組長夫婦は、外出中だったので無事でしたが、組員三人が即死しました」

 組長夫婦の顔写真が、映っている。

 信田組長は名の知られた人物であり、ときどき実話週刊誌を賑わわせているが、夫人の方はなんと未有先輩を訪問した、和服女性である。

 反社婦人というと、極道の妻たちのようないかついイメージがあるが、節奈の接した和服姿は、家事上手の礼儀正しい世話やきのおばさんだった。

 そりゃあ、愛人の面倒をみてやるくらいだから、悪い人ではないのかもしれない。

 これも信田組長を立てるための内助の功なのかもしれない。


「たぶんこれを契機に、信田連合間で内部抗争が勃発すると思われます。

 付近の方は、ご注意下さい」

 ニュースキャスターが不安そうな表情を隠しきれず、話している。

 ひょっとして、未有先輩にも影響が及ぶのだろうか?


 節奈は常日頃から世話になっている未有先輩にお礼をしようと思って、繁華街のデパートにでかけた。

 ウインドーショッピングをするだけでも楽しく、目が肥えてくる。

 未有先輩はなにが喜んでくれるだろうか?

 そうだ、定期入れか小銭入れにしよう。

 プレゼントだから赤やピンクなど、派手な色にするとお洒落に見える。

 節奈は未有先輩と出会ってから、いろんな世界が広がったような気がする。


「あんた、未有さんの後輩かい?」

 男性の声に振り向くと、そこには二十五歳くらいのイケメン男性が立っていた。

 スラリとした長身をピンクのブラウスで包み、長い脚を黒いズボンで覆っている。

 うわっ、かっこいいな。まるで俳優みたいだ。

「はい」

 返事だけをすると、男性は去って行った。

 何者だろう?

 ひょっとしてこういうのが、インテリ反社というのかもしれない。

 ということは、未有先輩にも危害が及ぶのだろうか?

 節奈は、やばい予感がした。


 そうなったとしても不思議はないだろう。

 未有先輩は、信田連合組長の愛人の娘なんだから。

 誘拐事件のように、人質にとられるということも考えられる。

 節奈は、背筋が凍るような予感がした。


 翌日、未有先輩の家に行った。

 鍵はしまったままだが、管理人さんらしき人がうろうろしている。

「私は管理人だけどねえ、この家の親子は、家賃だけ振り込んでどこかへ行ってしまったんだよ。行き先は、私が知る由もない」

 昨日から、行方不明らしい。


 節奈は、どうしたらいいのかわからない。

 しかし、いろんな情報をキャッチし、私に出来る限りのことはしてみようと決心した。

 このことは、未有先輩に対する御恩がえしでもあるが、同時に節奈の正義感でもあった。


 完(あとは後編「試合終了のあと新しい試合が始まる」に続く)


 


 

 



 

 


 

 

 

 

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ここで人生あきらめては試合放棄だよ(前編) すどう零 @kisamatuma

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