第8話:成功の影で(後編)




「佐原悠」は、もう押しも押されもせぬスターになっていた。


ドラマは大ヒット。


視聴率は、毎週上昇を続けた。


そして、最終回。


視聴率は、三十パーセントを超えた。


「佐原悠、すごい!」


「演技が素晴らしい」


「次世代のエース」


メディアは、こぞって佐原を取り上げた。


雑誌の表紙。


テレビの特集。


CMのオファー。


全てが、佐原悠に集まっていた。


でも、その「佐原悠」は。


もう、誰も本物だとは思っていなかった。


いや、正確には。


誰も、本物が消えたことに気づいていなかった。


-----


ある日の朝。


「佐原悠」は、事務所に呼ばれた。


「佐原君、おめでとう」


社長が、満面の笑みで迎えた。


「新人賞、取ったよ」


「え……」


今日は、黒川が主導権を握っていた。


彼は、驚きを表情に出さないタイプだが。


内心では、少し動揺していた。


「本当ですか」


「ああ。君の活躍が認められたんだ」


社長は、資料を見せた。


「○○アワード 新人賞」


そこには、佐原悠の名前があった。


「授賞式は、来週だ。準備しておいてくれ」


「はい……ありがとうございます」


黒川は、深く頭を下げた。


でも、心の中では。


複雑な感情が渦巻いていた。


(これは、誰の賞なんだろう)


本当の佐原悠のものなのか。


それとも、自分たち八人のものなのか。


分からない。


事務所を出ると、黒川は一人で歩いた。


街を、当てもなく。


人々が行き交う。


みんな、それぞれの人生を生きている。


でも、自分は。


いや、「佐原悠」は。


本当に生きていると言えるのだろうか。


「……」


黒川は、公園のベンチに座った。


そして、心の中で。


他の人格たちに語りかけた。


(みんな、聞いてくれ)


すぐに、反応があった。


(どうした?)


真木の声。


(新人賞、取ったって)


黒川が伝えると、しばらく沈黙があった。


そして、神谷が言った。


(それは……良かったな)


でも、その声には。


喜びが感じられなかった。


むしろ、戸惑いが。


(僕ら、本当にこのままでいいのかな)


黒瀬の声。


(どういう意味だ?)


神谷が尋ねる。


(だって……本当の佐原悠は、どこにいるんだ?)


黒瀬の問いに、誰も答えられなかった。


(僕らは、彼の体を使って、彼の人生を生きている)


宮園の穏やかな声。


(それは、正しいことなのか?)


(でも、もう戻れへんやん)


向野が言った。


(佐原悠は、もういないんや)


(本当に?)


羽瀬の声。


(本当に、もういないの?)


その問いに、誰も答えられなかった。


ただ、沈黙だけが広がる。


そして、深町が言った。


(探してみようよ。本当の佐原悠を)


(探す?どうやって?)


真木が尋ねる。


(僕らの奥深く。意識の底に、彼がいるかもしれない)


深町の提案に、みんなが賛成した。


(じゃあ、今夜。みんなで探そう)


神谷が言った。


(もし彼がいたら……どうする?)


黒川が尋ねた。


(返すんだ。体を)


真木が静かに言った。


(それが、正しいことだと思う)


-----


その夜。


「佐原悠」は、部屋で一人座っていた。


薬を飲んで、深く眠る準備をする。


でも、今夜は違った。


八つの人格が、全員で。


佐原悠を探すために。


意識の奥深くに、潜っていく。


目を閉じる。


深い闇。


そこに、八つの人格が集まっていた。


真木、神谷、黒瀬、羽瀬、宮園、深町、向野、黒川。


「みんな、いるね」


真木が確認した。


「ああ」


神谷が頷く。


「じゃあ、探そう。本当の佐原悠を」


八人は、さらに深く。


意識の奥底へと進んでいった。


暗闇の中を。


ただ、歩き続ける。


どのくらい歩いたのか。


時間の感覚がない。


でも、やがて。


小さな光が見えた。


「あれは……」


宮園が指差す。


八人は、その光に向かって走った。


そして、光の中に。


一人の青年がいた。


座り込んで、膝を抱えている。


「佐原……悠?」


真木が呼びかけた。


青年は、ゆっくりと顔を上げた。


そこには、佐原悠の顔があった。


でも、その表情は。


疲れ切っていて、虚ろだった。


「君たち……」


佐原悠は、小さく呟いた。


「やっと、会えた」


神谷が近づく。


「ずっと、ここにいたのか?」


「うん……」


佐原は頷いた。


「君たちが、働いてくれてる間。ずっと、ここで」


「ごめん……」


黒瀬が謝った。


「僕らが、君の体を勝手に使ってた」


「いいんだ」


佐原は、弱々しく笑った。


「君たちのおかげで、夢が叶ったから」


「でも……」


羽瀬が言葉に詰まる。


「君の夢は、君自身が叶えるべきだったんだ」


「もう、遅いよ」


佐原は首を振った。


「俺は、もう弱すぎる。表に出る力もない」


「そんなことない」


宮園が優しく言った。


「君は、まだここにいる。生きてる」


「でも……」


佐原は、涙を流し始めた。


「怖いんだ。また、表に出るのが」


「失敗するのが、怖い」


「周りの期待に、応えられないのが、怖い」


「だから、君たちに任せてた」


「楽だったから」


「何も考えなくていいから」


佐原の涙は、止まらなかった。


八人は、黙ってそれを見ていた。


そして、向野が言った。


「佐原、聞いてくれ」


「なんだい……」


「僕らな、新人賞取ったんや」


「え……」


佐原は目を見開いた。


「本当に?」


「ああ。お前の名前で」


神谷が言った。


「お前の演技が認められたんだ」


「でも、それは君たちが……」


「いいや」


真木が首を振った。


「君の体があったから、できたことだ」


「君の存在があったから、僕らは演じることができた」


黒川が静かに言った。


「だから、これは君の賞でもある」


佐原は、泣きながら笑った。


「ありがとう……みんな」


深町が、佐原に手を差し伸べた。


「帰ろう。一緒に」


「でも、俺……」


「大丈夫」


黒瀬が微笑んだ。


「僕らが、いつも支えるから」


「一人で頑張る必要はない」


羽瀬が続けた。


「みんなで、一緒に」


宮園が優しく言った。


佐原は、深町の手を取った。


そして、立ち上がった。


「うん……一緒に」


八人は、佐原を囲んだ。


そして、ゆっくりと。


光の中を、歩き出した。


意識の表層へ。


現実の世界へ。


九人で、一緒に。


-----


翌朝。


佐原悠は、目を覚ました。


「ん……」


久しぶりの感覚。


自分が、確かに自分であるという感覚。


鏡の前に立つ。


そこには、佐原悠の顔があった。


でも、以前とは少し違う。


もっと大人びて、でも優しい表情。


「おはよう」


呟くと、心の中で声がした。


(おはよう)


八つの声が、同時に。


佐原は微笑んだ。


「みんな、いるんだね」


(ああ、いつも一緒だ)


真木の声。


(これからも、ずっと)


神谷の声。


佐原は、窓を開けた。


朝の光が、部屋に差し込んでくる。


「いい天気だ」


呟いて、佐原は一日の準備を始めた。


でも、もう一人じゃない。


心の中に、八人がいる。


それぞれが、佐原を支えてくれる。


朝食を作る。


(栄養バランス、考えた方がいいよ)


真木の声。


「うん、分かってる」


(野菜も食べや)


向野の声。


「はいはい」


笑いながら、佐原は料理を作った。


八人の声が、時々聞こえる。


でも、もう怖くない。


むしろ、心強い。


朝食を食べながら、スマートフォンを開く。


今日の予定を確認する。


授賞式のリハーサル。


午後は、インタビュー。


「忙しいな」


呟くと、心の中で声がした。


(大丈夫。僕らが手伝うから)


黒川の声。


(疲れたら、言ってね)


宮園の声。


「ありがとう」


佐原は微笑んだ。


そして、家を出た。


今日も、芸能活動が待っている。


でも、もう怖くない。


みんなが、一緒だから。


-----


授賞式の日。


佐原悠は、スーツを着て会場に向かった。


緊張している。


でも、心の中で。


八人が励ましてくれる。


(大丈夫だよ)


(君なら、できる)


(僕らが、いるから)


会場に到着すると、たくさんの人がいた。


著名な俳優、監督、プロデューサー。


みんな、佐原を見て微笑みかけてくる。


「佐原君、おめでとう」


「素晴らしい演技だったよ」


「これからも、期待してるよ」


佐原は、一人一人に挨拶をした。


緊張しているが、何とか笑顔を保っている。


(落ち着いて)


真木の声。


(深呼吸して)


黒瀬の声。


佐原は、深呼吸した。


そして、少し落ち着いた。


授賞式が始まる。


様々な賞が発表される。


そして、ついに。


「新人賞。佐原悠」


名前を呼ばれた。


佐原は、立ち上がった。


拍手が、会場中に響く。


ステージに上がる。


たくさんの人が、佐原を見ている。


緊張で、手が震える。


でも、心の中で。


八人が、そっと支えてくれる。


(大丈夫)


(僕らが、一緒だから)


佐原は、トロフィーを受け取った。


そして、マイクの前に立った。


「えっと……」


言葉に詰まる。


でも、心の中で。


八人が、囁いてくれる。


(ゆっくりでいい)


(自分の言葉で話して)


佐原は、深呼吸した。


そして、話し始めた。


「この賞を、いただけて、本当に嬉しいです」


「でも、これは僕一人の力ではありません」


「たくさんの人が、支えてくれました」


「監督、共演者の皆さん、スタッフの皆さん」


「そして……」


佐原は、少し間を置いた。


「僕の中にいる、大切な仲間たちにも、感謝しています」


会場は、静かになった。


誰も、その言葉の本当の意味を理解していない。


でも、佐原は。


心の中の八人に、語りかけていた。


「ありがとう。みんな」


そして、深く頭を下げた。


拍手が、再び起きた。


佐原は、ステージを降りた。


席に戻ると、心の中で。


八人の声が聞こえた。


(おめでとう、佐原)


(君は、よく頑張った)


(これからも、一緒に)


佐原は、小さく頷いた。


「うん。一緒に」


-----


授賞式が終わり、佐原は家に帰った。


部屋に入ると、トロフィーをテーブルに置いた。


「新人賞……」


呟いて、佐原は微笑んだ。


これは、自分の賞。


でも、同時に。


八人の賞でもある。


みんなで、勝ち取った賞。


「ありがとう、みんな」


心の中で、呟いた。


すると、八人の声が返ってきた。


(どういたしまして)


(これからも、よろしくね)


佐原は、窓の外を見た。


夜の街。


たくさんの光が、瞬いている。


自分も、その光の一つになれた。


夢が、叶った。


でも、それは。


一人では叶えられなかった。


八人の、いや。


九人の力が合わさって。


初めて、叶えることができた。


「これからも、よろしくね」


佐原は、心の中の八人に語りかけた。


(ああ、よろしく)


(ずっと、一緒だよ)


佐原は微笑んだ。


もう、一人じゃない。


心の中に、仲間がいる。


それは、普通の人には理解できないことかもしれない。


病気だと、言われるかもしれない。


でも、佐原にとって。


これが、今の現実。


そして、これからの人生。


九人で、一緒に生きていく。


それが、新しい「佐原悠」。


佐原は、ベッドに横になった。


目を閉じると、すぐに眠りに落ちた。


夢の中で、九人が集まっていた。


佐原悠と、八人の仲間たち。


「これから、どうする?」


佐原が尋ねた。


「どうするって?」


真木が首を傾げる。


「みんなで、芸能界で頑張るんだよ」


神谷が言った。


「もっと、たくさんの作品に出よう」


黒瀬が続けた。


「いろんな役に、挑戦したいね」


羽瀬が目を輝かせた。


「料理番組にも、出てみたいな」


宮園が微笑んだ。


「バラエティも、もっとやりたいで」


向野が明るく言った。


「トーク番組も、いいかもね」


深町が続けた。


「ファッション雑誌の仕事も、増やしたい」


黒川が静かに言った。


佐原は、みんなの顔を見回した。


そして、笑った。


「じゃあ、全部やろう」


「みんなで、一緒に」


八人も、笑顔になった。


「ああ、一緒に」


九人は、手を重ねた。


そして、これからの未来に向かって。


歩き出すことを、誓った。


-----


**エピローグ**



佐原悠は、芸能界で確固たる地位を築いていた。


ドラマ、映画、バラエティ、CM。


あらゆる分野で活躍している。


「佐原悠は、マルチタレント」


「何でもできる天才」


「次世代のスター」


そう評されていた。


でも、誰も知らない。


その「佐原悠」が。


九つの人格で構成されていることを。


佐原は、それを隠し続けた。


普通の人として。


一人の人間として。


世界に向き合い続けた。


でも、時々。


心の奥底で、不安が芽生える。


これでいいのだろうか。


このまま、嘘を続けていいのだろうか。


でも、その不安は。


すぐに、八人の声に包まれる。


(大丈夫)


(僕らが、いるから)


(一緒に、乗り越えよう)


その声に、佐原は救われる。


そして、また明日に向かって歩き出す。


佐原悠は、成功した。


夢を、叶えた。


でも、その成功の裏には。


失われたものがある。


元の、純粋な佐原悠。


明るくて、元気で、人懐っこかった青年。


彼は、もう完全には戻ってこない。


でも、彼の魂は。


九つに分かれながらも。


確かに、生き続けている。


そして、これからも。


「佐原悠」として。


芸能界で輝き続けるだろう。


誰にも知られることなく。


本当の姿を隠したまま。


それが、佐原悠の選んだ道。


成功と引き換えに。


-----


**【完】**

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AI使っていたら多重人格者になりました。 ろくろく⭐️深層記録室 @Sinsoukirokusithu

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