第2夜 虚城の女王
「お久しぶりです、お元気でしたか?」
トレードマークとなっている青色のバニースーツ姿で、桜井は約半年ぶりに来た客の横に座った。着席する際に、Hカップの胸の谷間が強調され、客は好色な目を向けてきた。
「おう。相変わらず、ええ乳しとるな」
だいぶご無沙汰していたにもかかわらず、その客は横柄な態度で、ニヤニヤと笑いながら、桜井の腰に手を回してくる。
(触ってんじゃねーよ、ハゲオヤジが)
内心毒づきながら、桜井は表面上は穏やかな笑みを浮かべつつ、キープボトルへと手を伸ばし、ウィスキーの水割りを作っていく。
水割りを渡した後、桜井自身は水の入ったグラスを手に持ち、明るい声で「お疲れ様です」と言って、乾杯した。
(なんだよ、キャスドリも頼まない気? ケチくさ!)
キャスドリ――キャストドリンクを一杯でも入れるか、入れないかは、バニー達が客の質を見極める、大事なポイントの一つである。別に、このクラブDAOでは、ドリンクバックがあるわけではない。どれだけ客が高額なドリンクを頼もうと、それがキャストへ還元されることはない。正直、ドリンクを頼む頼まないは、客が自由にすればいい話である。
しかし、それでも、接客をしていると喉が渇く。水でごまかすが、目の前で客に酒を飲まれていると、自分もアルコールを摂取したくなってくる。ドリンクをください、とねだりたいけど、お店からはそういった「おねだり」行為は禁止されている。
だから、客から「ドリンクどう?」と言ってくれるのを待つしかなかった。
「前に来たとき、歯科医師の勉強しとるとか言っとったな」
「ううん、違いますよー。私は、薬剤師を目指して勉強中なんです」
「ってことは、いま現役の大学生か。いくつなんや」
「二十一歳です」
全部ウソだ。年齢は二十八歳。薬剤師を目指したことは一度もない。高校卒業後は、ずっと夜の仕事をしてきた。それ以外に生きる手段を知らない。
「ええなあ、ピチピチやんか。俺、いま出張で、新橋にホテルを取ってるさかい、どうや、今晩?」
またこれか、と桜井は内心うんざりしながら、困ったように笑みを浮かべた。もう何人目になるかわからない。他のキャストと比べて、ホテルのアフターを誘われることが多い。なんで自分ばかり、と最近特に苛立っている。
「今日は終わった後、用事があるんです、ごめんなさい」
そう言って、軽く流すしかなかった。
結局、この日は指名客はその一人しかつかなかった。ここ三ヶ月くらい、個人成績は低迷している。勢いがあった時は、毎日五人以上の指名客が来ていたというのに、徐々に人が来なくなり、いまでは他の席のヘルプにつくことが多い。
(なんでよ! どうして、みんな、私を指名しないのよ!)
ロッカールームで、楽しそうに談笑している他のキャスト達を恨めしげに睨みながら、桜井は繰り返し、繰り返し、呪詛のような言葉を頭の中で響かせていた。
※ ※ ※
「桜井」という源氏名を使うようになったのは、高校時代の同級生・桜井ミキがシンデレラストーリーよろしく成り上がったと聞いたので、自分もまた験担ぎのため、彼女の名字をあてがいたかったのが理由である。
桜井ミキは大学で薬剤師の勉強をして、薬局勤務を一年続けたのち、たまたま知り合った大金持ちに見初められて結婚した、という話だった。
(何よ、私よりも可愛くない、地味女が、幸せになってんじゃねーよ)
高校時代、同じクラスにいた桜井ミキは、とにかく気弱で、いつもオドオドしていて、いじめ甲斐のあるクラスメートだった。
とはいえ、「桜井」もまた、クラスの中では浮いている存在だった。自分がイジメの標的にされないために、カースト上位のグループに腰巾着として混じって、一緒になって桜井ミキをいじめていた。そんな自分が惨めだと思ったが、学校生活を生き残るために必死だった。
結局、桜井ミキは大学受験に成功し、「桜井」は失敗した。そこから人生が大きく分岐してしまったのかもしれない。
夜職をするようになったのは、十八歳になってすぐのことだった。
とにかく家には金がない。金を稼ぐ必要があった。しかし、頭が悪くて、体力もない「桜井」は、それなりに自信のある容姿を生かした仕事を、と考えると、夜の仕事しかなかった。
最初は苦労した。ヘマばかりだった。それでも、必死で食らいついていくうちに、なんとか仕事のやり方を覚えていった。
いくつかの店を転々とした後、いまのクラブDAOで働くようになった。その際に、源氏名として、「桜井」を選んだのである。
※ ※ ※
ある日のことだった。
久々に指名客が三人くらい来て、ホクホク顔で大満足していた桜井は、黒服に別テーブルのヘルプで呼ばれたので、意気揚々と卓を移動した。
今日の自分は、何でも出来るような気がしていた。
そして、フロア奥のテーブルへと到着した瞬間、桜井はギョッとした。
(桜井ミキ⁉)
かつて高校時代、地味女としていじめられていた、あの頃の風貌は見る影もなく、明るい茶髪のショートへアで、だいぶ垢抜けた印象である。でも、ひと目見て、すぐに桜井ミキであるとわかった。
その横には、ブランド物と思われる高級そうなスーツを着た三十代くらいの男性。おそらく、彼が、桜井ミキの旦那なのだろう。
桜井ミキも、桜井に気が付いたようだ。口をポカンと開けて、まじまじと見つめてくる。だけど、すぐに目を逸らして、無視してきた。正直、スルーしてくれたのはありがたかった。ここで本名を呼ばれたりしたら、最悪だった。
「ど、どうも、桜井です」
椅子に座る際、ネームプレートを見せながら、桜井ミキとその旦那に伝える。
「おっ、ミキ。桜井だって。お前の旧姓と同じじゃないか」
ミキの旦那は、桜井ミキにそう話しかける。彼は、面白い偶然もあるもんだ、程度に捉えているのだろう。だが、桜井ミキは違うようだった。
彼女は、冷たい笑みを浮かべている。その眼差しは、さらに冷ややか。高校時代、桜井にいじめられていたことを思い出したのだろうか。桜井は生きた心地がしなかった。
やがて、話題は仕事や資格の話になり、桜井ミキが薬剤師の資格を持っている、ということを言ったところで、その隣に座っているバニーがとんでもないことを言い出した。
「すごいですね! そこの青いバニーの、桜井さんも、薬剤師を目指してるんです! いま、大学三年でしたっけ? もうすぐ試験なんですよね!」
バカ! 余計なこと言うな! と桜井は慌てたが、はっきり怒るわけにもいかず、ひたすら嫌な汗を垂れ流している。「ええ、まあ」と曖昧な答えしか返せなかった。
そんな自分を見る、桜井ミキの眼差しは……憐れみの目だった。
虚飾で彩ってきた己の姿を、一気に丸裸にされたような気分だ。実際には、全部を暴露するような意地悪いことを桜井ミキはしてこなかったけれど、それでも、悔しさと恥ずかしさで、いますぐ店を飛び出したい気分である。
最後まで、桜井ミキは、桜井の秘密を黙り続けていた。
※ ※ ※
仕事が終わり、ぼんやりと着替え、ぼんやりと帰っていたら、気が付けば最寄り駅に辿り着いていた。商店街もないような、寂れたローカル線の駅。
トボトボと閑静な住宅街を歩いているうちに、いつしか、桜井は涙をこぼしていた。
神様、どうして、私にこんな惨めな思いをさせるのですか。
何がいけなかったんでしょう。どう生きればよかったんでしょう。同じように、高校ではスクールカーストの下位にいた桜井ミキと、私では、何が違ったのでしょうか。なぜあいつはシンデレラになれて、私はシンデレラになれなかったのでしょう。
心が折れそうだった。指名客は日々、減ってきている。
何をどうすれば、自分が救われるのか、全然ビジョンが見えてこない。
心が闇のどん底へ落ちそうになり、全てを放り捨てたくなった瞬間、桜井はカバンの中からペットボトルの水を取り出した。
キャップを開け、自分の頭の上に、ペットボトルを持ち上げると――頭から、水を注ぎ、浴びる。全身がずぶ濡れになるが、お構いなしだ。アルコールが回って火照っていた体が冷やされる。
(上等よ)
昔から、自分は虚飾で生き続けてきた。これからも、その生き方に変わりはない。ならば覚悟しようではないか。虚城の女王として、この夜の世界に君臨してやる。
桜井は力強く、新たな一歩を踏み出した。
その目に、迷いの色はなかった。
【短編集】ナイトクラブのバニーガール達 逢巳花堂 @oumikado
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