【短編集】ナイトクラブのバニーガール達
逢巳花堂
第1夜 そして空洞は広がる【柚月】
ここは池袋にあるラブホテルの一室。このホテルでは最高級の部屋であり、露天風呂も付いているような豪勢な設備で、最初こそテンションが上がった。
一緒に来たのは、バニークラブでいつも自分を指名してくれる太客リュウジだ。小太りな体型で、パッと見すごいハンサムというわけではないが、他のバニー達からも「神客」と言われるほどの超善人で、ヘルプの子はおろか黒服にも分け隔てなく優しく接してくれることから、誰が一番の指名を取れるか、と争奪戦になるほどの人気客である。
幸いにして、柚月は二番目に多く、指名をもらえている。
だけど、一番ではない。
その悔しさと、一番の指名嬢に対する嫉妬からか、今夜はついその気になり、酔った勢いでリュウジとラブホに来てしまった。
セックスには絶対の自信があった。なにせ、数多くの男性とワンナイトを過ごしたことで、エッチのテクニックが磨き上げられてきたのだ。そんじょそこらの風俗嬢には負けないくらい相手を気持ち良くさせられる。
リュウジも、一瞬で虜に出来る、と思っていた。
リュウジがバニーガールフェチなのは知っていたので、ドンキで安物のバニースーツを買い、それを着て、色気たっぷりに迫った。シャワーも浴びずに、部屋へ入って着替えるなり、すぐに。
途中までは、まあまあ、よかった。大興奮の中、大いに盛り上がり、いよいよ本番……というところで、事件は起きた。
急に、リュウジの男の象徴が、勢いを無くしてしまったのである。
前戯をやり直して、ある程度元気にさせてから、もう一度トライする……といった流れを何度も繰り返したものの、結局、リュウジはすぐに弱ってしまうので、最終的に手で高みへと導くこととなった。
「マジ台無し」
リュウジが果てを迎えた後、ベッドに横たわる彼を放って、トイレで用を足しながら、柚月はため息混じりにつぶやいた。
トイレの床に打ち捨てた安物の白バニースーツは、リュウジから排出されたもので汚れている。ここのゴミ箱に捨てていきたいけど、それはリュウジに対してあからさまなので、仕方ないから家に持ち帰って捨てるしかない。
「久々に超エロいセックスできると思ったのになぁ」
トイレのドアには、たぶんここでもプレイする客のために設置したのだろう、鏡が貼られている。そこには、便座に座っている自身の姿が映っている。まだ二十四歳。若さと可愛さを武器にしている夜の女の、剥き出しになった裸体を、自ら眺める形となる。
ウェーブのかかった明るい茶髪、少々のメイクで十分な整った顔立ち、客からはエロいと評判の厚ぼったい唇、そして多くの男達を魅了してきたチャーミングな丸い目。
自分は完璧だと思っていた。こと、セックスに関しては。
なのに、今夜、リュウジによって、その自信を打ち砕かれてしまった。
「やっぱ……あいつが最推しなのかなぁ」
リュウジが一番指名しているキャストは、源氏名を「
だけど、最近、緋村とプライベートで会った際に、ぞんざいな扱いを受けたということで、リュウジはかなり傷心の様子だった。
それで今夜、お互いに仕事が休みだったこともあり、リュウジと二人で飲みに行くことになったのである。当初は純粋に、大事な客であるリュウジの愚痴聞きに徹しようと思っていたが、二人で盛り上がって酔いが回ってくる中で、ついストレートに柚月から「ホテル行かない?」と誘ってしまった、というわけだ。
こうして、リュウジの最推しにのし上がれるチャンス! と思っていたのだが……残念ながら、夜の営みのほうは、リュウジは「神」対応ではなかった。
トイレから出て、ベッドの上を見ると、リュウジは本格的に寝息を立てている。
ちょっと悲しくなった。自分ばかり気持ち良くなって、一緒に来た女の子を放置して、早くも眠りの世界に入っているリュウジの姿に。
別に、リュウジに恋をしているわけではない。特別な感情があるわけでもない。ただ、自分のほうだけを見るように仕向けたい、というプライドに突き動かされただけである。その結果、かえって、自信喪失となったわけだが。
「なーにやってんだろ、私」
これまで付き合ってきた男性の数は二十人以上。ワンナイトを重ねた数は、もしかしたら百を超えるかもしれない。どこまでも性に貪欲ではあるが、一方で、それは寂しさを穴埋めしたいという衝動に駆られてのことでもある。
部屋の露天風呂に、独りで入る。本当なら、リュウジとお湯に浸かりながら、浴槽内ならではのエッチを堪能したかったのであるが、それは幻となった。
池袋の空は明るく、そして汚いのだろう。吹き抜けとなって見えている夜空は、真っ黒で、星一つ見えない。半屋外空間であることの心地良さはあれども、思ったほど楽しくなくて、すぐに湯船から上がった。
迷う。
ここでの選択肢は二つ。残るか、帰るか。
リュウジから今後も指名をもらいたいのであれば、朝まで同じベッドで過ごして、一緒にホテルを出るのが、今回のワンナイトの最高の終わらせ方である。
けれども、柚月の内なる声……本音は、とっととホテルを去りたい、というものであった。リュウジの不興は買うかもしれないが、正直、そんなの知ったことか、という気持ちが強くなってきている。
どうしよう、と迷っている柚月の耳に、リュウジの寝言が飛び込んできた。
「緋村……さん……」
とろんと、幸せそうな笑みを浮かべながら、最推しの名前をリュウジは呟く。夢の中で、緋村と会っているのだろうか。もしかしたら、夢の世界でセックスまでしているのかもしれない。
その寝言を聞いた途端、柚月はアハハハ! と笑い声を上げた。
なんだか無性におかしかった。腹を抱えて、笑い転げそうになる。リュウジが目を覚ますかもしれないが、そんなの構わなかった。
あまりの馬鹿馬鹿しさに、笑わずにはいられない。
そして、胸の奥の空洞は、ますます広がった。どんな愛でも、どんなセックスでも、そう簡単には満たされない、巨大な空洞。もはや寂しさという言葉では足りないくらいの虚無感。
気が付けば、柚月は笑いながら、涙をこぼしていた。
(私って、どうしていつも、こうなんだろ)
道を間違えたのは、高校生の時か、それとも大学生の時か。あるいは生まれたときから、こんな虚しい生き方のレールを敷かれてしまっていたのかもしれない。
「はあ……バカみたい」
目尻と頬の涙を拭い、柚月はかぶりを振った。
もう迷うまでもない。
服に着替えた後、白バニースーツをゴミ箱に捨てて、荷物をリュックにまとめた。それから、ガラステーブルの上に、ホテル代を全額置いた。書き置きなんか残さない。察しろ、と思った。
ホテルを出た後、駅前の牛丼屋で、牛丼の大盛りを頼んだ。贅沢に、肉もネギもマシマシ、汁だくで。シャキシャキの玉ねぎの歯触りと、タレが染み込んだ牛肉の味が、胃袋の中に幸福をもたらす。ポッカリ空いた心の穴が、たかだか牛丼一杯で満たされるような気がした。
牛丼屋を後にして、ぶらぶらと夜の池袋を歩く。チャラついた不良達が、柚月に目をつけて、ニタニタ笑いながら近寄ってきた。
「ねえねえ、ヒマしてる? 飲みに行こうよ」
「とっとと失せて♪」
秒で断り文句を言い、思いきり、不良達に向かって中指を突き立てる。
不良達は怒りで顔を真っ赤にしたが、それ以上柚月に向かって踏み込めなかった。ちょうど警官が夜の巡回で自転車を走らせてきたからだ。
爽快な気分になりながら、柚月は鼻歌交じりに、また夜の街を闊歩し始める。
今夜のことは忘れよう。そうしよう。過去の男達と同様に、私の心のゴミ箱に捨ててしまおう。リュウジがお店に来ても、そ知らぬ顔で応対すればいい。
なんだか妙に楽しい気分になりながら、ネオン輝く路地の奥へと、柚月は消えてゆくのであった。
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