題!?えっと...
青山 翠雲
第1話:題!?えっと...
天高く馬肥ゆる秋とは、よく言ったものだ。あれだけ暑かった今年の夏。空には入道雲が大威張りしていたはずなのであるが、ふと見上げてみれば、筋状のうろこ雲がいつの間にか高い位置でキレイな紋様を見せてくれている。
この季節の移ろいも大きくは、太陽と地球の関係、とりわけ、地軸の傾きが大きく影響している。すなわち、地球は太陽の周りをこの46億年もの間おそろしく正確に1年間という周期で回っている。本当に正確!ここで大きくクローズアップされるのが地軸の傾きである。もし、この地軸の傾きがなく駒のように真北から真南にまっすぐ回っていれば、各緯度の地点は常に同じ光量の太陽光を浴びるわけだから、季節の移ろいはない。同じく横串を通したように縦回転でも同じことであるように思うかもしれないが、ちと事情が変わってくる。横串で回っている場合は、ある3ヶ月間は東極だけに太陽光が当たり、西極にはまったく太陽光が当たらないといった期間があったことだろう。ただ、半年後にはその逆になるわけだ。そう考えるとこの場合、現状の北極南極のような氷の世界は誕生しなかったのかもしれない。したがって、この地軸の23.4°という傾きは絶妙なる多様性を育む奇跡のアングルであったと言えよう。まぁ、地球の平均温度が15℃というのも、太陽からの奇跡的な距離によるものだから、このかけがえのない地球の幸運を深く認識もせず、核戦争などという自傷行為ほど愚かな行為はない。
日本は、四季の移ろいがあるからこそ、ファッションも食べ物も、また行動(スポーツや田植えや栽培、勉強の濃淡など)も、それぞれに合った愉しみやメリハリをつけられる。秋はその中でも、スポーツの秋、食欲の秋、読書の秋と何をするにも最適のシーズンと言ってもいいだろう。それは、人間のモチベーションの移ろいの中で考えても最高潮に達する時期と考えても良いだろう。すなわち、春に新たな環境になって、この時期は手探りだったり、距離感を計ったり、自分を出すべきか出さざるべきかを迷ったりする時期で、夏はとにかく暑くてダレる。冬は受験などゴールとなるべき第四コーナーに当たるが、秋は夏の何もする気がおきない気候から、ようやく集中して何かに取り組める気候であるし、第四コーナーのラストスパートに向けて、最後の自力をつける時期でもある。
また、収穫の秋とも言うように、採れ立ての食材に溢れている季節であるとも言える。また、野生動物を見ても分かるように、収穫期の後の冬は逆を言えば食糧枯渇の苦難の時期であるからして、DNAの根源的欲求としても「食えるうち食っておけ!」という指令を発してくるのである。私のような素直な人間は、身体の奥底から発せられる声に「はい」となんの疑いもなく従うわけだから、毎年、「天高く小豚肥ゆる秋」となるわけである。本書のイメージカラーがピンクなのもそのためである。
うだるような暑さを示してくる夏には、胃袋もこってりしたものは受け付けず、素麺のようなあっさりしたものが多くなる。しかし、秋はどうだろう?先にも言ったように、生きとし生けるものすべてが、越冬するために、食えるだけ喰う時期なのである。同じ鰹でも、秋の戻り鰹の方が脂の乗りがいいのである。世の中、食物連鎖なのであるからして、当然、惑星最強の捕食者である人類は皆がせっせと越冬のために蓄えに蓄えたエネルギーをいただくわけだから、ちょっと気を抜けば体重は簡単に増加する。
ここで、エネルギーということに少し触れておこう。エネルギー保存の法則というものがある。これが実に興味深い。まず、エネルギーとは何か?一言で表せば、「物体に“変化”を生み出す源」と言えようか。このエネルギーは消滅することがない。例えば、空中にあるボールは動き出す前はポテンシャルエネルギーを持っており、落下とともにポテンシャルエネルギーはどんどん減じていくが、代わりに運動エネルギーがどんどんと増し、地面にぶつかると、音・熱エネルギーに変換されていく。また、我々がジョギングをしてエネルギーを使ったとする。体内に蓄えられていた化学エネルギーが使われ、我々は疲れ、お腹が空いてくる。では、どう変換されたのか?それは、発熱・発汗というものもあるけれども、前に進むという運動エネルギーに変換されているのであり、すべての総量を足すとエネルギーの総和は変わらない。ここが最も面白いところなのであるが、「エネルギーは“無”からは発生しない」のである。我々はエネルギーを作り出すことはできないのである。火力発電も石炭という化学物質を燃やしてタービンを回して電気エネルギーに変換しているにすぎない。では、我々はどうやってエネルギーを体内で作り出しているのかと言えば、肉や魚を食べることで、太陽が生み出している太陽エネルギーを取り込んだ植物を食べた動物の肉を食べることで体内に取り込み変換しているのである。つまり、これを究極の一言で言い表すと、エネルギーの総量は宇宙が誕生した瞬間に決まっており、それをすべて変換しているに過ぎない。核エネルギーは人類が作り出したエネルギーと言えるのではないか?と疑問を呈する方もいるだろう。しかし、宇宙の法則はあくまで一つなのである。たまたま、ウランやプルトニウムという陽子・中性子・電子を多く含む物質の質量欠損という事象を用いて、原子の中からエネルギーを取り出しているに過ぎない。核爆発が起きれば、膨大な熱エネルギー、光や音エネルギーに変換される。ちなみに、原子力エネルギーの発見・取り出しの理論の元となったアルベルト・アインシュタインの有名な式 E=mc² は左辺のE(Energy)は質量(mass)に光速(celeritas(ラテン語で速さの意))の2乗を掛けたものと等価(交換可能)であるという意味である。これは、100gのバネを弾性エネルギーゼロのところから引っ張って止めると、ごく僅かであるが、引っ張られて蓄えられたポテンシャルエネルギーゆえ、バネの質量を大きくしている。エネルギーは無から有には生まれないと言った。では、我々が存在している所以となる性交・出産とはいかなるエネルギープロセスなのか?それは摩擦エネルギーや運動エネルギーを経て、声という音エネルギー、発熱エネルギー、中精子エネルギーなどなどと経るわけだが、それについては、私の小説に詳述してあるので、ここでは割愛しておくとしよう。ちなみに、私が小説を書く際のエネルギーは何か?ということに触れておくと、「面白かった!また次作も期待していますっ!」といった感想エネルギーや「くだらないにも程がある!だが、面白い!私だけが犠牲者となるのは可笑しい、いや、おかしいので、皆も読むように!」といった洒落の効いたレビューコメントエネルギー、そして、宇宙に燦然とかがやく三連星というExcellent!!!な星エネルギーによって形作られているのである(爆)。「読者の秋」に青山翠雲全集をコンプリートしてみるというのもオススメの過ごし方であるので、是非、思い立ったが吉日!実践に移してみてほしい(笑)。
さて、この食欲の秋をどのように過ごすべきか、というところであるが、エネルギーを存分に蓄えた天からの恵みはこの時期、本当にどれも美味しい。その味覚を享受しないという手はない。先祖代々より「食欲の秋」と同時に「スポーツの秋」「読書の秋」とも言う。すなわち、美味しいものを食べたならば、運動も同等、それ以上に行えという教えである(青山翠雲作品の読書もお忘れなく)。
人間は、古来より、自らを駆り立てるには、目的や目標が必要な生き物である。すなわち、モチベーションというやつである。人間の三大欲求は「食欲」「性欲」「睡眠欲」である。これは生命の維持・繁栄のために予め脳にインプットされた衝動である。食欲は食べ物を見れば、減った腹はより減り、ヨダレが口の中に溢れ、食べ物で腹を満たせば幸福感に浸ることができ、そして、夜になれば、また明日の狩りや収穫労働のために眠くなって睡眠を取る。
石器時代であれば、他の野生動物と同じく、「美味しそうな食物」を食べるために、この時期は一生懸命、狩りをしたり、農耕社会であれば、一番の繁忙期であり、大いに食べるが大いに労働もしてエネルギーも消耗(運動エネルギー変換)していたことだろう。
では、人間は、生まれおちて、本能とはいえ、仮に親や他人から教わらなかったとして、性交に成功するだろうか?というのは、誰し思ったことがあるかもしれない。まぁ、私ほど、深くは考えないかもしれないが。みなさんもそうだと思うが、昨今の親は第三の本能については、積極的に開示・教育するというよりも、むしろ、逆に遠ざけ、どちらかと言えば、けがらわしいもの的雰囲気すら醸し出してきたのではないだろうか?もちろん、私も親から教わったということなどはない。が、なんとなく、伝わってきたし、まぁ、現代社会はそういったことについての教育素材には溢れている。ちなみに、筆者がスコラ(哲学)と出会ったのもこの頃である。現代社会においては、映像資料が豊富にあるため、その根源的な問いを発する人は少ないかもしれない。しかし、翻って考えてみれば、魅惑的な女性の裸体を見ると、局所に血液が集結し、普段は大人しく格納されているものが屹立する。小用を足すだけならば、巨大化 & 硬化させる必要はないわけで、それはひとえに、「合一」のためだけである。食べ物を見れば、それを食べたくなるのと同様、魅惑的な女性を見れば、特別な感情が起こって身体的変化や気持ちの渇望するような変化をもたらす。これこそが、「本能」たる所以であるし、「物体に“変化”を与える」という意味では“エネルギー”であると言えよう。そういう意味では、エナジードリンクなどというが、ある意味、正鵠を射ているのかもしれない。逆を言えば、男性も75歳の女性を見たからといって(一部の特殊な嗜好を持つ方を除けば)興奮はしないであろう。それは、生殖に可能な期間を過ぎているからなのかもしれない。もちろん、女性の方も(特殊な事情を除けば)75歳の男性を見たからといって、発情するものでもないであろう。それは、特に、女性の立場からしたら、自らの母体に受け入れる精子は選別の上に選別を経てようやく受入れを決めるわけであるから、母体を危険に晒しかねない老体の精子には発情しないようこちらも生理的なインプットがDNAに刷り込まれているはずである。それは、生殖に適した時期を迎えた野生動物の涙ぐましいオスの努力を見れば、分かるというものであろう。その時期を逸してはならないのである。
さて、この秋に湧き起こる食欲を満たすため、人はこの時期、豊富な食材を食べまくるのである。SNSへの美味しい味覚ゲットの報はこの時期が最も活発に行われるのではないだろうか?その様は、まさに「ゲッターロボ」と言っても過言ではない。このゲッターロボであるが、巨大ロボットものの作品中、“合体”・“変形”ロボット作品の元祖と位置づけられるものとなる。3人の操縦者によってゲットマシンと呼ばれる3機の飛行機様の乗り物が合体し、空中用、地上・地中用、海中用の3種のロボットに変化するコンセプトは、その後の続編などにも引き継がれている。奇しくもこれらは、“合体”、“(エネルギー)変換”、そして3種のロボットは“3大本能”を想起させるものである(想起させません)。対して、この時期、エネルギーチャージ過多に備えるため、人は「ダイエッターロボ」になる必要性がある。
人間がこの「食欲」という三大本能に反するとも言える身体の奥底から鳴り響く欲求に打ち勝つには、相当の心構えと相応の目的と目標がないとなかなか駆り立てられるものではないであろう。
若い時というのは、いわば、食欲が暴走Max、Orixな時期であるとも言える。また、筆者もそうであったが、高校性の頃は、体育系の部活に所属していたこともあり、たとえ一日6食食べていようが、「太る」ということを一瞬たりとも考えたことすらなかった。また、大学受験もなぜ頑張ったのか?と言えば、もちろん、学びたい学問を学びたいから、ということもあったが、それならば、どこの大学でも良いわけで、なんで必死こいて難関大学を目指したかといえば、良い就職先を得るため、もっと腹蔵なく言えば、オフィシャルには決して口には出さないが、心の奥底では、「小学校時代の体育がデキルやつ=モテルやつ」という社会構造を、「良い学校を出て良い就職先を得る」ということで、なんとなくヒエラルキーの底辺から上位に鞍替えすることのできる価値観革命を起こす最後のチャンスの波と捉え、それがひいては「イイ女を抱く」ことに繋がっているのでは?との想いで、自らをあれだけ追い込めたのではなかったのか?と回想したとしても、的外れども遠からじであったように思う。すなわち、これも社会性も踏まえた上での生存戦略・生命受け渡しの戦略であったと言えよう。同じ理由で、結婚前の男女がダイエットに励むのは、美しいプロポーションを磨くことが、佳き伴侶を得ることやその機会を増やすことに直結するモテることに繋がるからである。
壮年期の35~45歳の頃に人は、またダイエットに励むことが多い。それは、ひとえに、そこが中年太りを始めとして容姿の衰えが目についてくる時期だからであり、周りの視線を気にする意識高い系や美魔女など大きく差が開いていく時期でもあり、男も女も大抵は(私の周りでは)不倫まではしないが、男であり、女であり続けたい心の欲求が突き動かすのである。もちろん、男女とも、この人生がいろんな意味で大きく動き分かれていく30代を過ぎて、40代になった頃には、なんとなく「不惑」ではないが自分の着地点も見えてきて、自分の人生と向き合い「受け入れざるを得ない」状況になった頃に開かれる「同窓会」になら、なんとなく、出てみようか、という気になることができ、あの「(今思えば)痩せていてカッコ良かった」自分との比較との落差を少なくしたいと思うことから、男女ともダイエットに励む高いモチベーションを持っているように思う。
さて、では、50代になってからのダイエットに対するモチベーションはいかなるものか?果たして、人間は50代になって「ダイエッターロボ」になれるのか?
容姿は衰え、出会いもなく、実行にまでは移さなくとも、頭のなかでは想像だけはするアバンチュールも段々と現実味が薄くなってくる。また、若い頃と違って、「さて、頑張ってみようかな?」と思う日に限って、腰が痛かったり、何かと不調が出る。また、積み重ねてきた人生経験から、「多少、小太りの方が長生きしやすいらしい」といった都合のいい情報を集めてくる芸当には磨きがかかってくるのである。
むしろ、この年代にあって、自分を突き動かすモチベーションとしては、広い視野と知見、そして、他者視点となってくる。
広い視野というのは、新聞やニュースなどで世相というものが分かってくるので、例えば、日本は国民皆保険制度があることの反作用であったり、死生観が欧米と違っているなどの理由から、いわゆる寿命と健康寿命との差に平均9年ほどの開きがある。これは世界的に見ても、日本だけが突出している。つまり、平均9年も多くの老人は病院で毎日天井だけを見て過ごしている人生を送っているということである。
ドイツ語でトイレのことを「皇帝でも自分の足で行くところ」という言い回しがある。つまり、足腰を鍛え、たとえ何人であっても自分の足でいくしかないトイレには行けるようにしておくべきなのである。それが、一番、自分の人生を彩豊かなものにする最大のポイントである。これは、本当にそう思う。また、子どもの人生を思う時にも、極力、迷惑をかけずに生きていかねば、という思いである。あとは、ファッションを今のうちに楽しみたいという思いもある一方、長い人生を生き抜いていくためにもお金は必要なので、新しく洋服を買うのではなく、今ある洋服資産を活かすべく、“動ける今のうちにこそ”、身体を鍛えて身体を洋服に合わせることのできる最後の時なのだという「焦り」の気持ちを焚きつけて、自らをダイエットの道に厳しく律して、「いつやるの?」「今でしょ!」というやり遂げる強い意志を持つしかないと思っている。
「幸せな長生き人生」これこそが、50代に打つべき最大の布石なのである。
ここまで長々と書いてきた。
「えっ!?結局、お前は何がいいたかったんだ?タイトルは何なんだ?」と。
「題!?えっと...うん、そうだな、これでどうだろう?」
『50代、秋こそ飽きずにダイエットで、Die 越冬』 < 完 >
題!?えっと... 青山 翠雲 @DracheEins
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます