帳簿上の虚構が王国を崩壊させるまで

唯野岳

第1話

アッシア王国とローレン帝国――。

長きにわたり国境を接し、幾度も小競り合いを繰り返してきた二国は、皮肉にも、戦ではなく経済で決着を迎えた。


王暦一四二四年四の月。

王国の経済は、前触れもなく崩壊した。王都の金融街は取り付け騒ぎに包まれ、通貨は紙屑と化す。混乱に乗じて帝国は進軍し、わずか数日で王城を陥落させた。


帝国は王国の完全な支配を宣言すると同時に、崩壊の原因を探るため、各省庁に専門家を派遣した。

王立監査院には、帝国監察局の若き上席監察官――リチャード・クロフォード率いる調査班が送り込まれた。


◆◆◆


「まったく、面倒な仕事を押し付けられましたね」

神経質そうな青年、カイル・ノーランが呟いた。

「王国の経済が崩れた理由なんて、どうせ貴族どもが私腹を肥やしたせいでしょう。わざわざ帝国から我々が出向くほどのことですか?」


「そう言うな」

長身の金髪の男――リチャードが苦笑を浮かべる。

「他国の監査資料を直接見られる機会なんて滅多にない。案外、学ぶことがあるかもしれん」


「王国なんて古臭い国に、学ぶことなんてありますかね。貴族制度なんて時代遅れですよ」


「お前の貴族嫌いは相変わらずだな。だが、歴史の長さを侮るな。腐っても長く続いた国には、それなりの理由がある。足元を掬われるのは、いつも“見下ろしている側”だ」


「……了解です、上席監察官殿」


リチャードは軽く笑いながら、王立監査院の書庫を歩いた。埃の積もった帳簿、解読不能なほどに複雑な財務記録、そして封印されたままの区画。

王国の経済がどう崩壊したのか――その答えがどこかに眠っているはずだった。


「リチャード様!」

二階で探索していた部下の声が響いた。

「封印魔法の施された区画を発見しました!」


「よくやった。解除は可能か?」

「すでに完了しています!」

「案内しろ」


◆◆◆


封印を解かれた扉の向こうには、誰の目にも触れなかった書類の山があった。

リチャードはチームに指示を出し、それぞれの束を手分けして確認させる。


「貴族の汚職、脱税、裏金……想定の範囲内ですね」

カイルが鼻で笑う。

「税収をごまかして私腹を肥やす、奴隷労働で人件費を削る、そして不倫――退屈な見本市です」


「そうだな。どれも古典的だ」

リチャードはそう言いながら、一冊の分厚い報告書に手を伸ばした。

表紙にはこう刻まれていた。


『アストリア統合錬金社に関する最終監査報告書』


リチャードは最初の数行を読んだ瞬間、表情を一変させる。

読み進めるほどに、眉間の皺は深まり、やがて顔色が青ざめていく。


「……なんだ…これは…」


「どうしました?」

カイルが問う。


「お前もこれを読んでみろ」

リチャードはカイルに報告書を差し出した。



◆◆◆


王立監査院 御中


アストリア統合錬金社に関する最終監査報告書


提出者:王国監査官 レオン・ヴァルド

提出日:王暦1423年 冬至の夜

対象法人:アストリア統合錬金社(以下「当社」)

対象期間:王暦1421年~1423年(決算期:同期間)

監査目的:当社の財務諸表の真実性・継続企業性の検証および、簿外取引・関連当事者取引・会計処理の適法性確認



要旨


本監査により、当社は複合的かつ組織的な不正会計スキームを継続的に行っていたことを確認した。主要手口は(1)外郭商団を用いた簿外資産・負債の移転、(2)将来発生見込みのマナ収益を現期利益として先行計上する評価手法の乱用、(3)資産の名義循環(循環取引)による売上水増し、(4)監査資料の改竄および秘匿魔法を用いた証拠隠滅、である。これらにより当社の公表財務は実体を著しく欠き、国家的信用の連鎖的崩壊を招いたことが示唆される。


推計影響(監査試算):

•帳簿上の当期純利益は実体利益の約12倍相当である可能性(監査独自再算)。

•帳簿在庫(マナ結晶等)は記載値2,500単位に対し、実在確認は834単位。差異:1,666単位。

•循環取引により売上高が実体の約2.7倍に膨張。

(注:上記数値は当監査における現時点での推計値であり、秘匿・焼却等により完全検証は不可能である。)



1. 監査範囲・方法


1.1 監査範囲:当社本社、主要外郭商団(エクソリア等)および関連記録(契約書、台帳、通貨伝票、倉庫実地検査)を対象とした。

1.2 実施方法:書面照合、現物確認(倉庫在庫実査)、取引先照会、内部通牒の解析、魔法封印解除手続の併用(王立術式部協力)。

1.3 制約事項:一部原始資料の焼却・秘匿魔法(自動消滅呪式)により資料の欠落があり、完全解明に制約あり。



2. 背景(簡略)


当社は錬金触媒・マナ精製を主力とし、王国における主要エネルギー供給者として成長を遂げた。王政は当社の成果を国家再建の一要素と位置付け、資本供与・特別地位を付与した経緯がある。こうした政治的環境が、企業の実務監督の諸制度を緩める素地となった。



3. 主要所見


3.1 外郭商団構造と簿外移転

•当社は複数の外郭商団(名称例:エクソリア、ヴェルニア等)を設立し、形式上は第三者出資による独立法人として記載していたが、実態は当社の実質支配下にある簿外子会社であった。

•当社は外郭商団へ原料(マナ結晶・触媒)を「売却」し、外郭商団は短期間で当該資産を再購入あるいは別名義へ移管することで、当社帳簿上に利益を発生させた。実質的な経済価値移転は伴っていない。

•これら外郭商団は当社役員・関係者を介して資金供給を受け、損失は当社が補填する契約が存在した(連帯保証条項)。


3.2 将来マナ収益の先行計上

•当社は社内基準「未来価値算定基準 第Ⅳ-9号」に基づき、未発生の将来マナ収益を現期の資産または収益として計上していた。

•承認印章の多くは改竄・偽造の痕跡があり、正式な承認手続(議事録・会議録)は欠落している。

•監査人試算では、本手法により公表利益が実際の実現利益を著しく上回っており、報告利益は最大で約12倍に達する余地がある。評価モデルの前提(触媒効率向上率、価格上昇率等)は実証データに基づかない楽観的仮定で占められていた。


3.3 循環取引による売上水増し

•同一の錬金触媒(例:「アダマント触媒No.3」)が複数回にわたり名義を変更され、その度に売上が計上される循環構造を確認。

•事例:該触媒は六度の名義変更を経て最終的に当社倉庫に再入庫。流通記録と実物流が整合しない(実物流を裏付ける搬出入伝票や通関印が欠落)。

•循環取引により帳簿上の売上高は実体の約2.7倍まで膨張していた。


3.4 証拠改竄・秘匿(魔法的手段含む)

•当社会計部が監査人閲覧用に改竄済み台帳を用意していた事実を確認。原本には秘匿魔法(自己消滅呪式、改竄防止解除呪式の改竄)が施され、開示請求に際して一部文書が自動的に焼却された。

•帳票の筆跡には変成呪式による筆跡再生の痕跡が検出され、筆跡鑑定では同一人物の印影が改竄されている可能性が高い。

•これらは組織的な証拠隠滅行為であり、刑事責任に該当する。


3.5 統治・監督体制の欠陥

•当社取締役会、監査委員会、王立中央銀行、神殿財務局における情報共有と監督機能が欠落し、利害関係者間での「共謀的黙認」が疑われる記載が内部通信により確認された。

•監査院内部の高位者による事実上の介入・圧力が確認され、独立監査の実効性は著しく損なわれていた。



4. 影響評価

•当社信用の崩壊は、取引相手・金融機関の損失実現を通じて、王都の資金流動性に急激な不足を招いた。結果、通貨基準(マナと金貨の換算レート)が暴落し、信用収縮が国全体に波及した。

•早急な資産保全措置を取らない場合、王国の主要銀行・証券市場・貴族資産に連鎖的損失が発生するおそれがある。



5. 主要証拠(抜粋)

•証拠1:外郭商団「エクソリア」契約書(第7条:将来マナ収益に基づく即時評価条項)※一部焼却痕あり。

•証拠2:倉庫在庫実査報告(帳簿:2,500単位 / 実在:834単位)および在庫差異表。

•証拠3:取引台帳#B17-A(循環取引記録:支部A→B→C→当社)および対応通貨伝票。

•証拠4:内部通牒(財務責任者→取締役会):「監査院には該当資料を限定公開すること」等の指示文。

•証拠5:魔法封印解除ログ(秘匿魔法による自動消滅呪式の痕跡)及び王立術式部の解除証明。



6. 勧告(短期・中期)


短期(即時)

1.当社の配当停止と取締役の資産保全(仮差押え)を指示すること。

2.当社主要口座の凍結と、外郭商団への資金移動の差押え手続を速やかに実施すること。

3.銀行・証券市場に対する流動性供給の臨時措置(中央銀行による資金注入・担保買入)を行うこと。


中期(安定化・再建)

1.独立した第三者による全面的なフォレンジック監査の実施(術式解除・証拠復元を含む)。

2.会計基準の見直しと、将来収益の認識基準を厳格化する法改正の準備。

3.監査制度の独立性強化。

4.関係者(役員・監査委員・協力した官僚等)に対する刑事告発手続の開始準備。



7. 結語(所見)


本件は企業単体の粉飾を遥かに超え、国家的信用体系に組み込まれた「会計上の虚構」がもたらす社会的崩壊事案である。被監査法人当社の実体的危機を正確に把握することは、国家再建に不可欠である。提出に際し、当監査は得られた証拠を基に可能な限りの実務的勧告を行うが、最終的な開示範囲および対処方針は王立評議会の判断を仰ぐ。


王国監査官 レオン・ヴァルド


◆◆◆


リチャード達は王国監獄地下の薄暗い通路を進んでいた。壁面には湿気で黒ずんだ石材が露出し、時折聞こえる水滴の音が重苦しい沈黙を際立たせる。部下のカイルが懐中魔石の光を頼りに進む。監獄の奥深く、かつて王国の秘密保持室だった場所に、幽閉され衰弱しきった男がいた。


「レオン…ヴァルド監査官ですか?」

リチャードは声をかける。男は微かに顔を上げ、かすれた声で応える。


「…帝国の制服…そうか。やはり王国は崩壊したんですね…」

二人は短い沈黙の後、核心に入った。


「貴殿の作成した最終監査報告書、我々が理解できる形で解説してもらえますか。全貌を知る必要があります」

レオンは微かに息を整え、首を縦に振る。



リチャードが最初の質問を投げる。


「まず、外郭商団、表面上は独立していると書かれています。実際はどうなのです?」


レオンは顔をしかめ、言葉を慎重に選ぶ。


「表向きは独立。資本金は第三者出資、契約も形式上は正規。しかし、当社は保証契約により全損失を補填する権利を持つ。言い換えれば、独立ではなく、簿外子会社と同等です。売上を計上する際、当社から外郭商団への『売却』が行われますが、資産はほぼ変わらず戻ってくる。この『売却』が、利益を膨らませるための偽装取引なのです」


リチャードはメモを取りながら問い続ける。


「つまり、実体経済の動きはほとんどなく、帳簿上だけの利益増加ということですね?」


「その通りです。外郭商団の売上は架空に近く、マナ換算評価益として計上されます。魔法式の在庫評価や予測収益を用いることで、実体以上の利益が見せかけられるのです」



「次に、将来マナ収益の過大計上。これはどのような仕組みですか?」


レオンは弱々しく答える。


「当社は錬金触媒の効率向上など、将来の利益を現期に計上する方法を採用していました。内部文書『未来価値算定基準 第Ⅳ-9号』に従う、とありますが、実際は正式な承認記録がほとんどありません。推計値は楽観的すぎて、現実の利益とは最大で12倍も乖離していました」


リチャードは眉をひそめる。


「つまり、実際には利益はほとんど出ていないのに、帳簿上では巨額利益が計上されている…」


「はい。王国の経済指標はこれに基づいて公表され、帝国の調査官でも理解不能な数値となっていたのです」



「循環取引についても詳しくお願いします。報告書では同じ触媒が複数回売買されているとあります」


レオンは疲れた目で頷く。


「例えば『アダマント触媒No.3』。六度の名義変更を経て、最終的に当社倉庫に戻る。各取引ごとに売上計上。実際には触媒はほとんど移動していません。帳簿上の売上高は2.7倍に膨れ上がる構造です」


カイルが感嘆するように言う。


「これほど巧妙な循環取引が、現実に行われていたとは…」


レオンは苦笑を浮かべる。


「巧妙ですが、法の網を完全にすり抜けることはできません。魔法封印や改竄で隠されているだけです」



リチャードは続ける。


「監査資料の改竄、秘匿魔法の部分です。どの程度、資料は操作されていたのですか?」


レオンは微かに息を切らしながら答える。


「外部監査用には改竄済み台帳が用意され、原本は魔法封印で隠匿。開示請求の段階で、一部文書は自動焼却されました。筆跡鑑定でも、同一人物の印影が改竄されている形跡があります。組織的な証拠隠滅です」


リチャードは無言で頷き、暗い地下牢の空気を吸い込む。



「最後に、統治・監督体制の欠陥について解説してください」


「当社の取締役会や監査委員会、王立中央銀行は、当社の情報操作をほぼ黙認していました。内部通牒では、監査院には限定公開を指示する文書もあり、共謀的黙認とみなせます。これにより独立監査の実効性はほぼ皆無でした」


カイルが息を呑む。


「つまり、国家の信用システムそのものが、企業の粉飾に巻き込まれた…」


レオンは静かにうなずいた。


リチャードは深呼吸する。


「つまり、アストリア統合錬金社は、外郭商団による簿外取引、将来収益の先行計上、循環取引、資料改竄と秘匿魔法を駆使し、国家経済を欺いていた。これにより王国経済の崩壊が現実化した、と」


「はい。正確には、経済崩壊の要因は単一ではありませんが、当社の粉飾が触媒となったことは間違いありません」


◆◆◆


リチャードとカイルは重い沈黙のまま、地下牢を後にした。湿った石の通路を抜け、王都の街へと出ると、そこには紙幣を握りしめ、途方に暮れる民衆の姿があった。市場では物価が暴騰し、銀行の前には取り付け騒ぎの列が続く。信頼の失墜が、目に見える形で現実化していた。


「リチャード様…レオン監査官に教えていただいた手口は理解いたしました。しかし、結局アストリア社は何が原因で崩壊したのでしょうか」


「端的に言えば、信用の連鎖崩壊だ。帳簿上で水増しされた利益に、現実の経済が追いつけなくなったのだ」


カイルは息を飲み、崩れた街の景色に目をやった。街全体が凍りついたかのように静まり返り、ここで暮らす人々の混乱が肌に伝わってくる。


「帳簿と現実の乖離…それが決定打ということですか」


「その通りだ。王立中央銀行や取引先、外郭商団もアストリアの帳簿に基づいて資金を投入していた。誰も異常に気づけなかった。しかし、限界は必ず来る」


リチャードは拳を軽く握り、唇を引き結んだ。遠くで崩れた建物の壁が崩落する音が響き、彼の言葉の重みをさらに際立たせる。


「では、どの瞬間に雪崩が起きたのでしょうか」


「きっかけは、外郭商団エクソリアでの在庫差異の露見だ。倉庫にあるはずのマナ結晶が大幅に不足していることが現場検査で明らかになった」


カイルは目を見開き、思わず息を呑む。紙と魔法の世界に潜む不正が、目に見える形で現実を覆した瞬間だ。


「現場検査…レオン監査官が確認していたものですね」


「その通りだ。帳簿上の利益や循環取引は巧妙でも、実物資産との乖離は隠せなかった。差異が公になった瞬間、取引先や銀行は一斉に信用を引き揚げた。マナ換算レートは暴落し、資金繰りは瞬時に破綻したのだ」


リチャードの声は低く、だが冷静だった。彼の目には、帳簿上の虚構がもたらした現実の惨状が映っていた。


「循環取引や将来収益の過大計上も関係していたのでしょうか」


「もちろんだ。循環取引で売上高は実体の約2.7倍に膨張していた。将来収益の先行計上も、実際の利益とは最大12倍も乖離していた。だが、最終的に決定的だったのは現物資産との不整合だ」


カイルは眉をひそめ、手元の書類を握り締めた。数字の裏に潜む現実を、肌で感じ取ることができるかのようだった。


「つまり、帳簿操作だけでは国を欺ききれなかった、と」


「そうだ。そして監督機関も機能していなかった。王立中央銀行や取締役会は、異常な帳簿をほぼ黙認していた。内部文書には、監査院には限定公開せよと指示する記録も残っている」


「つまり国家の信用システムそのものが巻き込まれたということですね」


「正確にはこういうことだ。アストリア統合錬金社は外郭商団による簿外取引、将来収益の先行計上、循環取引、資料改竄を駆使して国家経済を欺いた。しかし現物資産との乖離が露呈したことで、信用の連鎖崩壊が現実化したのだ」


カイルは沈黙した。風の音と、遠くで崩れ続ける街の壁の音だけが辺りに響く。


「まずは速やかに本国へ報告書を上げる。帝国で同じ穴に落ちぬよう、法の抜けは徹底的に洗い出す。それと——」


リチャードは一拍置いてカイルを見た。


「アストリア社に関与した者たちの特定と拘束を優先する。だが、今日明日で何かが変わるわけではない。だが、私たちが動かなければ何も始まらない」


リチャードは崩れた街を見下ろし、握りしめた拳をゆっくり解いた。

「これは…ただの数字の問題じゃない」

カイルも隣で小さく頷く。二人の視線の先には、混乱の中でも必死に生きる民衆がいた。

「やるしかないな」

リチャードは言葉少なに呟いた。

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