箱庭と選択肢

箔塔落 HAKUTOU Ochiru

箱庭と選択肢

 ひかるものとひからないものが揺れたり揺れなかったりを、ゆっくりだったり激しくだったりくりかえしつつ、「わたし」のまぶたを、それぞれのやり方で燃やしている。涙は流れない。水より塩の成分が濃くて、目の周りにこびりついてしまうからだ。ゆえに「わたし」は、うまく目を働かせることができないけれども、風の音が、どこまでいっても何にもぶつかることのない風の音が、ここが曠野なのだということを教えてくれる。けれどもそれは、必ずしも「わたしが曠野にいる」ということを意味しない。

 わたしの感覚と心理は、必ずしもいつもここにはいない。もちろん、「いまここ」にいることもあれば、やや信じにくいことかもしれないが、「かつてのあの地」に置かれた墓標にしがみついて離れないこともある。いまは? 感覚については述べてきたとおり。心理については、たとえば自宅のベッドで惰眠をむさぼっているのかもしれない。それでいい、とは「わたし」は思わない。それじゃあだめだ、とも。感覚は「思う」ということができないからである。

 いま、どこかにランプを忘れてきた大アルカナの隠者のように、杖を鳴らしながら「わたし」が歩くのは、「わたし」にとっては曠野だが、生きとし生けるものがみな、否、いのちなきものですらある種の「箱」である以上、その曠野も「箱庭」に過ぎない、という見解にも理がある。先ほど、「感覚は『思う』ということができない」と「わたし」は言ったが、それでは、「欲望する」ことはどうだろう? たとえば、甘いものを食べたあとにしょっぱいものが食べたくなるのは、心理のはたらきだろうか? それとも感覚のはたらきだろうか? ……そんなたとえを用いて現状を語ろうとすることは、やや的外れかもしれない、「と思う」ことすら「あなた」にはできない。「あなた」は、ありていにいえば、「痛みがさらなる痛みを求めるという感覚」をいま、サディズム/マゾヒズム以外の観点から体現して(あるいは体現しようとして)おり、そうしてまもなく所期の目的は果たされるかのように見えなくもない。

 「あなた」は足を止める。それから、杖を扇状に地面にたたきつける。強い風が曠野の枯れたぶどうの樹を一部根こそぎにし、「あなた」にはぶつかることのないまま飛び過ぎる。どう少なく見積もっても、いま、「あなた」の目の前には、「あなた」の右手の指の数ほどの分岐があり、つまりはそれだけの行く手があるということだからである。

 「あなた」は一瞬、「思うこと、ひいては考えることのできない自分をあざ笑われたかのような感覚」になるが、そうしてそれは本来怒りや絶望と直結する感覚で然るべきものだが、「心理」とはなればなれになった「あなた」にそこまでの膂力はない。少しだけ沈黙し、「あなた」の前にまっすぐ伸びている道を選択し、ふたたび杖を鳴らしはじめる。あなたは知らない。知ることはない。あるいは、知るころにはすべてが遅すぎる。じつは、たとえどの道を選んだところで、出口までの距離は、たいして変わらなかった、ということを。

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