涙腺ぎゅーん!

りつりん

涙腺ぎゅーん!

 人生、泣いてはいけないシチュエーションが多い。

 自身のミスきっかけで、職場の先輩に起こられている時。

 姪っ子が見たがっていた映画を見に来て、姪っ子泣いてないのに自分だけ泣きそうな時。

 年甲斐もなく派手に転倒していたるところに激痛が走ったけど、周囲に人がいるがゆえに泣けない時。

 大人になると、色んなシチュエーションで泣きたいけど泣いちゃいけない時が多い。

 でも、泣きたい時に泣けないのは正直辛い。

 俺は我慢できない方だ。

 だけど、我慢しなくちゃいけない。

 その葛藤の狭間で、俺は一つの方法を編み出した。

 それは、『泣きたいけど泣いちゃいけない時は、脳内の自分にタップダンサー顔負けのステップを踏ませながら、涙腺ぎゅーん! と全力叫ばせる』というものだった。

 コミカルさを演出しつつ、でも、泣きたいという気持ちを全面に押し出す。

 このバランスを脳内でとることで、泣く、という物理的な現象にまで感情を到達させないことに成功した。

 この秘策のおかげで、もうかれこれ二年は人前で泣いていない。

 そして今現在、その秘策を展開している。

 俺の仕事のミスで、部署全員が残業してしまっているこの状況。

 本当に申し訳なかった。

 でも、いつもミスするわけではないし、ミス、そしてそのフォローはお互い様。

 そういう空気感がある部署だからこそ、皆が皆、残業しつつも『ったく。しょうがねえな』という和やかな雰囲気がオフィス内を包み込んでいる。

 仲の良い先輩は、子どもの誕生日だというのに残ってくれている。

『なーに、俺なんて上司の子どもが生まれるってタイミングでミスして、上司ともども朝まで仕事したことある』と笑ってくれた。

 そんな皆の優しさに泣きそうになった。

 でも、ここで泣いてはいけない。

 俺ができることは、全身全霊全力全開でミスした分をカバーすること。

 そう奮い立たせつつ、俺はいつものように脳内でステップを刻みつつ叫んだ。

 すると、突如、俺の体は勝手に立ち上がり、脳内でいつも踏んでいたあのステップを踏み始めたではないか。

 そして、ステップしつつ。

「涙腺ぎゅーん!」

 と声があふれ出てしまった。

 それはもう、何度も。

 喉が裂けるのでは? と言わんばかりの大きさで。

「え?」

 体と叫びが止まると同時に、俺は戸惑いの声をあげる。

 意味が、分からなかった。

 俺はこれまで脳内で必死にステップを踏みながら、涙腺ぎゅーんと叫んできた。

 そう、あくまで脳内で、だ。

 一度も表に出したことはない。

 それなのに、俺の体はまるで何度もそうしてきたかのように、軽やかに、よどみなく動き、声帯を震わせてしまったのだ。

 職場内に張り詰める『何を見せ、聞かせられたの?』という空気。

「お前のために皆残業してるのに、どうしてそんなことができるんだ?」

 見れば、先輩は泣いていた。

 それはそうだろう。

 入社してからずっと直属で丁寧に指導してきた後輩が、自身のミスのせいで皆が残業している中、謎のステップとシャウトをかましてしまったのだ。

 泣く以外の選択肢があろうか。

 いやない。

「先輩、違うんです。そういうわけじゃ、ていうか、その、こんなことをしたかったわけでは……」

「じゃあ、なんでしたんだよ」

 先輩の涙がぽたりと地面へと落ちる。

 周囲の人たちも、固唾を飲んでこちらの状況を見守っている。

 そんな地獄のような状況に、俺の涙腺は稼働を始める。

 けれど、やっぱり泣いてはいけない。

 泣いてしまっては説明ができない。

 意味は分からないけど、それでも説明をしないと。

 先輩は言っていた。

『いいか。自分では理解できなかったりすることでも、誰かは理解できるかもしれない。解決できるかもしれない。この部署の人間、全員で一つだ。困難に直面した時は、遠慮なく頼れ。いや、頼ってくれ』

 けれど、いざ先輩に話そうとした俺を嘲笑うかのように。

「涙腺ぎゅーん!」

 と、体と喉は弾ける。

「帰れ」

「いやでも……」

「帰ってくれ!」

 先輩のあまりにも一つな目を前に、俺は荷物を持って会社を後にするしかなかった。

 翌日、俺は初めて会社をずる休みした。

 そして、そのまま休み続け、一か月後、退職を願い出た。

 会社を辞めるまでの一か月の間、もしかしたら俺のように体が勝手に動いてしまう的な病気が流行っているのかもしれない、と思い情報収集をしたがそんなことは一切なかった。

 世界は、俺だけを残して正常に回っていた。

 ちなみに、一過性のものかもしれない、という希望は捨てた。

 家に引きこもって一週間後。

 心配をした先輩が訪ねてきてくれたが、その時も思わず涙を堪えてしまい、涙腺ぎゅーんとなってしまった。

 先輩は『それがお前の答えなんだな』と寂しさを声に滲ませつつ、帰って行ってしまった。

 泣けば、よかったのかもしれない。

 けれど、二年もの間、涙腺ぎゅーんで人前での涙を堪えてきた自分には、もう泣くという行為が難しくなっていた。

 涙を人前で流さないことは強さじゃなかった。

 本当の意味での強さは、自身の弱さも含めて人と接することができることなんだと、ようやく理解することができた。

「今さら気づいても、遅いよな」

 俺はただ、一人で枕を濡らすことしかできなかった。

 そして、引きこもること一年。

 俺は誰とも交流することなく、孤独を貫いた。

 怖かったからだ。

 また誰かと触れ合い涙を我慢して、涙腺ぎゅーんになってしまったら……。

 そう考えるだけで、背筋が凍った。

 生活費はなんとかなった。

 もともと副業でやっていた投資が軌道に乗り、むしろ、会社員時代よりも収入は増えた。

 でも、心は満たされなかった。

 あの時流すことができなかった涙を探して、感動すると言われる映画を見て泣いたり、野生動物のドキュメンタリーを見て泣いたり、自分で自分をビンタした痛みで泣いたりと、とにかく涙を流し続けた。

 けれど、どの涙も、あの日のそれではなかった。

 ああ、このままあの涙を見つけられないまま、俺は死ぬのかもしれない。

 そう考えるようにまでなってしまった。

 そんなある日のこと。

「「「「「「「「「「涙腺ぎゅーん!」」」」」」」」」」

 突如として、部屋の外からステップ音と、シャウトが聞こえてきた。

 驚いて窓を開けると、そこには数年前に辞めた会社の同僚たちがいた。

「え、どうして、なんで?」

 俺は戸惑う。

 久しぶりに見た同僚は、幾分か歳を重ねた分雰囲気が変わっていたけれど、それでも一緒に働いていた時と同じ優しさをその瞳に携えていた。

 そして、その中心に先輩がいた。

「久しぶりだな。時間がかかって済まない」

「どういうこと涙腺ぎゅーん!」

 皆と再会できた感動で緩んだ涙腺。

 けれど、俺はまた我慢をしてしまった。

 俺はまた同じ過ちを繰り返してしまったのだ。

 あまりの情けなさに、俺は膝から崩れ落ちる。

 しかし、そんな俺を前に先輩もまた小粋なステップを踏みながら叫んだのだ。

「涙腺ぎゅーん!」

 そして、周囲の同僚も同じようにステップとシャウトを披露する。

「「「「「「「「「涙腺ぎゅーん!」」」」」」」」」

 周囲に響くステップ音とシャウト。

 自然と人が集まって来る。

 しかし、それを気にする様子もなく、先輩は俺を見つめ、続ける。

「やっとわかったよ。お前が涙腺ぎゅーん! となった理由が」

「どういう……ことですか?」

 俺は締まり切る喉を無理やりにこじ開けて、言葉を返す。

「あの日、お前が涙腺ぎゅーん! と叫びながらステップを踏んだことについて皆で話し合ったんだ。どうして、真面目で仲間想いだったお前が、あんなことをしてしまったのか。もちろん、話し合っても答えは出なかった。だからこそ、俺たちはただひたすらに実行することにしたんだ。涙腺ぎゅーん! を。業務中は無理だったから、始業前と終業後に皆で涙腺ぎゅーん! を繰り返した。そして、千日以上にも及ぶ涙腺ぎゅーん! の果てでたどり着いたんだ。あの時のお前の涙腺ぎゅーん! あれは祈りだったということに」

 先輩、そして皆が俺を見て深く頷く。

 涙を流している同僚もいた。

「お前は、涙を我慢していたんだな。皆に心配をかけまいと、迷惑をかけまいと、その一心で脳内で涙腺ぎゅーん! していたんだ。その願いが、祈りが、結果として外に出てしまったんだな」

「……そうです。自分は我慢していました。必死に。泣いちゃ駄目だって! 泣いたら皆が心配するって! でも、どうしてそれがわかるですか!? わかったんですか!? 自分は何も言っていないのに! 先輩にわからないことは相談しろって言われてたのに……。自分の弱さゆえに何も伝えることなんてできなかったのに……。なのに、どうして……」

「わからない。正直、どうしてそう思ったのかなんて、ここにいる誰一人わかっていないんだ。それでも、わかったんだよ。不思議だな。理解できないのに理解できたって感覚は。でも、それが嬉しかった。理解という枠を超えて、お前と繋がれた気がして嬉しかったよ」

「自分勝手に会社を辞めた俺にどうしてそこまでしてくれるんですか? 意味わかんないですよ……」

「言ったろ? 俺たちはチームだ。お前がわからないことがあるのなら、俺たちが理解してやるって。ったく。こんなに時間のかかる宿題が出されるとは思わなかったけどよ」

 言って、先輩は涙を流しながら笑った。

 その涙と笑顔に導かれるように、俺の瞳は潤み、自然と涙が溢れていく。

 数年前で止まっていた、あの時の涙が俺の心から零れていく。

「ふふっ。お前の涙、初めて見たのに、何度も見てる気がするよ」

「あはは、なんですかそれ」

 俺は恥ずかしさの中に存在する、確かな温かさに身をゆだねる。

 心地いい。

「さあ、共に行こう」

「はい!」

 こうして、俺は先輩がリーダーとなる『涙腺ぎゅーん! ダンサーズ』に参加することとなった。

 そう、あの日から俺を想って涙腺ぎゅーん! を続けた皆のステップはプロも顔負けのそれとなっていた。

 そのステップは会社の域を超え、国という枠を超え、全ての枠を超えて、世界中の人々を虜にしていた。

 涙腺ぎゅーん!

 その絆を糧に、俺は今日も世界の舞台で舞う。

 俺を信じ、待っていてくれた仲間と共に。

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涙腺ぎゅーん! りつりん @shibarakufutsuka

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