ソラナ・リースの手記

Is

from SR467 to SR517

 星還暦467年 Noctis 24

 今日、お父さんからこの手帳をもらった。




 星環暦517年 Noctis 24

 十歳の私が初めてこの紙を汚したとき、私は「生きた日を残す」という行為の意味を、子どもなりに直感していたのかもしれない。


 もっとも、それは理解というより、父の言葉に従った模倣にすぎなかっただろう。


「書けば、おまえは二度生きる」


 その一句は私にとって哲学ではなく呪文だった。言葉の重みを測ることはできなかったが、その響きが未来を開く合図のように聞こえ、私は小さな手で鉛筆を握った。書くという行為は、大人の世界への通路のように思われたのである。


 鉛筆の先が白い頁に触れた瞬間、世界は私の外側に新しい層を持った。そこには「出来事」ではなく、「出来事の痕跡」が刻まれた。私は自分の生活の断片を描写することで、自分が確かに「存在した」ことを確かめたかったのだろう。だが今振り返れば、その時点ですでに「生」と「記録」とは区別されていた。私は生をそのまま残したのではない。生を翻訳し、輪郭を与え、選び取られた部分だけを頁に移したのだ。


 子どもにとって「書く」ことは遊びであると同時に実験である。言葉は思考の容れ物であると同時に、思考を作り上げる装置でもある。十歳の私にとって、それは無意識のうちに「自己」を観察する第一歩だった。記録は、単なる模倣から始まりながら、やがて自己を対象化する視線を育てたのだ。


 その後、私は書き続けた。記録の内容は稚拙であり、体系性などなかった。日常の些事、子どもらしい夢想、家族との小競り合い――それらは統一性を欠いた断片であったが、まさにその断片性のうちに人間存在の原型が宿っていた。私の手記は、すでに「連続する人生の全体像」を描くものではなく、「不連続な出来事の痕跡」を積み重ねるものとなっていたのである。


 この最初の頁が、私を臨床の道へと導いたことは疑いない。人間を理解するとは、連続的な全体像を組み上げることではなく、断片から像を構築する試みにほかならない。十歳の私の稚拙な文字列は、やがて六十歳の私が患者の語りを聴き取り、沈黙の隙間から人間を理解しようとする態度へと結びついた。


 こうして、父の言葉を真似て始めた幼い習慣は、半世紀を経て「記録の哲学」へと転化する。そして今、この最後の頁を閉じようとする私は、あらためてあの日の鉛筆の震えを思い起こしている。


 私は臨床の場において、数えきれないほどの人々と対峙してきた。


 私の仕事を端的に言えば、「聴く」ことである。だが「聴く」とは受動的な行為ではない。患者の言葉を記録し、そこに欠落したもの、歪められたもの、沈黙によって隠されたものを読み取ろうとする営みである。


 子どもの頃に書き残した手記は、思えばその練習だった。十歳の私は「自分自身」を素材とし、未熟な観察者として、断片を文字へと置き換えていた。今の私は「他者の精神」を対象とし、同じく断片を言語化する作業を続けている。つまり、私の人生は一貫して「断片を記録する試み」として繰り返されてきたのだ。


 臨床の記録は、患者の語りをそのまま写し取ることから始まる。だが、ここで早くも一つの哲学的問題が立ち上がる。「語られた言葉」と「経験された現実」とは、必ずしも一致しない。語りは構築であり、記憶は編集され、沈黙は多くの意味を含む。したがって、私が記録するものは「経験そのもの」ではなく「語りの形をとった経験」であり、さらに言えば「私という観察者を経由した経験」である。


 この三重の屈折は、記録を単なる事実の写しにとどめない。むしろ、そこには必然的な歪みが生じる。しかし、その歪みこそが人間の真実に迫る契機となる。歪みを分析することで、私は患者の無意識的な葛藤や自己理解の限界を読み解くことができるからだ。


 子どもの頃に書いた日記も同じ構造を持っていた。私は出来事をそのままではなく、当時の自分に都合のよい形で再構築していた。家族への怒りを誇張したり、劣等感を無視したり、あるいは逆に悲壮感を芝居がかった調子で書き立てたりした。今から見ればそれらは稚拙な修辞だが、そこに「自己像を守ろうとする働き」が透けて見える。


 このように、記録とはつねに「正確さ」と「歪み」のせめぎ合いである。そして臨床において、私はその歪みをこそ注視する。


 私の臨床室には、厚いカルテが積み上がっている。その紙束は、単なる医学的データの集合ではない。そこには、数えきれないほどの「断片化された人生」が刻まれている。ある者は父親からの暴力を言葉にし、ある者は声にならない不安を沈黙の行間に漂わせる。私はそれを逐一書き留める。


 記録は二つの機能を持つ。ひとつは、診断や治療のための情報整理。もうひとつは、患者自身が「自分の語りが形をもつ」ことを通じて、自分を見直す契機を得るという点だ。私はしばしば、患者に自分の語った内容を読み返させる。すると彼らは驚いたように、自らの言葉が自分を裏切っていることに気づく。そこで初めて、自己像の修正が始まる。


 このプロセスは、私が十歳の頃に経験した感覚と同じだ。書き残すことは「存在を外在化する」ことであり、それによって初めて人は自分を対象化できる。人は生きている限り、自己の中に沈潜しており、その全体像を把握することはできない。記録は自己を外側に押し出す装置であり、それによって人は自分を「観察する者」と「観察される者」に分裂させる。臨床の核心もまた、この二重性の操作にある。


 しかし、記録には限界がある。書き残された言葉は、必ずや何かを取りこぼす。人間の体験のすべては言語化できない。ある悲しみは涙となって流れ落ち、言葉になる前に失われる。ある憎しみは身体の緊張として残り、文章には刻まれない。


 私は幾度もカルテを読み返して思った。ここに記された文字列は、確かに患者の歩みを示している。しかし、そこには患者の沈黙や呼吸の乱れや目の動きは残らない。むしろ、その欠落こそが患者の真実を物語る。


 臨床の記録は、常に「不完全な地図」である。だがその不完全さを自覚することが、精神科医としての成熟である。完全に描けないからこそ、私は記録を続ける。欠落を含むものとしての記録を認め、その欠落から逆に患者の実相を読み取るのだ。


 こうして私は、今に至るまで絶えず「記録」を中心に生きてきた。日記は私の自己を対象化する練習であり、カルテは他者を対象化する営みだった。だが結局のところ、両者は同じ根を持っていた。


 私の生涯とは、「人間を記録する」試みそのものだったと言えるかもしれない。ただし、記録とは冷たい写しではなく、生きた存在との対話である。私が書き残した文字のひとつひとつは、十歳の私と、六十歳の私と、そして臨床室で出会った無数の患者とを繋ぐ線である。


 私は今、この線がどこへ向かうのかを思う。やがて私がいなくなっても、これらの記録は残るだろう。しかしそれを読む誰かがいるのか、どのように受け取るのかは分からない。記録は未来に開かれてはいるが、その未来は私の手を離れている。


 こうして私は悟る。記録とは自己理解の道具であると同時に、自己を超えた時間へ橋をかける装置でもある。だが、記録が橋を渡した先に誰がいるのかは、私には見えない。


 この不確かさこそが、人間存在そのものの姿なのだろう。


 五十年にわたり記してきた手記を閉じようとしている今、私はあらためて問いに向き合わざるを得ない。


 ――記録は、私を残すのか。それとも、私の影を残すのか。


 私は精神科医として、幾度となくこの問いを患者に突きつけられてきた。自らの体験を語る者は「私」を残しているのではない。彼らは「語られた私」を生成し、私はそれを記録する。だが「語られた私」と「語る私」と「沈黙する私」は一致しない。


 同じことが私自身にも当てはまる。


 この五十年の手記は、私の「語られた私」である。しかし、それが「生きた私」と同じではない。読む者はそこに「私」を見出すだろうか。いや、正確には「私に似た影」を構築するだけだろう。


 私が死んだ後、この手記を読む者がいるとしよう。彼は文字を追いながら、そこに「人物像」を組み立てる。だがその像は、私の実在ではなく、読者自身の心によって投影された構築物である。


 私は臨床で繰り返し学んだ。患者が語る自分像は、他者に受け取られるときに必ず変形する。同様に、私の書いた記録も、読む者の世界観によって解釈され、再編され、私ではない「誰か」として立ち上がる。


 つまり記録とは、死後においては「他者が編み直す素材」にすぎない。私が生きたという事実は、影としてしか残らないのだ。


 だが私は、このことを悲しみとしては受け取らない。むしろ、人間存在は本来「影としてしか残らない」ものではないか。


 患者が語った言葉も、私が書いたカルテも、そして私自身の手記も――すべては未完成の断片である。完全な再現など不可能であり、むしろ欠落こそが人間を人間たらしめる。


 私は診断の場で、いつも「完全な像を描くことはできない」と痛感してきた。にもかかわらず、私は記録をやめなかった。なぜか。それは、記録とは「欠落を抱えたまま未来へ投げかける試み」だからだ。


 影は不完全である。しかし、影は光が存在した証拠でもある。私が残す言葉が、読む者の心に映り、その人の人生と交差した瞬間、私は「影として」もう一度生きる。


 だから私は、あえてこの手記を「未完成」のまま終えることにする。未完成とは欠落を意味するが、その欠落があるからこそ、読む者の解釈が入り込む余地がある。


 もし私の言葉が誰かの心に響き、その人の中で新しい意味を生むならば、その時、私は「彼の中に宿る影」として存在を続けるだろう。それは私ではない。しかし、それでよい。


 完全に一致する「私」を残そうとすれば、それは機械的な複製にすぎなくなる。不完全であるがゆえに、私は人として残る。


 読む者よ。


 もしあなたがこの手記に「私」を探そうとするならば、それは叶わない。ここにあるのは、あなた自身が描いた「私の影」にすぎない。だが、その影の中に、ほんのわずかでも私の息づかいが宿っていると感じられるなら、私は十分である。


 人は言葉を残すことで、世界に自らの影を投げかける。その影が他者に届き、共鳴を生むとき、人は死後にも再び生きる。


 十歳の私が初めて日記を書いたとき、私は「二度生きる」という父の言葉をただ真似た。私はようやく理解する。人は言葉によって「影」となり、その影が誰かに映るとき、人は二度生きるのだ。


 私は影として残る。だがそのことを恐れはしない。光があったからこそ影が生まれるのだから。


 ――これをもって、五十年の手記を終える。




 追記

 星還暦521年 Caelora 17

 手記を閉じてから四年が経った。


 私は「影として残る」と結論し、そこで筆を置いた。あのときは、もう十分に語り尽くしたと信じていたのだ。しかし不思議なことに、書き終えた後の数年間、私はむしろ「読むこと」に取り憑かれた。


 積み重ねられた五十年の記録を、繰り返し、繰り返し、頁を繰った。十歳の拙い言葉に立ち止まり、四十歳の苛烈な葛藤に胸を痛め、六十歳の結びに苦笑した。まるで他人の手記を読むようでありながら、否応なく私自身でもあった。そこに私は二重に存在していた。読む者としての私と、書いた者としての私。その重なりの狭間に、老いつつある「現在の私」が漂っていた。


 私はかつて「記録は読む者の中で再編される幻影にすぎない」と書いた。だが今になって思う。幻影であるからこそ、人はそこに再び出会えるのだ。私は自分の手記を読み返すことで、かつての自分に出会い直した。しかもその出会いは、一度きりではなく、読むたびに姿を変える。幻影は揺らぐ。だがその揺らぎこそ、私を生かし続けた。


 四年の間、私は臨床の第一線から退き、静かな生活を送った。患者の声を聴く代わりに、私は自らの声を聴いた。頁に刻まれた声は確かに不完全だったが、不完全さの中に、私はなお息づいていた。沈黙も弱さも妄想も、文字に書かれなかった部分までも、読むたびに私を呼び覚ました。


 だから今、私はこう書き添えておく。


 ――記録とは死者のためだけでなく、生きている者自身のためにもある。


 六十歳の私は「未来の読者」を想定した。だが今の私は気づく。最大の読者とは、老いてなお生き続ける自分自身であったのだ。


 私はまもなく死ぬ。もはや新しい頁を重ねることはできない。だが、この手記を読み返す限り、私は幾度も生き直すことができた。その事実だけで十分だ。


 読む者よ。あなたがこの最後の追記を目にするとき、そこに宿るのは私の影だろう。しかし、どうか覚えてほしい。影は幻ではなく、光があった証だ。私の言葉を読むとき、あなたは私と共に生き直している。


 ――これをもって、私の最終の記録とする。

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