泡を食う

留龍隆

あばばばば

 エー世の中、安物買いの銭失いなんて言葉がありますが昨今の世相は少々異なるものと存じます。

 安い! と思って買ったものが後日トンデモない値段になるなんてことはザラでして、なんならこのごろは最初から高くなることを見越して買い集めておくなんてことも多いそうですね。

 ポケモンカードだとか、ラブブですとか、ものによっては千円二千円で買ったものが数万円になることも。


 かと思えばこうした相場はジェットコースターのような乱高下をするものでして、昨日十万だったものが今日には二束三文なんてのもまたザラです。おそろしいもんですね。


 エーあくる日のこと、番頭さんに頼まれたお使いで道を歩いていた与太郎が、通行人の男たちの話を小耳に挟むところからお話ははじまりまして、


「いやぁ参っちまったよ」

「どうしたんだい」

「昨日サンマの塩焼きを食ったんだがね、こいつがどうも、いけなかった」

「なんだ、痩せててまずいのだったか」

「そうじゃなくてだな、サンマの値が、吊り上がっちまったんだ」

「食ったもんがあとから値上がりたぁ、どういう次第だ?」

「いやね、六百円出して食ったんだが、翌日にこれ(扇子をサンマ、および骨に見立てる)がこう(のどを指して、突き刺さってるジェスチュア)だ」

「ははあ、喉に。なるほど」

「お医者様のとこにいって事なきを得たがね。おかげさまで昨日のサンマは結局、三千円になっちまった」

「五倍かぁ、大損こいたな」

「財布が痛むよ」


 などと話しておりました。

 これを聞いていた与太郎、ほほうと片眉を上げました。


「ほうほう……サンマが。値段が。たった一日で、五倍に。うひひ、こりゃいいこと聞いた。さっそくあたしも買ってこよう」


 ときたものです。

 ……エー察しのよい皆様はもうお分かりかと存じますが、サンマは実際に値段が上がったわけではございません。これは小粋なもののたとえという奴でございます。


 先の男はサンマの骨が喉に刺さって、これをお医者様のところで治してもらうことにお金がかかったと。その金額をして、『たかが一尾のサンマが、治療費を要したと考えたらずいぶん高い買い物になった』と。そう言いたかったわけですな。

 当然このあたりの機微をとらえていない与太郎、ただただ「サンマはいま買っておけば翌日五倍になる!」と。そう思い込んでしまったわけでして、


「ごめんくださぁい。お魚、買いに来ましたぁ」

「へいらっしゃい。いきのいいのが入ってるよ。アジに鯖にイワシにスズキ、どれがいい?」

「あ、そういうの要らないんで。サンマ。サンマくださぁい」

「サンマかい? いいとも! ごらんよこの鋭くも身の厚い様、持てば刀のようにまっすぐピンと立つ! これぞ見事な『太刀』姿」

「ほうほう、高く売れそうな……」

「高く、なんだい?」

「いやなんでもございません。じゃあサンマ、買います」

「まいど! 何尾必要だい!」

「そりゃもうありったけを」

「ありった……ありったけかい! どうしたどうした、なにか宴会でも催すてえのかい」

「宴会ですか、いややまだその予定はないですが。でも、そのうちやるかもしれませんね、この商いがうまくいって、あたしの住む御殿でも建ったころには……ぐふふ。まさにサンマ御殿。ファー(高音)」

「気味悪い笑い方するなぁ。まあ買ってくれるなら願ったりだけどよぅ。金はあるのかい、結構な値になるぞ」

「ええもちろん。トイチで借りてまいりました」

「借金?! いやいやどうした、そんなにサンマが欲しいのかい、お前」

「いやもうそりゃもう。欲しくてほしくて仕方ないんですよ」


 などとはじめてしまいました。

 借りてまでお金をこさえてきた与太郎、もうどうにも止まらない。次々に魚屋さんへ「ごめんくださぁい」と訪れてはサンマを買い占め、サンマを買い占め。

 あげくに町中からサンマがほとんどなくなってしまいました。


 こうなるとみんなのなかでも「なんだこれは」「サンマが買い占められてるぞ」「そんなにサンマに需要があるのか?」という声があがり、みんなのなかでもサンマが一大ブームとなります。


 エー歴史というのは繰り返すものでして。

 世界史にはチューリップ・バブルというものがございます。

 これはさるむかし1637年ごろ、当時のオスマン帝国からネーデルラントなどヨーロッパに持ち込まれたチューリップがぜいたく品として珍重されたのです。

 このときチューリップの需要は青天井にアガリにアガリ、ピーク時には家一軒の値段で球根ひとつが取引されたとか。


 需要が需要を生むインフレのスパイラル。まさにこのとき、与太郎によってこの町に引き起こされたのも、サンマ・バブルでございます。


 どこにいってもサンマが売り切れであることに「サンマの需要が高まっているのでは?」とみんなが思い込み、みんなのなかでその価値がうなぎのぼりになってしまったのです。サンマなのに。


「おい旦那、サンマくれ。サンマだよっ。もうない? どこかに隠し持ってんじゃないのか!」

「サンマー、サンマー、サンマ苦いかしょっぱいか。あすこの店にはまだあるそうだよ」

「どいとくれ! このサンマはあたしのもんだ!誰にもあげやしないよ!」

「あっちにサンマがいるって聞いたぞ! ああ間違いない、前歯が出てておしゃべりが止まらないそうだ!」


 大パニックでございます。

 そんな事態を引き起こしたとは知らない与太郎、のんきな顔で山積みになったサンマを眺めております。


「ひのふのみの……いやもう数えられないなぁ。元手はずいぶんかかっちゃったけど、これがぜんぶ明日には五倍で売れる、ぐふふ」

「与太。おまえお使いは済んだのかい」

「アッ番頭さん。いやその、お使いはできてないんですが」

「だめじゃないか。さっさと卵を買いにいってきておくれ、今日はお客人のために、雑炊をつくるんだよ」

「雑炊……ふはっ」

「なに笑ってんだい」

「いやその。お客人のお食事なのに……明日からのあたしの食事に比べたら……ずいぶん貧相だなと」

「なに失礼なこと言ってんだい。だいたい、お前も私もいつも同じおまんまを食ってるってのに」

「いえ明日からあたしはね、三食、回らない寿司ですよ! うにもいくらも腹がはちきれるまで食べちゃうんです。ぐふふ。番頭さんにも少し分けてあげますよ」

「あいにくそんなものうちの夕飯に出す予定はないんだがね。とにかく、お客人が雑炊をお待ちなんだ。早いとこ卵買ってきな」

「はぁい。これが最後のご奉公になりますからね、へへっ」

「気味悪い子だねなんだか」

「にしても番頭さん、お客人なのにどうして雑炊なんです? もっとおもてなしで、コース料理とか出せばいいのに」

「お客人の希望なんだよ。なんでも、昨日食ったサンマの小骨が喉に刺さって、お医者様に抜いてもらったばかりだそうだ」

「……ははあ?」

「それでまだ喉が痛むから、固いものは食べたくないと。やわらかく呑み込みやすい、雑炊をご所望なのさ。いやはや災難な御方だ、たかだか六百円のサンマを食ったばっかりに、治療費で二千四百円。言い換えると、昨日のサンマは三千円になっちまったってことだと笑っていらっしゃった」

「ははあ……はあ?!」

「ああびっくりした。なんだい急に大声出して」

「いやっ、……サンマ、六百円、それで、お医者様で、にせんよんひゃくえん、合わせて、三千、あばばばば」


 先の男たちが偶然与太郎の家のお客人だったことで、番頭さんのお話からすべてを察した与太郎でございます。

 あわてて番頭さんにことの次第を伝えると、かんかんに怒りながらも一緒に謝りにいってくれることとなりました。


 町のサンマ・バブルはなんとか終焉を迎え、与太郎、家に戻った番頭さんから最後のお叱りを受けまして。


「まったく。お前というやつはまた厄介事を引き起こして」

「誠に相済みません、こんなことになるとは思わず……」

「いいかね、今後は人の話はくわしく、ちゃぁんと、注意深ぁく聞くもんだぞ」

「いやもう本当に申し訳ありません、こいつはあたしの、注意サンマんでした……」


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泡を食う 留龍隆 @tatsudatemakoto

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