第12話

『有名医大生、謎の転落死。背景に金銭トラブルか』


翌日。

ネットニュースのトップに、その見出しが躍った。


すぐに、週刊誌が後を追った。

『エリート医大生を破滅させた「パパ活女子」の悪魔の素顔』

蒼の父親が、泣きながら「息子は悪質な女に騙されていた」と証言する記事。


そこから先は、地獄だった。


蒼のSNSの、ごく僅かな繋がりから、ネット民は瞬く間に私のインスタアカウントを特定した。


『こいつが犯人だ』


たった一人の書き込みが、燎原の火のように広がっていく。


私の本名。

年齢。

通っている専門学校。

昔の写真。


全ての個人情報が、ネットの海に晒された。


インスタのDMは、呪いの言葉で埋め尽くされた。

『人殺し』

『お前が代わりに死ねばよかったのに』

『地獄に落ちろ』


学校には、抗議の電話が殺到した。

アパートの前には、カメラを持った記者たちが張り付いている。


私は、たった一日で、「悲劇のヒロイン」から「日本中が憎む悪女」になった。


部屋から、一歩も出られない。

カーテンを閉め切った暗い部屋で、ただ、スマホの画面を眺める。

スクロールするたびに、新しい悪意が、私に降り注ぐ。


『#君の値段』

『#人殺し』


誰かが作ったハッシュタグ。

そのタグを辿ると、私の笑顔の写真が、無数に出てきた。

蒼と出会う前の、あの、死んだ目で笑う私の写真が。


もう、どうでもよかった。

殺したいなら、殺せばいい。


私は、再び、カミソリを手に取った。

今度こそ、誰も、邪魔はしない。


さようなら、蒼くん。

今から、そっちに行くね。


刃を首に滑らせようとした、その時。


ピンポーン、と。

間の抜けたチャイムの音が、響いた。


無視。

どうせ、マスコミか、警察だ。


しかし、チャイムは鳴り止まない。

それどころか、ドアをドンドンと叩く音まで聞こえ始めた。


うるさい。

静かに、死なせてよ。


そう思った時、郵便受けから、一人の男の声が聞こえた。

「莉愛さん! 蒼さんの弁護士の者です! 開けてください!」


弁護士?

蒼くんの?


私は、吸い寄せられるように、ドアに向かった。

震える手で、チェーンを外し、鍵を開ける。


そこに立っていたのは、スーツを着た、初老の男性だった。


「……莉愛さん、ですね。蒼さんから、これを、あなたに渡すようにと」

彼は、一通の封筒を私に差し出した。


受け取って、中を見る。

それは、蒼の字で書かれた、手紙だった。

正式な、遺言書、だった。


『莉愛へ


これを君が読んでいる時、僕はもうこの世界にいないでしょう。

ごめんなさい。

君を一人にして、本当にごめんなさい。


でも、これだけは、信じてほしい。

僕の死は、決して君のせいじゃない。


僕は、弱かった。

親の期待からも、決められた人生からも、逃げることができなかった。

君と出会って、初めて、自分の足で生きている気がした。

でも、君を守るために戦う勇気も、僕にはなかった。


君が、僕のために嘘をついてくれたこと、わかっていたよ。

電話の向こうで、泣いているのも、わかっていた。

本当に、バカで、優しい君が、僕は大好きでした。


だから、お願いです。

どうか、僕のせいで、自分を責めないでください。

僕のせいで、人生を投げ出さないでください。


どうか君は、君の力で生きて、本当の笑顔を見つけてほしい。

君の笑った顔が、本当に、本当に、好きだから。


僕が遺す全てを、君に。

これで、少しでも君の人生の助けになれば、嬉しいです。


愛しています。


蒼より』


手紙が、涙で滲んで、読めなくなる。

ボロボロと、大粒の涙が、遺言書の上に落ちた。


人殺しなんかじゃない。

私は、蒼くんに、愛されてたんだ。


最後の最後まで、彼は、私のことを守ろうとしてくれていたんだ。


「……う……あぁぁぁ……っ」


私は、その場に崩れ落ち、声を上げて泣いた。

それは、絶望の涙ではなかった。

彼の愛に、彼の優しさに、ただただ、感謝する涙だった。


---


数日後。

私は、アパートを出た。


SNSのアカウントは、全て消した。

ネットは見ない。テレビも見ない。


蒼が遺してくれたお金で、故郷の母親に、黙って大金を仕送りした。

そして私は、誰も私を知らない街で、小さな部屋を借りた。


日中は、コンビニでアルバイトをする。

夜は、資格の勉強をする。


まだ、時々、ネットの悪意がフラッシュバックする。

蒼の最期の姿を思い出して、眠れない夜もある。

手首の傷が、疼く日もある。


でも、私は、もう死なない。


空を見上げる。

あの日と同じ、どこまでも広がる、青い空。


「見てて、蒼くん」


私は、空に向かって、そっと呟く。


「今度は、偽物じゃない私で、生きていくから」


私の頬を、温かい涙が、一筋だけ伝っていった。

それは、私がこの世界で生きていくと誓った、最初の一歩だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

#君の値段 @tachibanadaiji

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ