第九節:見えない敵

 「どうだ、何か感じるか?」


 「ずっと感じてるニャ。でも何がどこにいるのかわからない……」


 エリスは、辺りを見回しながら応えた。


 甲板に飛び出してきた四人は、少し距離をとって身構えている。

 

 「ミラ、なるべく私たちの後ろにいて」


 「アーヤ様……」


 蒸気船は淡い陽光を浴びながら、その巨体を力強く動かす。


 空には薄く白い雲が広がり、ひんやりとした風が肌をかすめる。   

 

 だが、その美しい光景とは裏腹に、四人の胸には重苦しい気配が漂っていた。


 ——ザワリ。


 空気の一部が歪むような、耳の奥をくすぐるようなざらつきが、四人の感覚をじわじわと侵していく。


 「くる!」


 グレイはいち早く何かを感じている。


 エリスの青い左目が、鋭く微かな揺らぎを捉えようと、じっと空間を見つめている。


 「みんな、注意しろ。何かが近づいているぞ!」


 そのとき、船の左側に大きな水柱が立ったが、その先には何も見えない。


 (ビュン!!)


 一瞬何かが回転しながら風を裂くような音がグレイの左耳のすぐ後ろをかすめた。


 「くっ……!」


 グレイが咄嗟に剣を抜き、構えを取ろうとしたが、すでに左肩の服が裂け、血が飛び散る。


 「副長っ!」


 アーヤは布袋を抱き締め、必死に防御の姿勢をとりながら叫んだ。


 「大丈夫、かすり傷だ。くそっ、どこにいやがる!」


 「ミラ、下がって!」


 グレイとアーヤは、お互いの位置を確認しながら、次の攻撃に備えた。


 「姿が見えない……どうすればいい?」


 エリスは考えた。


 アーヤは防御の呪文を唱える。


 「アキラレヨ、聖なる光よ!我を護る盾となれ!」


 アーヤが天に向かって両手を広げると、ピンク色の光が半ドーム型になって広がる。自分と荷物、ミラを守るため結界を展開した。


 「白毛!索敵はどうなってる!」


 「なんにも見えないんだ!」


 エリスの左目がわずかに反応した。


 「グレイ!くるぞ!」


 そのとき突然、船体の甲板を鋭い衝撃が襲い、木板が軋む音が響く。


 「うあぁぁぁぁぁーーーー!」


 エリスは傾いた甲板をゴロゴロと転がって、その先にある船室の入り口に激突した。


 「うっ、痛ってーーー!」


 後ろアタマを強く打ったエリスは、ダメージを気にしながらも、よろよろと立ち上がる。

 

 「大丈夫か!白毛!」


 グレイは息を整えながら、敵の正体を探ろうと目を凝らすが、空間は揺らぎ、掴みどころのない存在が彼らを翻弄していた。


 「またくるぞ!」


 グレイはわずかに血が滴る左肩を気にしながら叫んだ。


 船の右前方から水しぶきが舞い、得体の知れないものがさらに強襲してくる。


 「うっ!何かが……!」


 エリスは足元に違和感を感じた。そして右足のスネのあたりが切り裂けてることに気がついた。

 美しい白毛が赤く染まっていく。


 「いっ、痛っ!何だこれ!……こいつ!ヤバいニャ!」


 見えない敵はエリスを切りつけたあと、また海に潜っていった。


 「白毛、こっちにこれるか!このまんまじゃ埒が明かない。なんとか立て直すんだ。」


 「わかった!やってみるニャ!」

 

 エリスは物陰から物陰に素早く身を隠しながら、少しずつグレイに近づく。


 グレイも低い体勢を維持しながら、すり足でエリスのほうに寄っていく。


 エリスとグレイはお互いの身を庇い合うように、背中合わせに敵の攻撃に備える。


 「どうするニャ?」

 

 「俺に考えがある……お前、少し先が見えるんだろ?」


 「ぁ、あぁ。ほんの少しだけどな」


 見えない敵の攻撃をけん制しつつ、二人は続けた。


 「便利なやつだ。見えないものでもその力は使えるのか?」


 「さっきやってみたが、左目でなんとなくわかる」


 「場所さえわかれば、もしかしたら物理的な攻撃も通じるかもしれない」


 「わかった、俺が相手の場所を指示する。その先に剣をふるってみてくれ」


 「よし。わかった」


 エリスは素早い身のこなしで、ぴょんぴょんと飛び移りながら、甲板の上階へと移動した。そして、甲板全体が見渡せる場所に立ち、呼吸を整えてから左目に力を集中した。


 「こい!」


 視界の端で、空気がわずかに濃くなる。輪郭はあるようで、ない。


 「6時の方向!低い位置!」

 

 エリスが叫んだ瞬間、グレイの後ろに水柱が立った。


 その声に即座に反応するように、グレイが剣を振るうが、剣先は甲板の木を削っただけだった。


 「風下……そこか!」


 エリスは動物的な嗅覚もするどい。


 しかし、次の瞬間には甲板の反対側、風上から衝撃が襲う。


 「読まれたか……」

 

 敵が動きを変えたのだ。


 少しの間、静けさが訪れる。

 

 集中するあまり、波の音さえ遠くに感じる。


 「……来るぞ!」


 グレイの低い声がこだまする。


 (ドンッッ——!)


 船体がまた大きく傾き、木板が悲鳴を上げるように軋んだ。


 エリスの左目が熱を帯び敵の動きを察知する。


 「上だ!」


 光が屈折するような輪郭のない物体が、グレイに飛びかかったそのとき、グレイは大きく叫び、その剣をふるった。


 「おらぁぁぁぁぁーーーーー!」


 グレイは半分やけくそ気味で一撃を放ち、それが彼の頭上で何か硬いものをかすめた感触が走った——。


 「グァァッ!」


 「……あ、当たった!……」


 見えない物体はたまらず声をあげる。


 「やった!やったぞ!」


 エリスは驚いた顔で叫んだ。


 グレイの剣は、見えない敵のどこかをかすめ、確実にダメージを負わせた。


 次の瞬間、冷静さを失ったのか続けざまに、グレイの右側から微かな音を立てて襲いかかる。


 グレイは機を見極めた。


 「ハアァァァァァァァーーーーー!」


 グレイは静かに目をつぶって全身に力を込めると、銀色の闘気がグレイを覆った。


 「ここだーーーぁ!」


 (バシュッッ!)


 グレイは、鍛錬によって身につけた剣士としての勘と身のこなしによって、ギリギリを見極めて攻撃をかわし、振り返りざまに振り抜いた剣が確実に敵を捕らえた。


 「グァァァァァーー!」


 見えない敵は、たまらず叫ぶ。


 そして、その傷によって場所の特定が容易になっていた。


 グレイの剣が敵に深く切り込んだ瞬間、傷口から濃く鮮やかな赤い血がほとばしり、その血がまるで黒い霧のように甲板の上に広がり、空間を揺らがせる。


 血を帯びた輪郭のなかった敵は、姿が徐々に形を取り、朧げながらもはっきりと浮かび上がってきた。


 「ちょろちょろしやがって!位置がわかればこっちのものだ!」


 グレイはこれまでの鬱憤を晴らすかのように叫び、自信に満ち溢れていた。


 「イ……カ……?」

 

 ミラがその姿を見て呟いた。

 

 「この、化け物め!」

 

 風に混じって、船の機械音と波の音が響く。見えない敵は見える敵となって再び四人に襲いかかるのだった。


 「見える……見えるぞ……奴の姿が見えてきた!」


 「あのイカみたいなの、生き物なの?」


 エリスの声に続き、アーヤも思わず息を呑んだ。

 これまで見たことのない怪物に、四人は戸惑うヒマさえなかった。


 「グ…グァァ…」


 グレイとの戦闘を不利に感じ始めたのか、敵はくるりと踵を返し、アーヤに向かって進みだした。


 「くっ……ヤバい!」


 グレイが叫ぶが、敵の黒い影はお構い無しにアーヤに襲いかかる。


 「グァァァァァ!!」


 「くっ!……持ちこたえて!」


 アーヤは必死に結界魔法を展開し、自分自身が抱える布袋とミラを守っている。


 「アーヤ様!」


 「大丈夫!まだイケるわ!」

 

 結界は敵が放った攻撃をはじき返そうとするが、その圧力は強大だった。


 「くっ!まだまだぁ!」

 

 アーヤは力を振り絞る。


 「ミラ!気をつけるんだ!左から敵の腕が伸びてくる!」


 エリスは右目を細め、未来を予知するように敵の動きを察知する。

 そして左目で周囲のわずかな変化を鋭く見極め、ミラに指示を送った。


 「わかった!アーヤ様、結界が破られるのと同時にわたしが攻撃を仕掛けます!」


 ミラは護身用の短剣を握りしめ、敵の攻撃に備える。

 度重なる攻撃にアーヤの結界はやぶられる寸前だ。


 「あぁぁぁぁーーーーっ!」


 左からきた敵の攻撃で、アーヤの叫び声とともに結界がやぶられた。


 「右斜め上!」


 エリスが叫ぶ。

 

 その声に反応するかのように、ミラは握っていた短剣を敵の腹部に深く突き刺した。


 「グッ、グァァァァァー!!」


 「ナイスだ!ミラ!」


 ミラの短剣は敵の腹部に深く食い込み、鮮血が迸ほとばしる


 グレイも微かな笑みを浮かべ、狙いを定め剣を再び構える。


 だが敵の攻撃はしつこく、再びアーヤに向かって突っ込んでくる。


 エリスは俊敏な動きでジグザグに飛びながら、アーヤたちの前まで移動する。そして全身に力を込め、仲間の身を守る盾となるべく叫んだ。


 「アーヤッ!後ろに下がれ!ミラは俺の隣に!」


 緊迫した間合いの中、グレイは仲間との距離を確認しオーラを高める。

 神殿の騎士としての力が宿った聖剣は、太陽の光を浴びて煌々と輝く。

 

 「これで終わらせる!……おらぁぁぁぁぁーーーーーー!」


 グレイの叫びとともに鋭い一閃が敵の肩から胸のあたりを切り裂き、傷口から赤い血液が炸裂した。


 「グォォォォォォォーーーーー!」


 敵は呻き声を上げながら甲板の上でのたうちまわる。


 「グォッ!グォォォォォォーーーーー!」


 敵は苦しみ、不気味な低い声で叫ぶ。


 「オワリデハナイ……マダオワリデハナイゾォォォォォォーーー!」


 (ーーーシュウゥゥゥーーー)


 まるで空間が裂けるかのように敵の姿は薄れていき、やがて濃霧の中に溶け込むように散り散りになって消え去った。


 甲板に静寂が戻った。


 蒸気船が海上を進む音だけが聞こえる。

 

 四人は肩で深く息をしながら、戦いの余韻に動けないでいる。


 「恐ろしい敵だった……」


 グレイが聖剣を下ろし、甲板に片膝をついた。


 「まだ終わりじゃないだと……お前たちこそ覚悟しておけ……」


 蒸気船は波を切り裂きながら、何事もなかったかのように進んでいく。

 

 その甲板にいる四人の瞳には、先ほどまでの戦いの残響と、まだ見ぬ地で待つ運命への覚悟が映っていた。

 

 進む先にみえる大きな黒い雲は、次なる試練の幕開けを告げる合図のようでもあった。

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アルディナの魔力 第一章 紅月の封印 Z.P.ILY @Z_P_ILY

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