第八節:船上の未来視
船上は、潮の香りと湿った木の匂いが入り混じり、機械音と合わさってどこか不穏な気配が漂っている。
「世話になるニャ」
「お前の頼みなら仕方がない。ちょっと危ない橋だけど、なんとかなるだろうよ」
「無理言ってすまないニャ」
「こいつらは誰なんだ?」
「あぁ、なんだか聖地に行きたいんだと」
「聖地かぁ。あそこはもう何もないぞ」
「オレも詳しくはしらないけど、封印がどうとかって言ってたニャ」
「封印?」
「とりあえず迷惑はかけないニャ」
エリスは船長と会話したあと、三人の待つ甲板へ向かった。
アーヤたち三人は、蒸気船からじわじわと離れる桟橋を見ながら、封印の綻びによる不安を隠せずにいた。
「この先に……あの夢の答えが待っている……」
アーヤは時折、あの夢の……碧い目の男を思い浮かべる。
港から半刻ほど離れたあたりで、四人はゆっくりと動く船の甲板から船室に向かった。
貨物船の中に、申し訳ない程度に作られた船室は、やはり狭かった。
「狭いわね」
「仕方ないさ。ママベントまでだ、我慢しよう」
「とりあえず、荷物を置いて……っと」
「オレはどこでも寝れるニャ。なんなら甲板でもいいニャ」
「やっぱりネコだわ。木の上でも寝そう……」
「なんか言ったか?……ニャ?」
ミラは小声でエリスのネコぶりを囁いて、狭い部屋の隅に荷物を置いた。
潮の香りと混じった油の匂いが鼻を突く。鋼鉄の床が揺れ、足元が不安定だった。
「おっとっと。ちょっと揺れがひどいニャ」
「天候が回復するまでは揺れるだろうな」
「ちょっと気持ち悪くなりそう」
「直になれるわよ」
雨が降る航海は、バランスには自信があるエリスでさえ、揺れを強く感じるほど波が高く、船に乗り慣れない三人には堪えるものがあった。
「ここが船内の拠点になるかニャ?」
エリスが鋭い目で辺りを見回す。
「ここなら人の目も届きにくいが、行動範囲が限られるな」
グレイがエリスの意見に同調するように答える。
アーヤは布袋を慎重に下ろし、周囲を警戒しながら荷解きを始めた。
「見張りはどうする?」
グレイが提案する。
「私が見張る。雨の音に紛れて動けるわ」
ミラが即答した。
「ダメだ!お前はまだ寝てろ!体調を整えるんだ。」
グレイは親が子を思うような強い口調でミラを遮った。
「私だって、いつまでもお荷物じゃいられない。何か役に立ちたいんです……」
ミラは涙ながらにグレイにお言葉を押し付けた。
「聞かないか……わかった。……そのかわり、ムリはするな。何かあったらすぐに知らせるんだ」
「はい!ありがとうございます」
グレイはミラの気持ちに応えることにした。
アーヤは二人を見ながら、小さく笑みを投げかけた。
エリスはニャアと短く呟き、尾をゆっくりと揺らした。
「それじゃ、オレは索敵に動くニャ。情報も集めてくるニャ。何かあればすぐ知らせるニャ」
四人はそれぞれの役割を確認し、緊張感を保ちながら拠点を固めた。
だが、不穏な気配がじわりと迫りつつああることに、四人はまだ気づいていないのだった。
「雨を抜けたな」
「晴れてきたわ」
港を出た時に降っていた雨は、白い雲が浮かぶ青空へと変わっていた。
アーヤとグレイは、これからの旅の段取りを話している。
「まず、ママベントの港についたら、食料を調達しよう」
「そうですね。このまま行くとママベントに到着するころにはちょうどなくなりそうです」
「ミラの体調も心配だ。そのあとはとりあえず近くの街で宿を探そう。このあたりにアサズーシバという小さな街がある。ここにしよう…」
「聖地にはどのくらいで入れそうですか?」
「そうだな。船でこのまま二日程度、ママベントに着いてから何もなければ丸一日ってとこかな」
「まだまだ先ですね。何も起こらないことを祈りましょう」
「あぁ、できればこんなものは使いたくない」
グレイは剣の柄をコツコツしながら応えた。
果てしなく広がる青い海原を、黒い煙を轟々と吐き出しながら進む黒い塊。
四人は狭い船内の拠点で、それぞれの思いを募らせていた。
アーヤは布袋の荷物を確かめながら、細かな装備の点検を続ける。水筒の水が潮風で乾かす喉を潤している。
グレイが部屋の角で剣を抱えるように座り、警戒の目を鋭く光らせている姿が飛び込んできた。
エリスは蒸気船の機械音に混じる遠くの音を聞き逃さぬよう、息を殺しながら耳を澄ませている。
ミラは、甲板全体が見渡せる上の階で、ベンチに腰掛け、体調をかばいながら呼吸を整える。
(……何かみんなの役に立ちたい)
その思いだけが彼女を揺り動かしているようだった。
「異常なし!……っと」
ジッとしていることに痺れを切らせたエリスは、白い尻尾をゆったりと揺らしながら、船内をウロチョロしだす。
「ちょっと、目立ちすぎじゃない?」
ミラがその姿をとらえ、声をかけた。
「敵はどこからくるかわからないニャ」
「そんなんじゃ、すぐに狙い撃ちよ」
「わかったニャ。小うるさいニャア……」
たんたんと時が流れる海上で、四人のそれぞれの思いとは裏腹に、確実に何かが近づいていることを、まだ、誰もが気づかずにいた。
(コンコン……)
アーヤとグレイは一斉にドアのほうを注視する。
「誰かしら?」
「用心しろ」
ドアがゆっくり開いてエリスが入ってきた。
「なんだ……エリスか……驚かさないでよ」
「どうだ外は?」
「特に異常はなさそうだニャ」
「ミラは大丈夫か?」
「あいつ、結構小うるさいニャ」
アーヤとグレイがお互いに顔を見合わせる。
「はっはっはっ!」
「ぷぅっーーーー!」
二人は大笑いした。
「ミラに何か言われたのか?」
「細かいこと言ってくるニャ」
「ミラらしいわ」
話がはずんでいたその時、エリスの氷青色の左目が、わずかに淡く光を帯びた。
「ん?……何かが……」
その光はまるで、静かな湖面に小石を落としたかのような円を描き、ゆっくりと広がっていく。
「……何か見える」
「何か感じるか?」
グレイの声は低く、けれども明瞭だった。
周囲の空気が一瞬だけ、音を失ったように静まり返る。
「ミラを見てくる!」
グレイは剣を手にすっくと立ち上がり、上階のミラの状況を確認しに走った。
「何か……見えないようで見える……」
「どういうこと?見えるの?見えないの?」
アーヤが肩を竦め、布袋を大事そうに抱えながらわずかに息を詰める。
波の音も、蒸気の吐息も、どこか遠くへと遠ざかっていくようだった。
「確かに何かが……近づいている気配があるニャ」
エリスは尾を細く震わせながら、じっと視線を前方の闇に据えた。
その存在は影のように、音もなく、しかし確かに距離を詰めていた。
ゆっくりと、あたかも闇そのものが息を潜めて忍び寄るように。
「全員看板に出ろ!狭いとこは危険だ!」
グレイがミラを連れて戻ってきた。
ミラが震える声で囁く。
「何がくるの?……怖いわ……」
「ミラ、大丈夫よ!必ず守るから!」
アーヤは彼女の囁きを遮るように言い放った。
四人は一斉に甲板に向かって走った。
船の側面から海風が吹き抜け、船体が不気味な音で軋む。
何者かの気配がじわりと広がっていくのを、誰もが感じていた。
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