第4話 新しい人生へ
病院の一階は、小さなショッピングモールのようだ。
コンビニより広い売店には、雑誌や文庫本、季節の花、そして甘い匂いのする焼き菓子まで並んでいる。
長期入院の人でも退屈しないようにという配慮だろう。
この病院は、私が事故に
懐かしさに釣られながら、色とりどりのお菓子が並ぶ棚の前で、立ち止まった。
当時(といっても、今の時代)女の子たちの間で大流行していた魔法戦隊マジカルプリズム★ハーモニー。
ピンクやパステルブルーのパッケージに映る三人の少女が、きらめく光の指輪を掲げている。
変身アイテムである、虹色の光を放つプリズムリングは、女の子なら誰もが持っていた。
パッケージの右上には、「限定! プリズムリングつき♡」の文字。
――懐かしい。
私は一つも買ってもらえなくて、お友達が持っているのが羨ましくて仕方がなかった。
透明なセロファン越しに、小さな指輪がきらりと輝いている。
今さらおもちゃなんて欲しがる年ではないけれど、心がどうしようもなく惹かれてしまう。
その箱を手に取った瞬間、横から母の手がすっと伸びてくる。
「余計なものは買いません!」
冷たく言い放たれ、指先が宙に取り残された。
小袋にグミが詰め込まれた、おまけつきのお菓子……300円。
それぐらいの物さえ、許されなかった日々が蘇る。
あの指輪をはめれば、私だって魔法少女になれる気がしていた。
誰もが憧れる、可愛くて強い正義の味方になる夢さえ、奪われていた。
母は奥の大型冷蔵庫へと向かい、手早く紙パックのジュースを取り、レジへと歩き出す。
母を追う視線の先に、一人の少年が映り込んだ。
ふと目が合う。何かに共鳴し合うような視線に、私は吸い込まれた。
ロゴ入りの白いTシャツに、グレーのスウェット生地のハーフパンツは折り目の筋が着いていて、おろし立てだという事がひと目でわかった。
私より少し背が高い。
色白なのに程よくついた筋肉が、彼を貧弱には見せていない。
短く刈り込まれた襟足に、少し長めの前髪。
子供らしからぬ清潔感をまとった少年は、前髪の向こうで、なぜか私を見て目を丸くした。
知り合いだったかしら?
記憶にはないが、初めて逢った気もしない。
「こんにちは?」
恐々声をかけると、彼はびくりと肩を揺らした。
「こ、こんにちは」
とおどおどした態度で返してきた。
彼がじっとこちらを見ているので、私は首を
「だれ?」
「え? お……れ?」
なんだか会話がかみ合わない。
「なんさい?」
「な、7歳?」
「え?」
なぜ、疑問形?
「き、君は?」
「5さい」
そのとき――。
「朝陽ー!」
柔らかい声が売店の奥から響いた。
彼が顔をそちらに向けると、上品そうな女性が微笑んで手を振っていた。
「あら、お友達? こんにちは」
彼の母親らしいその女性が、私に優しく声をかけてくる。
「こ、こんにちは」
丁寧に頭を下げて挨拶をした。
友達だと勘違いされたらしい。
「友達、じゃないけど」
彼は、はにかんで少し
そこへ、母がやってきて、すぐに
「こんにちはー、あらまぁ、素敵なおぼっちゃんね。ここに入院してるんですか?」
「ええ、そうなんです。盲腸で手術して。でも、もう明日退院なんですよ」
「まぁ、それはよかったですね。うちもおばあちゃんが入院してて……」
母親同士の、他愛ない会話。
「どちらにお住まいなんですか?」
母が
「
「あら! 偶然。うちは
「あら、お隣!」
彼はどうやら、すぐ隣の山津市に住んでいるらしい。
小牧と山津――。
月の影公園を挟むようにして隣り合う街だが、その空気はまるで別世界だった。
山津は、整った区画と並木道が続く高台の住宅街。
どの家も庭付きで、
通りを歩く人々の服装も上品で、どこか「選ばれし者たち」という印象があった。
一方、小牧はその反対側に広がる低地にある。
昭和が色濃く残る古びた長屋に、古い集合住宅が立ち並び、路地裏には年季の入った看板が傾いている。
昼間から酒を飲む老人。
作業服姿で、通りすがる女性を物色する肉体労働者。
昼間からやっている一杯飲み屋。
子供の泣き声やテレビの音が混ざり合う雑多な街。
生活保護の受給者も多く、役所の一角と、パチンコ店がやたらと賑わっている。
山津の子供たちは英会話スクールに通い、小牧の子供たちは空き地で泥だらけになって遊ぶ。
それなのに、小牧の子供たちを決して見下したりはしない、山津の子供たち。
反して、小牧の子供たちはいつも山津の子供たちをバカにしては、
気品漂う様相が、子供ながらにうらやましく、妬ましかったのだろう。
朝陽は、向こう側の世界の子だった。
整った黒髪に、体にぴったりフィットする真新しい服。
ふと、自分のみすぼらしいワンピースが恥ずかしくなる。
「せっかくお知り合いになれたのに、もうお別れね」
母がさして残念そうな顔もせず、そう言った。
「もしかしたら、月の影公園で会うかもね、朝陽」
朝陽の母親はそう言って、そっと彼の肩に手を置いた。
「あら、朝陽くんっていうのね。その時は仲良くしてやってね」
母が作り込んだ笑顔で朝陽の顔を覗き込んだ。
朝陽は、大人びた口調で「ええ」と、軽くうなづく。
「それでは、おばあちゃんが待ってるので、失礼します」
母は私の手をグイっと引き寄せて、スタスタと売店を出た。
振り返ると、朝陽はまだこちらを見ていた。
その表情の奥に、どこか懐かしさのような物を感じて記憶を辿る。
朝陽――。
そんな知り合い、いたかしら?
――そして翌日。
いつものように母に連れられて、祖母の見舞いに来た時だった。
受付の前を通ると、水色のシャツに、ストレートのブルージーンズを履いた彼を見かけた。
ちょうど、清算を終えて帰る所だったよう。
朝陽も私に気づき、ぱっと笑顔を見せた。
――え?
なんの
「おはよう」
昨日とは打って変わって、積極的な態度に、私は一歩後ずさった。
「お、おはよう、ございます」
朝陽はジーンズのポケットに手を突っ込み、何やら取り出し、私の目の前で、その手を開いて見せた。
少し汗ばんだ手のひらには――。
「あ!!」
思わず声が出る。
「プリズムリング!」
マジカルプリズムの指輪が、蛍光灯の光を受けて七色にきらめいた。
「間違って買っちゃってさ。お菓子は食べたけど、これ、いらないからあげる」
しばし立ち尽くす。瞬きも忘れて、彼の手のひらの上で輝くリングを見つめていた。
「いらないなら、捨てるけど」
彼は、出した手を戸惑うように少し引いた。
「いる! ほしい! いいの?」
思わず前のめりになってしまう。
朝陽は目を細めて、ほんの少し口元を緩めた。
「うん」
そして、急に真顔になる。
「あ! 言っとくけど、魔法使いにはなれないよ。おもちゃだから」
にぃっと揶揄うように笑った。
「あと、悪者と闘うのもやめな。危ないから」
「わかってるわよ!」
子供扱いされて、ついムキになった。
言ったあと、「ぶはっ!」と同時に噴き出して笑い出す。
――いつぶりだろうか。
声を出して笑ったのは。
最後の恋を夜空へ 月詠兎 @tsukiyomiusagi
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