第3話 運命は変わるが人生は変わらない?

 運命が変わったとて、人生はさほど変わらない。

 祖母が事故にってから、一週間が経った。

 子供の姿になった私は、悲しいほど私自身で、祖母の支配に従順だった。

 そうである事しかできずにいる。

 それ以外の生き方を知らないのだから。


 病室には、消毒液の匂いと、祖母の荒々しいため息が染みついている。

 窓際には、花瓶に挿されたカーネーションが3本。

 母が毎朝水を替えているが、祖母は一度も視線を向けないと、母が嘆いていた。


 祖母の右足は、もうない。

 ベッドの上で薄い掛け布団が不自然に沈み、布の下の空虚さが現実を突きつける。

 あの事故で、祖母は右足を失った。

 私の身代わりだろう。

 不運を回避すれば、誰かがその不運をこうむる。

 或いは不運の回避など不可能なのか?

 それが、運命の摂理……なのかもしれない。


「あーっ……痛い」

 祖母が唸りながら寝返りの態勢を取ろうとする。

 その痛みを、誰よりも知っている私は、そっと祖母の背に寄り添った。

「おばあちゃん、だいじょうぶ?」

 蚊の鳴くような声しか出ないが、祖母には聞こえたようで、一層顔を歪め、痛みを訴える。

「大丈夫じゃないわよ。ああーー、痛い!」

 心のどこかで、小気味良さを感じていたかもしれない。

 自分の腹黒さを、どこかで恥じながらも、私は空虚な足元をさする。

「げんしつう……。のうが、じこの時の、いたみを、おぼえているの」

 たどたどしい口調でそう伝えると、祖母は目を丸くした。

「どこでそんな事覚えたの?」

 怪訝そうな顔で、私をねめつけて、小さな手を振り払った。

「えっと……、インターネットで」

 母が重い腰を上げて、立ち上がる。

「お母さん、大丈夫? 痛み止め、時間まだよ」

「もう6時間も経ったでしょ。看護師さん呼びなさいよ」

「はいはい、今、ナースコール押すからね」

「遅いのよ、あんたはいつも、ほんとに気が利かない」

 ナースコールぐらい自分で押せばいいのに、祖母はいつもそこら辺にいる人間を使いたがる人なのだ。

「ああ、もう! なんで私がこんな目に……もう、死んだ方がましだったわ」

 その声には、苛立ちがにじんでいた。

 自分がこんな体になったことへの悔しさ。

 それを口に出さないと、息ができないのだろう。

 いつもは、母も負けずに言い返すが、この時ばかりは違う。

 その眼差しには、憐れみと愛情が滲んでいる。

「命があっただけでも、よかったじゃない」

 緩慢にナースコールを押しながらそうこぼす。


 バシっと音がして、私の胸元を不意に何かが叩いた。

 ふと、足元に落ちた物体に視線をやる。

 そこには、祖母がいつも使っていた、がま口の小銭入れが落ちていた。

 祖母が私に向かって投げつけたのだと、すぐに理解した。

「下の売店で、ジュース買って来なさい」

 いつもの命令口調。

 子供の頃はこれが日常で、何の疑問も抱かなかったが、大人になった私には異常だという事がわかる。

「はい、わかりました」

 子供の頃、いつもそうしていたように、私は敬語で返答して、財布を拾った。

「オレンジジュースね。炭酸が入っていない、紙パックのやつ」

 祖母は、そう吐き捨てると、深いため息を吐いて視線を窓の外にやった。


 母が呼応するようにため息をつき、叔母が苦笑いで肩をすくめる。

 祖母は二人を交互に睨みつけた。

「退院したら大変よー、詩織ちゃんがおばあちゃんに手を貸してやってね。お願いしとくね」

 叔母は冗談交じりにそんな事を言う。

 母は無関心に、スマホを取り出し操作した。


 私の存在は、この人達にとって、一体何だったのだろう?

 友達の家の優しいおばあちゃんが、普通の家庭が、どれだけ羨ましかったか。

 そんな事を思いながら、病室の引き戸を引いた。

 廊下には、食事の匂いと、優しい笑顔が溢れている。

 手すりに縋るようにして、ゆっくり歩くおばあちゃんを、誰かが優しく支える。

「ありがとう」

 真っ白になった頭をゆっくり下げて、笑顔を見せるおばあちゃん。この人が私のおばあちゃんだったらどれだけ幸せだっただろうか。

 そんな事を考えると、涙がこぼれそうになった。


「詩織ー」

 背後からの声に振り返り立ち止まると、母が早歩きで私を追いかけて来た。

「お母さんも一緒に行くわ。一人じゃ危ないから」

 母はスマホを取り出して、その画面を見せた。

「この辺に不審者が現れたらしいの」

 母が見せたスマホのスクリーンには、どこかで見た事があるような男性が映っていた。

 ダークグレーのスーツを着たその男性はとても不審者には見えないが、どこかこの世界に馴染んでいないようにも見える。

 輪郭がうっすらとぼやけて、生気のない表情。

 それに、この季節に長袖のスーツは確かに目立つ。

「そのひと、なにか、わるいこと、したの?」

「さぁ? それは知らないわ。昨日、この病院の駐車場にずっと立っていたって。通報されたみたいよ」

「そうなんだ?」

「けど、まだ本人見つかってないんだって。悪い事してるから逃げ回ってるのよ、きっと」

 母は、私によく見えるように、スマホの画像を広げて見せた。

「この人を見かけたら、すぐに大きな声を出して逃げるのよ」

 それを見て、私は「はっ!」と息を呑んだ。

 一瞬で気を失うほど、心臓が跳ねた。

「このひと……」

 私を事故から救ってくれた、あの人だ!


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