第三話「ラテアートの午後」

昼過ぎには、雨がすっかり上がっていた。

 窓の外には薄い陽の光が差し込み、雨粒の残る街路樹がきらきらと光っている。

 午前中の忙しさがひと段落し、店内には穏やかな静けさが戻っていた。


 七海はカウンターの奥で、牛乳を温めていた。

 スチームノズルから立ちのぼる湯気が、まるで白い雲のようにゆらめく。


「温度は六十五度くらい。泡は細かく、静かにね」

「こ、こうですか?」

「うん。……悪くない」


 しおりは七海の手元をのぞき込み、わずかに口角を上げた。

 七海はその一言に小さく息をつく。

 朝からずっと緊張しっぱなしだったけれど、その微笑みで胸の奥が少し軽くなる。


「……やっぱり、同じことしてるつもりなのに全然違いますね」

「注ぐとき、手を止めないこと。躊躇すると形が崩れる」

「なるほど……迷わない、か」

「それが一番むずかしいけどね」


 七海は慎重にミルクピッチャーを傾けた。

 白い泡がエスプレッソの上に広がり、ほんのりと模様のような形をつくる。


「……なんか、うさぎみたいになりました」

「かわいいじゃない。跳ねる前って感じ」

「耳が溶けてるんですけど」

「それも味」


 しおりが静かに笑った。

 七海はつられて笑い、二人の間にゆるやかな空気が流れた。


 カウンターの奥では、相沢蓮が食器を片付けている。

 時折こちらをちらりと見ては、「仲良いなぁ」と小声でつぶやいた。


「蓮くん、何か言いました?」

「いえいえ、なんにも」

「絶対なんか言いましたよね!?」

「気にしない気にしない」

 七海があたふたしている横で、しおりは淡々とピッチャーを洗い流していた。


 そのとき、店の奥から声がした。

「お疲れさま。ふたりとも、いい雰囲気ね」


 オーナーの紗月が、焼き立てのクッキーを載せたプレートを手に現れた。

 ほんのり甘い香りが、コーヒーの香りと混ざって広がる。


「少し休憩にしましょう。雨上がりだし、こういう時間も大事よ」

「ありがとうございます」

 七海はほっとしたように頭を下げた。


 カウンターに並んだカップとプレート。

 差し込む午後の光が、ラテの表面に反射してきらめいた。


「……うさぎ、まだ残ってますね」

「意外としぶといでしょ」

 しおりが小さく笑う。

 その笑顔に、七海も思わず笑みを返した。


 窓の外では、水たまりの上を風が渡っていく。

 静かな午後。

 カフェ・ラルゴの中だけが、穏やかに息づいていた。

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カフェ・ラルゴ @fukazume_kissa

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