楽園の条件

ザード@

楽園の条件

 その都市は常にどんよりと曇っていた。特殊な材質で作られた透明なドームからは決して太陽の光は射し込んでこない。代わりに見えるのは汚染された大気と、黒い雲だけだった。エリスはベンチに座りため息をつく。それから端末を鞄にしまい、飲み物を取り出す。口に含む。すごく美味しい。喉の渇きを潤し終えても、水筒の中身は全く減っていなかった。それから再度端末を取り出し開く。

『ディー族が地区Aに集まっている』

そのような投稿が大量にあった。中には画像が添付されたものもある。集団が誰かを暴行していた。エリスは手に端末を持ったまま空を見上げる。ドーム越しに見える空はやはり曇り。日光など見えはしない。視線を下に戻し端末を見つめる。集団暴行の動画が流れていた。して当然。そうであるべき。毎日のタスクのように繰り返される風景。誰も疑問を挟んではいけない。


 家にたどり着いたエリスは計算機を立ち上げ、必要な栄養価を計算する。すぐに望みのものは計算された。パンとコーヒー。今はそれで十分だった。出てきたパンを食べ、コーヒーを啜りながら今度は計算機のモニターでディー族が集団暴行されている風景を眺める。毎日のように大量に流れてくる日常の光景。それはまさに常識だった。


 寝る前にジェイに送ったメッセージに未だに既読アイコンがつかないことにエリスは今になって気づいた。もう夜だ。ジェイが一日中連絡をつけないことなどあり得ない。しかしここは楽園。不安を抱いてはいけない。視線をモニターに戻し、ディー族の暴行動画を見て正気を保とうとする。暴徒が大量にいて状況がよくわからないが、何故かその動画はいつもと違って見えた。

「ジェイ!」

 暴行されているのはまさにジェイだった。何気なく見ていた動画のコメント欄に視線を落とす。ディー族を滅ぼすべきだのような見慣れたコメントだらけだ。

「何で!? ジェイはディー族じゃない!」

言ってからやっと気づく。そもそもディー族とは何だ。誰かがネットワークにどこそこにディー族がいると書き込み、そこに人が集まり、宴が始まる。ただそれだけではないか。


 寝ても起きても気分は晴れない。ただ無限のリソースがあるこの都市は永久の繁栄を約束された楽園だった。そう、楽園だった。

 エリスは当てもなく街を彷徨う。時折、暴行の現場に出くわすが見て見ぬふりをした。どこをどう歩いたのか分からないがエリスはいつの間にか家に向かっていた。

「このアプリを」

 いよいよ家に辿り着くという間際、会ったこともない人物に突如コードが書かれた紙を手渡される。

「誰ですか? こんなウィルスかもしれないアプリを入れると思っているんですか?」

 その人は首を横に振ると何も言わずに立ち去っていってしまった。


 ウィルス。この都市がディー族を排除し始め、楽園になる前は悪意を持ったソフトウェアを計算機に入れるという犯罪行為があったという。リソースが有限だった社会だから行われていた犯罪だ。だが差別と排除で成り立つこの社会のリソースは無限大に膨れ上がっていた。つまりこのコードはウィルスではない。エリスは端末にコードを入力する。手に入ったアプリを開く。それはただの名簿だった。タイトルにはこうある。楽園を去った人々。


 雲。汚染された大気。ドームの外に出ると人は数秒で死ぬ。楽園を去るとはそういうことだ。それでもこの楽園を出る人はいる。差別と暴力により不安を克服した社会。その維持のために何が行われているのかをエリスは知っている。その意味する本当のところをエリスは知っている。無限のリソースの出どころもわかる。犠牲だ。そして生贄により維持される社会に耐えきれない人は扉を開けてここを出ていく。その結末はわかっているのに。


 エリスは計算機を立ち上げ、まずはカートを計算した。これから作るものを持ち運ぶためだ。モーター付きで重たい荷物も持ち運べるカートができた。

「お願い、これからやろうとしていることにどうか気づかないで」

 ネットワークはおそらく監視されている。アプリを無防備に入手した時点で既に自分の置かれている状況は怪しい。細かい計算を考えている暇はない。ともかく重いブロックをカートの上に計算するとそのままエリスは都市に出る。


 この都市の出口は誰もが知っていた。しかし出て行く人を見たものは誰もいない。ドームのドアを開けて生命が維持できるのはわずか数秒。その間に全てを成し遂げなければいけない。利き手をカートに乗せたまま、ドアの解除コードを入力する。息を止めたままカートを動かしドアが閉じられないようにする。汚染された大気がドームの外から大量に入り込んでくる。もう限界だ。エリスは空気を吸う。瞬間、警報が鳴り響くのが聞こえた。セキュリティがドアを強引に閉じようとしてカートを破壊し、ブロックだけを挟み込む。隙間からどんどん汚染された大気が入り込んでくる。エリスは最後にニヤリと笑い、そのまま意識を失った。

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楽園の条件 ザード@ @world_fantasia

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