天使見習いの仕事

詩月結蒼

天使見習いの仕事




 どんなに苦しくても、怖くても、前に一歩進めたのなら。


 たとえ思い通りにいかない結果になったとしても。


 それは、次の道へとまた一歩踏み出す勇気になるのではないだろうか。











 人は死んで天国へ行くと、二つの選択肢を与えられる。

 ひとつは天国で過ごし、何年か経ったらまた生まれ変わるというもの。

 そしてもうひとつは天使見習いとなって、今を生きる人間の悩みを解決するお仕事をするというもの。

 なぜこんな選択肢が用意されているのかというと、死者を管理するお偉いさんが

「最近は自殺者が多すぎる! そうだ! 心に抱える悩みを解決すれば、我らの仕事が減るかもしれない!」

 と言い始めたからだそう。つまり、私たち天使見習いはお偉いさんのお仕事を減らすために働いているというわけだ。

 天使見習いになるかは自分で選ぶことができる。まったくもって強制ではない。だが、何も見返りがないわけでもない。

「すべての仕事を達成すればどんな願いでも叶えよう」

 天使見習いはそんな褒賞付きのお仕事なのだ。

 どんな願いでもかなえてもらえる。なんて甘美な言葉だろう。私もその言葉に魅せられて天使見習いになったひとりだった。

 そして天使見習いになって数年。

 次の仕事で、私はすべての仕事を終えることになっていた。


(……最後の人間は学生か)

 天使見習いには担当する人間の簡単な情報を与えられている。

【小野寺拓真。高校二年生。部活動には所属しておらず、両親と三人暮らし。

親の希望で入塾し中学受験するも失敗。その後、地元の公立中学校に進学した後、現在通っている私立高校へ入学する】

 趣味とか性格とか、もっと情報が欲しい。何回か「もっと情報をください」とお願いしたのだが、結局、何も変わらなかった。

(今を生きる人の支えとなる仕事、とも言われる天使見習いなのに、これだけで支えるのは難しいよ)

 だが情報の代わりなのか、天使見習いになったとき、二つの能力が与えられた。ひとつは『物を動かす能力』。小さくて軽いものだったら大体動かせるらしい。もうひとつは『一度だけ人間と話せる能力』。短時間だが、生きている人間と話すことができるようになるとのこと。ただし、この力には欠点がある。

 まず、名前の通り一度しか使えない。何人もの人間の悩みを解決する中で、一度しか使えないのだ。それも、悩みを解決する人間としか話すことができない。それに加えて、この力は使った時の代償が大きい。

――『すべての仕事を達成すればどんな願いでも叶えよう』とは言ったが、条件付きだ。この力を使った場合、この褒美は無効となる。

 そう。この力を使えば、私が天使見習いとなった意味がなくなってしまうのだ。だから基本は物を動かす能力だけで人間の悩みを解決する。物を動かす能力は、何度使ってもいいからだ。

(よし。調査だ……!)

 まずは小野寺拓真という人間について知るところから始めた。

 拓真くんはいつも、ひとりでいた。休み時間になると、スマホでゲームをするか、本を読むかのどちらかをしていた。誰かに話しかけられればきちんと答えていたけれど、会話はそこまで長く続かない。コミュニケーションをとるのが苦手なのだろうか。

 昼休みになるとお弁当をもって図書室へ行った。拓真くんの高校の図書室は中でお弁当を食べてもいいらしい。

(ひとりでいることが多いけど、寂しくないのかな?)

 午後の授業が始まった。五限目は音楽。今日は歌のテストらしい。

「次。小野寺」

 拓真くんは歌うのがうまかった。こっそり先生の採点表を見ると二重丸が書かれていた。

 チャイムが鳴って、授業が終わる。他の生徒が音楽室を出ていく中、拓真くんは一人になるのを待って、そして、音楽の先生に言った。

「先生」

「ん? どうかしたか?」

「ここの音なのですが……先生、間違っていませんでしたか?」

 拓真くんは教科書のある箇所を指で示して尋ねた。先生も教本を開いて確認する。

「……あっ、本当だ」

 少しして、先生がそう言った。どうやら先生の伴奏に間違いがあったらしい。

(拓真くん、すごい)

 授業が終わってすぐに確認しに行かなかったのは、周りの生徒に聞かれるのを防ぐためだろうか。人によっては「音楽教師のくせに間違えるんだ」とからかうかもしれない。もしかして、そうならないように先生に配慮して拓真君は……。

「教えてくれてありがとうな、小野寺。おまえ、なにか楽器の経験でもあるのか?」

「いいえ。まったく。昔歌ったことがある歌なので、気付けたのかもしれません」

「なるほどな」

 学校が終わって家に帰ってきても、そこにはまだ誰も帰ってきていなかった。拓真くんの両親は遅くまで仕事しているらしい。

(うーむ)

 拓真くんが自室で勉強しているとき、私はひとり考えた。

 私の仕事は拓真くんの悩みを解決するというものだが、その悩みが何なのか私は知らない。おかしな話である。悩みを解決しろというのにその肝心な悩みを教えてもらえないのだ。では、どうやって悩みを解決したと判断するのか。それは、私が指につけている指輪の色で判断する。これは天使見習いになったときに必ずもらう、天使の指輪という魔法の道具だ。この指輪は色で担当する人間の幸福度を示しており、黒色が幸福度ゼロ、白色が幸福度マックスとなる。

――人は深い悩みを解決すると、幸福度が通常よりも高まる。それを利用して、この指輪が白……つまり、幸福度がマックスになったとき、悩みは解決したと判断することにする。

 こう、正式に天使見習になる前のガイダンスで教わった。

 なんだ簡単じゃん、と当時は思ったが、これが意外と難しい。

 まず、担当する人間の悩みを知るまでが大変だ。特に学生。学生は小さなことから大きなことまで悩みが多い。仮に解決したら幸福度がマックスになる悩みを知ったとしても、今度はそれを解決するための方法を考えなければならない。当然うまくいかないこともあるので、一筋縄ではいかない。

 私は軽くため息を吐き、拓真くんに関する資料をもう一度見る。

【小野寺拓真。高校二年生。部活動には所属しておらず、両親と三人暮らし。

 親の希望で入塾し中学受験するも失敗。その後、地元の公立中学校に進学した後、現在通っている私立高校へ入学する】

 ガタリ、と音がして彼が机を立った。どうやら今日はもう勉強を終わりにして寝るようである。

(あれ?)

 今、ふと気づいた。この部屋にはアップライトピアノがある。

 アップライトピアノというのは、簡単に言えば体育館や音楽室にある大きなグランドピアノのミニ版だ。グランドピアノの弦が横に配置されているのに対し、アップライトピアノは縦に配置されている。鍵盤を押せば中に入っているハンマーが横から弦を叩いて音を出す仕組みだ。弦の位置とハンマーの動く方向、ピアノ本体の大きさ、音の響き方など、違いはたくさんあるが、どちらも本物のピアノであることに変わりはない。まるで電子ピアノは偽物、と言っているように聞こえてしまうが、実際、圧倒的にグランドピアノやアップライトピアノの音の方が良い。

(ピアノ、今も習っているのかな)

男子なのに珍しい……というのは偏見だが、正直意外だ。

「……」

 拓真くんはほんの一瞬、ピアノに目を向けた。誇り一つない、綺麗な漆黒のピアノだった。

 鍵盤に指を乗せ、ドの音を鳴らす。それからレ、ミ、ファ……と鳴らしていく。椅子に座り、両手を鍵盤に乗せ、そして――。

(あ、知ってる)

 それは、誰もが一度は聞いたことのある名曲だった。

 ショパンが作曲した、夜想曲第二番変ホ長調。

 夜想曲――英語名・ノクターンの代表的な曲である。

 小洒落たカフェに流れていそうな、優雅な曲。静かで落ち着いているけれど、どこか凛とした強い芯を持った曲。名前の通り、夜を想う曲、夜の雰囲気を持つ曲……。一言で表すことのできない美しさが、拓真くんの音にあった。

(綺麗……)

 本当に、心の底からそう思った。

 だからこそ、不思議だった。

『小野寺。おまえ、なにか楽器の経験でもあるのか?』

『いいえ。まったく』

 なんであの時、拓真くんは嘘をついたのだろう。


 その後、拓真くんのことを見ていて分かったことがあった。

 まず、拓真くんはひとりでいることを寂しいとは思っていない。悲しいとも、つらいとも思っていない。むしろ安心や喜びを感じているように見えた。誰かと一緒にいることが嫌い、というわけではないようなのだが、ひとりでいるほうが好きなようだった。本を読むのは単純に好きなのだろうが、ひとりでいるためのツールとして読書しているようにも見えた。ひとりでいる、ということは、人間関係で悩むことが少ないということ。拓真くんにとって人間関係は面倒なものという認識なのかもしれない。こういう人は、たまにいる。人と関わることでトラブルになるのが嫌なのだ。

 次に、拓真くんはピアノを弾けることを隠しているようだった。隠している理由はまだ分かっていない。ピアノが弾けると、なにか問題でもあるのだろうか。


 ある日のことだった。拓真くんが学校から帰っているとき、降りた駅にストリートピアノが置いてあった。ストリートピアノというのは駅や空港などに設置されている、誰でも自由に演奏できるピアノのことだ。拓真くんは周囲を見渡して、知り合いがいないことを確認すると、ストリートピアノの方へと歩いた。少しわくわくしているような、そんな雰囲気だった。

 いつものように鍵盤に触れ、音を紡いだ。

(いい音……)

 ドビュッシーが作曲した、ベルガマスク組曲第三曲。月の光。

 どこか儚げで、悲しそうで、だけど懸命に生きようとしているような力強さも感じる。ゆったりとしたテンポで、行き交う人に安息と癒しを与えるような、そんな曲に聴こえた。拓真くんは何を思って、この曲を弾いているのだろう。

 曲に魅せられていた、その時だった。

「――あれ、小野寺?」

 見知らぬ男の子が、拓真くんを見てそう言った。制服は拓真くんと違う。他校の生徒だ。口調からして、拓真くんの知り合いだろう。今は一緒にいる友達らしき人と下校中のようだった。

「っ、あ……」

 ピアノの音が、止まる。美しい旋律が、ぷつりと途切れる。

(拓真くん?)

 急いで荷物をまとめて走り去る拓真くん。その姿は、何か恐ろしいものから逃げようとしているように見えた。

 私は追いかけようとするも、拓真くんに話しかけた男の子のほうが気になって、結局、その場にとどまった。

「誰?」

「あー。俺の小学校のクラスメイト」

 その後の会話で、彼は佐藤くんという名前だと分かった。

「ストリートピアノ、だっけ?」

「そうそう。誰でも弾いていいですよーっていうピアノ」

「うまかったな、あの人」

「だな。俺、ピアノ弾けないから、どのくらい小野寺がすごいのかとか、そういうのは分からないけど」

「それな」

 お互い笑い合うと、佐藤くんは言った。

「俺、小学生の時『男がピアノ弾くとか、変なやつだな』って小野寺に言っちゃったんだよな」

「『男が』とか差別発言だろ、それ」

「あの時は悪かったと反省してる。今は全然、変だとは思わない。むしろ、かっこいいと思ってる。俺は小野寺みたいにピアノを弾けないからな。羨ましかったんだ。自分にはできないことができる、小野寺が」

 拓真くんのピアノはすごいのだと、認められたような気がして、私は自分事のように嬉しくなった。それと同時に、なぜ、拓真くんがピアノを弾けることを隠しているのか、その理由が分かった気がした。

(けど拓真くんは……)

佐藤くんの過去の発言が羨ましさ故に言ってしまったことを知らない。

今はかっこいいと思ってくれていることを、知らない。

ずっと勘違いしたままなのだ。


 拓真くんがピアノの調律師になりたいと知ったのは、それからすぐのことだった。拓真くんの日記を見たのだ。

【やっぱりピアノが好きだ。ピアノは、俺の誇れる唯一のもので、俺の生きる価値にすら感じる】

【小学校の同級生に会った。昔みたいに自分を否定されるかもしれないと思って、怖かった。でも、本当はピアノが好きなんだと言いたかった。逃げない勇気が欲しい】

【調律師になりたい。ピアノの核に触れる職業だ。調律師になるには音楽大学か専門学校に行く必要がある。父さんと母さんは反対するだろう。ただでさえ中学受験には失敗していて、今の高校も第二志望だ。調律師になりたい、と、ふたりには言えない】

 拓真くんは現在高校二年生。この前の進路希望調査書には一般大学の、音楽とは関係ない学部を書いていたが、あれは本心ではないのだろう。今ならまだ、調律師の道に進むことだってできる。できるけど、拓真くんは……。

(進路って、難しいなぁ)

 決めた道に進むのは自分だけど、進むまでの過程には絶対に自分以外の誰かがいる。家族や先生はその代表的なものだ。

親の期待に応えないと、とか。偏差値の高いところに行かないと、とか。

 一度進むと決めても途中で引き返したいと思うことだってある。

 先の見えない未来が怖くて、何もかもから逃げ出したいと思うことだってある。

 それは、当事者にしか……拓真くんにしか分からないこともあって。

 複雑な感情や矛盾した思いを周りの人に理解してもらえず、孤独を感じ、泣きたくなる日だってあるだろう。

 時間は止まってくれない。ただ淡々と、冷酷に、いつどんなときでも一定の速度で時を刻む。決して、自分に寄り添ってはくれない。

 一人で抱え込んで自殺してしまう子もいる。それぐらい学生にとって、進路は大きな問題なのだ。

(おそらく拓真くんの悩みは『自分の進みたい進路への決断』)

 拓真くんの悩みは分かった。そしてその解決策も――。


 私は拓真くんが学校に行ったのを確認すると、拓真くんの机から白い紙と鉛筆を取り出した。物を動かす能力を使ったのだ。

 私は考えた末に、拓真くんに手紙を書くことにした。もちろん、私が天使見習いであることを隠して、だ。

(拓真くんと直接話すことも考えたけど……)

 人間と話す能力の代償は大きいし、もし使ったとしても、きっと拓真くんの悩みは解決しないだろう。突然現れた謎の人に「あなたの悩みを解決しに来ましたー!」とか言われて、まともに取り合ってくれるとは思わない。最悪、危険人物と判断されて通報されてしまう。現代ならあり得るだろう。

 それに、受験関係で悩んでいるときは、精神が不安定で、下手に関わると悪影響を及ぼす可能性もある。手紙で言うのと、口頭で言うのでは全然違う。手紙なら、自分のペースで読んで、理解することができる。発音や言い方による誤解の可能性も口頭より減るだろう。それに、手紙なら私の伝えたいことをすべて伝えることができる。拓真くんに響くかどうかは分からないけれど、でも、手紙の方がいいと、そう思った。

【小野寺拓真くんへ】

 手紙を書きながら、ふと、昔のことを思い返した。私がまだ生きていた頃の話だ。

 私は、受験期真っ盛りの中学三年生だった。志望校のレベルは高くて、モチベーションは消えていたも同然で、まったく勉強していなかった。

勉強するのが嫌になって、趣味のピアノに逃げた。好きなことをしているときは、当たり前だけれど、すごく楽しくて。受験生に纏わりつくありとあらゆるしがらみから解放されていた。楽に呼吸することができた。――両親に知られるまでは。

 私が勉強してないと知って、ふたりは毎日のように詰め寄った。なんで勉強しないの。趣味に逃げるな。最後まで走り切れ……。いつもならそんな叱咤激励は私の走る原動力となるのだが、逆効果となってしまった。両親が私のことを思ってそう言ってくれているのは、分かっていた。

 分かっていたから、苦しかった。

 私の何が分かるのだと、心の中で悪態をついた。

いくら家族でも、血がつながっていても、所詮は他人だ。他人に自分の何が分かる。私のことを一番よく知っているのは私だ。私だけが理解者だ。まるですべてを理解しているような、そんな態度が、口ぶりが、思いやりが、大嫌いだ。反吐が出る。放っておいてくれ――。

そんな黒い感情が渦巻いて、蛇のように身体を駆け巡って、浸み込んでいった。普段ならうまく外に出すことができたはずなのに、あのときはできなかった。きっと、苦しいって感情が重く沈んで、感情の排気口に蓋をしてしまったのだ。


 結果、たまりにたまった感情が爆発した。


 津波が押し寄せるように、ありとあらゆる罵詈雑言を吐き出した。何を言ったのか正確に覚えていないほど、私は興奮していた。今考えても、あれはかなりひどかったと思う。勉強をしない理由を、親のせいにした。おまえらが私に圧をかけるから、私は勉強したくなくなるのだと、そう、言った気がする。そして、謝ることなく私は事故死した。

 死んでから何度も悔いた。なんであんなこと言ってしまったのだろう、できることならやり直したい……。だが時間は戻らないし、私はもうふたりには会えない。だから私は、天使見習いになった。

 天使見習いの仕事達成による褒美で、ふたりに直接会って、あのときのことを謝りたいと思ったから。


(……できた)

 時計を見ると、もう夕方の五時。今日のすべてをこの手紙に費やしたようなものだ。

四つ折りにして、拓真くん家のポストの中へと投函する。

(進路の決断、できるようになるかな?)

 私の人生は悔いの残るものだったから、少しでも今を生きている人には幸せになってほしいと思っている。私の生きられなかった分まで、生きてほしいと思ってしまう。特に自分と境遇の似た人には「あなたを理解してくれる人は絶対にいる」のだと、知ってほしい。

 今はまだ、分からなくてもいい。ただ、信じてほしい。いつか出会うその日まで、その存在に気付くときまで、信じてほしい。

(あっ!)

 拓真くんが学校から帰って来た。ポストをのぞいて、私の手紙を見つける。

(どうか、届きますように)

 今を生きる人の支えとなる仕事。

 それが私、天使見習いの仕事だ。





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