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あくモブ短編 母との記憶




 言われたことをただ淡々とこなし、だけど、命令を待つだけの操り人形ではなく、ちゃんと考えて動くことのできる従順な犬。
 それが、父さんが理想とする僕の姿だった。

「いいか、エヴァ。これは命令だ。私に従え」

 僕が素直に頷くと父さんは満足したようで、主従契約をしたあとは、それ以上何も起こらなかった。父さんが感情を顔に出すことなんてほとんどないけど、殴ったり蹴ったりしないときは機嫌がいいのだと、僕は知っている。
 父さんに逆らった者は人はみんな殺された。
 中には優秀な人もいたのにどうして殺したのかと訊くと、『どんなに頭のいいやつでも上下関係がわからないのであればそこらのクズと同じだ』と言った。
 僕と父さんの間にあるのは主従関係であって、血族ではあったけど、物理的な実力はもちろん、頭の良さも違った。きっと僕がどれだけ考えても、父さんの考えていることを当てるなんて不可能だろう。できたとしても、何かヒントを与えられているに違いない。

「3日やる。表社会を見てこい」

 潜入や演技に必要になるかもしれないから、本物をしっかりと観察するようにと言われた。3日ももらえたのは休暇も含まれていたからだろう。
 表社会を見てこい、だなんて、父さんの命令にしては珍しい。だけどそれ以上に意外だったのは、付き添いという形で母も一緒に行くことになったことだった。
 母は、不思議な人だった。
 僕が何も言わなくとも、僕の考えをすぐに当てる人だった。どうしてすぐに分かるのかと尋ねると、『あなたはあの人と似てるから』と言った。
 僕はときどき、母と血がつながっているのかわからなくなる時がある。母から生まれたはずなのに、母との共通点は何一つない。僕が母を母と思っているのは父さんがこの人を僕の母だと言ったからだ。
 母は、どうして僕を産んだのだろうか。父さんと母に夫婦らしいことは全然なくて、どちらかが恋をしていたというわけではないのは知っていた。父さんの妻になれば自由などないと分かっていたはずなのに、母は父さんの妻になった。
 僕は母を理解できない。

「エヴァ」

 ふっと意識が現実に戻される。
 にぎやかな声、芳しい花の匂い。何色もの明るい色。そのすべてが、今、僕が表社会にいることを示していた。
「⋯⋯はい、母さま」
 少し遅れて返事をすると、母は『何を考えていたの?』と訊いた。それは決して怒っているのではなく、単純な疑問のようだった。
 僕はどう答えるべきだろうか。母がよくわからない、なんて、本当のことを言うのはよくない気がして、「普通とは何か、考えていました」と答えた。
 別に、嘘を言っているわけでもない。この表社会が世間一般的に普通と呼ばれるもので、でも、僕にとっての普通じゃない。だとしたら普通とは何なのか。母なら何か知っているかもしれない。

「普通とは何か、ね⋯⋯」

 母は少し悩むと、教えてくれた。

「形のないそれぞれの常識、かしらね」
「母さま、常識はそもそもに形なんてないですよ」
「そうね。じゃあ、常識を水だと思って。例えば、表社会の常識が丸い器だとするわ。もし水を注いだら、どんな形になるかしら?」
「円形になります」
「ええ。では、四角い器に同じものを注いだら?」
「四角い形になります」
「うん、正解。こんな感じに、同じ常識でも入る器が違えば形は変わるの。水はどんな姿にでもなる。つまり、水に定まった形はないから⋯⋯」
「常識に⋯⋯普通というものに絶対のものはないのですね」
「そういうことよ」

 母の説明はわかりやすい。ストンと腑に落ちる意見だから、すぐに受け入れられる。

「⋯⋯わたしはね、エヴァ。こんなことを言う資格なんてないけれど、あなたに自由に生きてほしいの」

 自由。僕が一度も手にしたことのないものだ。
 でも僕はそれを特別ほしいと思うわけでもない。知らないから興味はあるけど、でも、すごく執着しているわけではない。

「母さまは、自由を知っているのですか?」
「⋯⋯⋯⋯昔、一度だけね」

 母はどこか懐かしむようにそう言った。

「自由だった頃に、戻りたいと思いますか?」
「⋯⋯どうかしら。もし、できたとしても、私は今を選ぶと思うわ」
「ならどうして僕に自由に生きてほしいと思うのですか? 選べたとしても今を選択するのに、どうして?」
「⋯⋯」

 母は、黙り込んでしまった。とても悲しそうに目を伏せて、僕の疑問に答えるかどうか迷っているようだった。
 きっと、父さんが聞いたら怒られるようなことなのだろう。母は父さんが怖くて逆らえないのだ。だから怒られるような真似をしたくなくて、ためらっている。
 それでも、母は何かを決心したのか、口を開いた。

「⋯⋯あのね、エヴァ。今のあなたの世界はね、とても狭いの。ほとんどあの人によって作られたも同然の世界。あなたは表社会の普通も、外国のことも、全然知らない」

 僕の周りには大きな大きな壁があるのだと、母は教えてくれた。それは白の城塞のようなもので、簡単には開けられないのだとも。

「それを開けるためには、誰かに外の知識を教えてもらったり、自分で調べたりしないといけないの。とってもとっても大変なことだから、今のあなたにはまだ難しいわ」

 でも、と母は続けた。

「いつか誰かが、あなたを外の世界に連れて行ってくれるわ。もしひとりで外の世界に行っても、きっとあなたはあなたをわかってくれる誰かと出会う」
「どうして断言できるのですか?」
「⋯⋯さあ、どうしてかしら」

 母のもつ未来視か? いや、母の視る未来はいつも鮮明ではなくて、ぼんやりとしたものだと言っていた。僕のことを分かってくれる人だなんて、視覚的に判断することは不可能だ。なら、どうして⋯⋯?
 母は考える僕を見て、くすりと微笑んだ。
 やっぱり僕は母のことがよくわからない。

 そして僕が母を理解する前に母は死んでしまった。
 最後に話をしたのはこれが最後だった。



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著者から/
 アルファポリスでファンタジー部門において6位にランクインしました。アルファポリスには約48000作のファンタジーの作品があるにも関わらず、その中で6位⋯⋯数字を見た時は本当にびっくりしました。
 また、アルファポリスで連載してからカクヨムでのPV数が大幅に増加しており、連日200を超えています。いつも多くて50だったのに、と驚きと喜びでいっぱいです。
 この短編の続きはアルファポリスにて明日、公開予定です。こちらもよろしくお願いします。

https://www.alphapolis.co.jp/novel/61423936/660999999

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